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2024年12月21日の近況報告 「生きるために死ぬ」という事
画像は「ダメ人生」さんのフォトギャラリーを使用しています。
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【以下本文】
「生きるため死ぬ」と書けば「矛盾だろ」って大抵の人、より具体的に言えば「過去1年間に1度も「死にたい」と1週間以上思い続けたことが無い人」は思うでしょうが、メンタルを病むとこれが矛盾に聞こえなくなる。っていう話です。
歌舞伎俳優の市川猿之助さんが一家心中を図ったのとは、また違うものだと思います。
「死んで生まれ変わろう」っていう感じじゃなくて、死ぬことを「足りない部分を一瞬で全部補える儀式」っていう感じで受け止めているから、
他人からしたら完璧に自殺そのものだけど、本人からしたら自殺するのは「死ぬ=自分の生命維持機能を強制的に停止させる」わけじゃないんですよね。
「自殺したいんじゃない。ただ自殺したくなる部分を殺したいだけなんだ」
こう書き残して自殺した人がいるらしいのですが、それに近い部分はあるかと思います。
「どうしても自殺したくなる自分を止めるためには、世間一般ではどう考えても自殺にしか見えない行為を行う」ってのはよく分かります。
なんというか、メンタルを病むと「死とは完璧で理想的な自分になるための儀式」っていう感覚になって、
「よりよく生きるためには死が欠かせない」って感じになっちゃうんだよね「死ねば完璧な自分になれる」のであって「死にさえすれば全てが上手く行く」っていう希望を持って死ぬんですよ。
メンタルをこじらせたことが無い人からしたら「何言ってんだお前?」とこれっぽちも理解できないのは承知の上ですが。
世界大戦中の日本で「この作戦が失敗したら腹を切って詫びます! だからどうしてもやりたいんです! やらせてください!」
って言われて「冷静に考えたら失敗する可能性の高い無謀な作戦」を切り出されて、結局失敗した後本当に腹を切って詫びた人は大勢いると思うんですが、彼らからしたら「死ねばすべて許される。責任を果たしたと納得できる」って思っていて、そこだけは共感できるなとは思いますね。
もちろん「腹を切ったところでお前だけしか納得できなくて、残された仲間や作戦で無駄死にした仲間はとんだ大迷惑なんだが」っていうのも知ってますけど。
その「死ねばすべてを許してもらえる」っていうのが凄く魅力的で、昔も「希死念慮の出る男の手記 ぷらす」っていう作品の「無限大 対 1」っていう話で書きましたけど「生きていても無限大に迷惑をかけ続けるだけなのに、死ねばたった1回だけ迷惑をかけた後は永遠に迷惑をかけずに済む」のは精神を病むと抗い難い魅力的な事なんですよ。
だから「迷惑をかけ続けるボクが生き続けるためには死ぬしかない」っていう、矛盾した結論にたどり着いちゃうわけでして。
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