「チュニジアより愛をこめて」 第1話
二部作前編『パリに暮らして』に続く後編。
チュニスに降り立った〝私〟は計画を実行に移そうとする。だが、宿泊したリゾートホテルのレストランで出会った台湾人占い師に計画のことを気取られはしまいかと怯えてしまう。
ついに〝彼〟と顔を合わせた〝私〟は、計画を完遂するために〝彼〟をホテルの部屋へ誘い込む。
翌日、チュニス近郊の街シディ・ブ・サイドに移動した〝私〟はその青と白の二色に統一された小さな街に魅了されるが、それでもまだ晴れぬ気持ちを抱えていた。そんなとき、再び会った台湾人占い師の話に触発されてチュニジア周遊の旅に出る。南部の砂漠ツアーに参加し、様々な土地を巡る内、〝私〟の心は少しずつ変化していく。
――重厚な鎧戸の、ほんの少しの隙間から、朝の日差しが射し込んでいた。
薄暗い部屋は豪奢な気だるさの中に沈んで、シンと静まり返っていた。キングサイズのベッドの他に、グリーンのびろうど張りのソファ、猫脚のテーブル、そして少なくとも五歩は歩かなければならない距離のところに大きな鏡のついた化粧台がある。
――全く、ここの日差しときたら、こんな細い隙間からでも容赦なく入ってくる――。
心の中で独りごちながら、私は寝返りを打った。と言うのも、光を遮ってくれるはずの鎧戸の、ほんの五ミリほどの隙間から忍び込んだ光が、先ほどから狙いすましたようにちょうど私の目の上に当たっていたからだった。
チュニジアの太陽は強い。
そのことを、昨日チュニスのカルタゴ国際空港に降り立った時、私は嫌というほど思い知らされた。パリからの同じ便に乗っていて、ともに飛行機を降りた人達は、誰もがこの強烈な日差しのことをよく知っているようだった。それどころか、この国で生まれ、この国で育ち、先祖代々この国の気候風土の中で育まれてきた遺伝子を備えた褐色の肌を持つ人達は、この日差しを飼い慣らしているようにさえ見えた。
無帽で、肌を覆うものもほとんど身につけていなかった私は、半袖Tシャツに綿パンツという出で立ちで、たちまち難儀をした。突き刺すような強い日差しに、肌がジリジリと焼くように炙られる。ヨーロッパの、もう冬も間近かというような冷たい薄曇りの天候に慣れていた目には、この世界はあまりにも眩しかった。チュニスの十一月の平均気温は二十二度ということだったのでわざわざ飛行機の狭いラバトリーの中で着替え、薄ものばかりを身に纏っていた私は、慌ててスーツケースを開けると長袖のパーカーを取り出して羽織り、サングラスをかけた。周りのチュニジア人達は、そんな私にもの珍しそうな視線を投げかけてきた。
――チュニジアン・ルック――。
急にこんな造語が頭に浮かんだ。それはかつて、カナダである知人が話してくれたことから思いついたものだった。日本人である彼女が、夫の母親の地元であるスイスの山中の村を歩いていた時だった。「……」スイス人達が、まるでとんでもなく珍しいものを見たかのように、あんぐりと口を開けて、瞬きもせず、動きを止めたままじーっとこちらを凝視していたという。「スイス・ルックって言うんだって。見慣れないものを見かけた時、そうなっちゃうらしい。私、そんなに異様だったのかしらね」彼女はそう言って笑った。
そして、その時、それと全く同じことが起きていた。チュニジア人達は、歩く足を止め、仕事の手を休めて、この未知の土地に降り立ってあたふたしている新参者を、穴の開きそうなほどしつこく見つめてくるのだった。
……黒人でも白人でもない、勿論アジア人でもない不思議な容貌のその人達は、皆一様に人懐っこそうな柔らかい顔立ちをしていて、なぜか全体的に蜂蜜を思わせる雰囲気を漂わせていた。そして反対に彼らにとっても私の形状は、見慣れない奇妙なものだったのだろう。その眼差しは好奇心に溢れていて、もう無遠慮と言ってもいいほどのものだった。
私は、部屋を真っ暗にしないと眠れない性質だ。なのでベッドに入る前にきちんと鎧戸を閉めたはずなのに、この国の太陽は、そうはさせるかとばかりにこの国の人達の視線と同様、無遠慮にそれをすり抜けて侵入してくるのだった。
一人には広すぎるベッドの真ん中で、私は、パリを離れ更に遠い異国の地へやって来たことを実感していた。そして、昨日チュニジアへ降り立ってからのことを、ゆっくりと思い返していた。
――空港から市内に入ってすぐ、私はホテルにチェックインした。ボルドーのワイナリーでフランス人の老人がくれたアドバイスを思い出して、私は大きなリゾートホテルを選んだ。別段何を恐れているというわけでもないのだけれど、例えば個人経営の細々とやっているようなホテルの主人に迷惑はかけたくなかった。大資本の高級ホテルの方が、これから私がし起こそうとしている不祥事についても、おそらく不名誉な評判が立たないよう穏便に処理することができるだろう。
ホテルの中庭に面した瀟洒な茶館で簡単なランチを摂りながら、私はこの先の計画に思いを巡らした。……何ひとつミスせず、完璧に、隠密に、やりおおせなければならない。トマトソースのかかったクスクスは悪くなかったけれど、考えの只中にのめり込んでいる私は、感覚の奥深くまでそれを味わうことができなかった。
遂にこの国に来た。――その〝時〟は近づいている――。
砂糖のたっぷり入った甘過ぎるミントティーに辟易しながら、けれど私はどんどん思い詰めていった。テーブルの上に置いたスマートフォンに、手を伸ばすのを何度か躊躇った。
――今こそ、始める時だ――。
スマートフォンの画面を立ち上げて、SNSのメッセージアプリを起動させる数秒の間、固い決意と不安が交錯した。けれど、アプリが立ち上がった時、決意の方が打ち勝った。
彼の顔が思い出された。長い時を経ても、記憶からどうしても追い出せないイメージ……。
待っていなさいよ。
私は彼の連絡先を開くと、素っ気ないほど短いメッセージを打ち込んで、今度は迷わずに送信ボタンを押した。
「ハイ。どうしてる? 今、チュニスにいるよ」
Hi. How are you? I’m in Tunis now.
送信は上手くいったが、なかなか既読にはならなかった。けれど私は慌てなかった。いずれ彼は必ずこのメッセージを開くし、返信してくるという確信があった。なぜかはわからないけれど、はるばる日本からやって来た古い知り合いから連絡を受けて、それを無視するような男ではない。――少なくともその程度には、私は彼を知っていた。
第2話:「チュニジアより愛をこめて」 第2話|縣青那 (あがた せいな) (note.com)
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第17話:「チュニジアより愛をこめて」 第17話 最終回|縣青那 (あがた せいな) (note.com)
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