見出し画像

薬と注射の備忘録(3) 『「そんな薬の使い方はしてこなかったし…」って医者が方針を変えない話』

大きな嵐に遭う。それを乗り越え、やがて凪ぎ、空は晴れる…

我々はそんな航海の話には馴染んでいる。直接体験していなくても、物語として。伝聞として。



薬と注射の備忘録をまたする。今回は主に躁うつ病の薬を例に挙げ、薬の「使い方」の話をする。


躁とうつの両方に効く、気分の上下への振れをなくし安定させる薬を「気分安定薬」と言う。長らく、リーマス(炭酸リチウム)、デパケン(バルプロ酸)、テグレトール(カルバマゼピン)という3剤がその気分安定薬として使われてきた。

だが抗精神病薬、すなわち統合失調症の薬の一部が、躁うつ病、すなわち双極性障害(MDI)に効果がある、というエビデンスが出て、海外では早々にジプレキサ(オランザピン)、セロクエル(クエチアピン)という薬が双極性障害に使われてきた。最近では、ラツーダ(ルラシドン)という抗精神病薬が使われている。


このラツーダは日本で開発されたにも関わらず海外で先に承認された。国内での販売が認可された後も、統合失調症の第一選択に入る薬剤であるにも関わらず、臨床医にはまだあまり積極的に使われている印象はない。どちらかというとラツーダは双極性障害の薬、として扱われているように思われる。

これは今までの抗精神病薬の扱いと逆だ。セロクエルなどの薬が双極性障害の治療に有効である、というエビデンスが出た後も、日本ではそれに従った処方をする医師はほとんどいなかった。少なくとも私は紹介されてきた患者の中に、それで治療されているケースを見たことがなかった。


「抗精神病薬を双極性障害に出すなんて、薬剤メーカーが強調する『エビデンス』に踊らされているだけだ」とバカにする者もいた。その割にそういう人が適切な治療をしているかは疑問だ。「何に踊らされたらこんな処方ができるのか?」という処方をされている患者が多いからだ。

どの文献でも支持されないような治療がありふれている。検証がまだ充分でないエビデンスとはいえ、それに基づいた治療法をしているのならば、その医師はそれなりに勉強もしているわけである。それさえもしていない医師たちは、何ベイスド・メディスンをしているのであろう?


あるときの学会で、とある大学の精神医学教室の医師が、臨床医にMDIの第一選択薬剤のアンケートを取ってその結果を発表したことがあった。第一選択薬は、炭酸リチウム、バルプロ酸、カルバマゼピンでほぼ占められていた。

ところでその精神医学教室、双極性障害に力を入れているとされている教室であった。特にそれらの薬の効果についての研究でそれなりの実績を出していた。ちなみにアンケートは、その大学にある県内の医者にしか取られていなかった。早い話が「それらの薬が有効である」という教育を施した門下生たちにアンケートを取っただけの、出来レースのような研究であった。

発表者は「このような成果を踏まえてエキスパート・コンセンサス・ガイドラインを作るべきであり・・」などと言っていたが、抗精神病薬を選択肢に入れている医者がほぼない集団のどこが「エキスパート」なのだ?



ラツーダが抗精神病薬であるにも関わらず、統合失調症よりはMDIの治療薬としてもてはやされているのは、メーカーとりあえずの発売戦略がそうなのだろうか? この薬のおかげで日本人精神科医師の、「MDIに抗精神病薬を処方する」というハードルはずいぶん下がった気がする。

医者というものは、初めて使う薬にはエビデンスを求める。有効だとされれば空気を見てそれを使うことはある。だが、薬の「新しい使い方」のエビデンスが出たからといって、己の処方の仕方を変えるということはおそらくあまりしない。これまで馴染んだやり方については改めない傾向があるようだ。

「だって今までそれで問題なかったもん」といったところか。


患者はそれを知らない。これらのエビデンスの話は、ときにかなり高度になる。また、そこまでこだわったところで、得られるものがそんなにあるとも言えない。もしかしたらよいことがあるかも、というぐらいで、今までよりも悪くなることだってある。エビデンスはあくまで確率的なものだ。

ただ、ときにはそれが打開策になる。世の中では、もっと良い処方の仕方とされているものがあり、それを知っている人がいるのである。その情報は世に公開されていて、どこかに落ちていて、拾うことはできるのである。ただ、拾われないのである。少しだけ残念だ。


双極性障害の患者は、躁とうつの波を生きる。航海をする上で、最高の航海術、せめてそれにつながるかもしれない選択肢を望む人はいるのではないだろうか? 航海術を指導する役割の人は、「ではこんなのはいかがでしょう?」と提供できることが必要なのではないだろうか?


Ver 1.0 2022/06/21


第2回はこちら。


#薬
#エビデンスベイスドメディスン
#双極性障害

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?