好きな女優のドラマ
北川景子主演『悪夢ちゃん』の話をする。
予知夢をみる子の話だ。1話完結のドラマかと思いきや、そうではない。一見子供向けなのに扱うテーマが重くて良かった。
少女という、まだ誰でもなく誰のものでもない庇護の下にある時期においては、それがいかに気ままそうに見えてもさほどの自由はない。完全に自由なのは想像と未来だけである。
「擁護する者」に「所属」する少女は、秘密を持つ自由を持てない。だが自立とは、秘密が増える過程である。
悪夢ちゃんの夢は、機器によって夢札というものに記録される。それを、大人たちに覗かれるのは、究極の自由であり秘密であるはずの空想に、土足で入り込まれるということだ。狙われる彼女を護るためには仕方なかったとしても、こんなことは一時期だけにしておかないと、自我が形成できない。
悪夢ちゃんは、少女の未来と想像を「予知夢」として表し、「自分のことは自分で決める」ということに目覚めつつもまだ庇護下に置かれる必要のある者をどう護るか、ということがテーマになった作品であった。
謎解きの要素の多い物語でもあった。まず予知夢がそのまま未来の様子が見えるのではなく、解釈する必要がある。それがうまくいかないと、事前に対処することさえできない。
また、主人公であるクラスの担任の教員、彩未先生の内面までもを勝手に記したブログを書いているのは誰か?彩未先生の夢に、嫌いな男そっくりの夢王子が出てくる理由は?といった謎も散りばめられているのがツボであった。
文学や絵画を、精神分析に基づいた象徴によって解釈することは、ときに単なる邪推でしかない。だがこのドラマにおいては、それは正当な暗号表である。なんせ夢の話なのだ。主人公の北川景子…じゃなかった、彼女が演じる彩未先生が空を飛ぶ夢をみれば、それはその晩セックスをしたと読み解くのがまったく正しいのである。
精神分析ついでに、彩未先生は「自我に目覚めたか」などという露骨に心理学の用語を使ったセリフを言う。他にも児童が友達を助けていたとき、「そんなのは支配欲によるものだ」と小学生相手に言うシーンもある。普通のドラマなら美談として「君たちはよくやったね」と言って終わりそうなことでも、彩未先生にかかればバッサリ切り捨てられる。
普通のヒロインではない。普通の学校もののドラマでもない。お約束の綺麗事が正面から否定されていく。え?マジすか。いや、たしかにおっしゃる通りですけど・・と視聴者もたじたじである。
それはまるで臨床心理の世界を見るようであった。
優れているなと思うのは、彩未先生が人嫌い(それは反動形成だが)である故に、援助しすぎない点である。
彩未先生は児童のことなど好きではなく、教員という仕事をドライに割り切っている。独白ではほとんど悪態を吐いている。これは、反動形成、すなわち、本当は人を素直に好きでいたい、という思いの裏返しである。
ネタバレするが、彩未先生が自分でも知らぬ間に自分を責め立てるブログを作っていることが比較的早く明らかにされていた。これは解離というものである。物語で解離が出てくる場合は、トラウマがあるというのがお約束だ。
彼女の場合、加害によるトラウマがあって罪の意識に突き動かされていたと考えられる。
彩未先生は過去のトラウマから、防衛規制で人嫌いとして振舞うようになってしまったのだ。本心は自分にも見えなくなってしまっている。
摂食障害や、墓守娘、といった、心理臨床に出てくるテーマが、児童の問題として登場する。彩未先生は援助しすぎないが故に、彼女だけが結果的に児童を助けられる。深い。
(ここで思い出すのは『マシニスト』という映画である。悪夢と似た世界観でもあるのだが、こちらは眠れなくなってしまう話である。お勧め。)
詳しいことは伏せるが、このドラマの伝えてくれることは、お先真っ暗に思えても、人は責任をもって未来を作っていくことができる、ということだ。「責任ある」という意味の responsible とは、「応答できる」という意味である。
さてさてドラマの主題歌は中島みゆきが作り、ももクロちゃんが歌っていたというのも良かった。あと、はるかぜちゃんが出ていた。出ていたといっても、悪夢ちゃんの通う小学校の同じクラスの一児童でしかないので、ちらっと映るだけの回がほとんど。私はいつもはるかぜちゃんを探しながらテレビを観ていた。
はるかぜちゃんは、この世でいちばん好きな女優です。
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