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初めてのソロキャンプ…2つの邂逅とひとつの閃きの覚え書き

50歳の誕生日を迎えた節目に、人生初のソロキャンプに行ってきました。すると、想像以上に素晴らしい時間を過ごせ、思いもよらぬ新たな発見と感動があったので、忘れないようにここに書き留めておこうと思いました。

ドイツのビールに恋して~黄昏のマリアージュ~

クロンバッハ ピルス

クロンバッハ ピルス
Krombacher Pils

ドイツのこのビールに惚れてしまった。

奇しくもそれは、初ソロキャンの記念日のこと。
偶然と言えば全くその通りなのだろうけど、ツマミとして持参していた生ハムのマリネに、感動するほど“合った”のである。
ミツカン製造のスパイスの効いたエキゾチックなマリネ液は、純ドイツ生まれのこのビールと衝撃的な邂逅を遂げた。
私の口の中で瞬時にして意気投合した両者は、互いに堅固な絆で結ばれ、舌の味蕾と上顎の間を反芻しながら鳴り響くファンファーレと共に、あれよあれよという間にマリアージュの坂道を駆け上っていったのだった。

曇った黄昏時のオートキャンプ場でひとり、綺麗な夕暮れの景色を見ることはかなわなかったけれど、思いもかけず現れたこの味覚の完璧な統合に深く感動し、自分らしい人生の節目を迎えられるような気がしたのだった。

この瞬間の記念に、缶は捨てずに保存することに決定!

青空はいつもそこにある

キャンプ場で、いつまでも空を眺めていた。

あいにく天気の一定しない日で、着いた時には晴れ間も見えていたのに、夕方になると空には灰色の雲がモクモクと広がり、時折遠くの方で雷鳴も聞こえたりして、楽しみにしていた綺麗な夕景はおあずけとなった。

仕方なく、持参のツマミを肴に美酒に酔いしれて過ごしていたのだが、アルコールが回ってきてちょうど良い気分になってきた頃、ふーっと上を見上げたくなって、座っていたフィールドチェアに頭をもたせかけて空を見上げた。

空は一面灰色の雲で覆われていた。何とも憂鬱な色合いではある。
ところが私は、その一連の雲の連なりの切れ間に、ちらと爽やかな青空を見たのだった。
黒雲から灰色、やや明るい灰色の雲とトーンアップしていく先に、ぽっかりと握り拳大の空隙があった。そしてその空隙は、小さいながら鮮やかな澄んだ空色を呈していた。

その時、私は突然知ったのだ。
「青空はいつもそこにある」ということを。
陰鬱な黒雲やはっきりしない灰色の雲などに一時的に遮られているだけで、あんなに健やかで美しい青空はいつも変わりなくそこに〝ある〟のだ。

人間と自然とは互いにリンクすると思っている。だからこそ、自然の中に身を置いたとき、人は本能的に深い癒しを覚えるのではないか。
それだけに、何気なく目の前にある自然現象に、人間の本質を見るということがある。

突然ふっと湧き起こる、タコ墨のような黒い感情、どこにも持っていきようのない、満たされない気持ち……。そんなものが、あの黒色や灰色の雲と同じようなものだとしたら…。
いつもあるはずの、私の〝私だけの青空〟がただ、それらに隠されているだけなのだとしたら……。

不意に心に閃いたこのアイデアと、あの雲間に見えた握り拳大の空色のイメージをしっかり覚えておけば、例え憂鬱な気分に襲われても、そんな自分を救うことが出来るかもしれない。嫌なことがあってそのことが頭から離れなかったり、心の中にふとわけのわからない不安が湧き上がっても、それは青空を一時的に遮る雲のようなもので、自分の心の中にはいつも変わりなく青空があるのだと、青空があることを自分は知っているのだということを心得ていれば……。
そんなことを考えた。

これは50の誕生日の翌日にソロキャンプに来て酒を飲み、酔っ払ったオバサンの放縦な心に浮かんだ戯れ言かもしれない。

でも、この発見は、あるいは思いつきは、思いがけず私の心に深く刺さった。何かすごい大発見をしたような気にすらなった。

この考えを心に刻み、忘れずに留めていたいと思って、ここに書きつけた。

真夜中のサプライズ

固い地面、夜になって急激に気温が下がったことなど様々な要因からテントの中でなかなか眠れずにいたら、トイレに行きたくなってしまった。深夜の底でしばらく逡巡したのち、思い切ってテントを出た。
時刻は午前3時過ぎ……テントを出て、私は驚いた。
何と、夜空の半分が、瞬く星でいっぱいなのだ。
私がテントを張っているサイトから受付のある小屋までの上の空はいまだくすんだ色の雲に覆われていたが、サイトから反対側の森に至るまでの空はくっきりと黒く晴れ渡り、驚くほど澄み切った星々に見下ろされているのだった。

今回はどちらかというと雨模様で、期待していた夕日も見ることが出来ずちょっと満足を次回に繰り越すような気持ちでいたのだけれど、深夜になってこのサプライズ! つい感動してしまった。

トイレから戻ってくると、もうひとつサプライズがあったことに気がついた。
何と、月も向こうの山から上りかけている。しかも初めて見る真下から満ちていく下弦の月である。
午前3時から4時というこんな時間に月が上るんだな……と、天体観測的な知識はゼロである私は、何だか面白く思った。

さて、素晴らしい夜空である。瞬く星々の美しさに目を奪われて、首が痛くなるほど長い時間空を見続けていた。
夜空の主役はおなじみのオリオン座。私にとって唯一認識可能な星座である。スマホでちょっと調べて、ベテルギウスとリゲルの位置を確認する。中学生ぐらいの時に習った昔懐かしい知識をおさらいした。左上端のベテルギウスと右下端のリゲルは1等星という明るい光を放つ星で、前者は赤く、後者は青白く光る。最初は気づかなかったが、よく見てみると確かにベテルギウスは赤い! 思わず我々昭和人(しょうわびと)の記憶に色濃く残る、復刻を願ってやまないあの伝説のアイス“宝石箱”に入っていた赤い氷を連想してしまった。リゲルは白っぽく見えるだけで青白いかどうかはよくわからなかったけれど……。

そんなことをしている間に、月は少しずつ空へと上っていった。左右どちらにも傾きの無い、真下から満ちるタイプの均整の取れた美しい下弦の月である。
下弦の月の意味するところはよく知らないが(帰宅後調べてみたら、休息を促すものらしい)、
月が上るにつれて、黒いシルエットで浮かんで見える木々の上付近が少しずつ白んでいくのがわかった。夜明けの気配が漂ってきた。
国境の長いトンネルを抜けると……というあの有名な小説の書き出しとは時代も土地も季節も全く違うが、なぜかあの一節が思い浮かんだ。
ともあれこの初秋の高台においても夜の底は白くなるのだ、と思った。

オリオンから目線を下ろした先のずっと向こう、奥の方には森があるのだろうか、その辺りでひどく甲高い引き延ばすような声で何かが鳴いた。多分鹿だろう。以前テレビで鹿は「カリーノ」と鳴くと聞いたことがあったが、今夜の声は「アアーン」とか「アイーン」とか言っているように聞こえた。だだっ子が必死に何かを訴えているような声だと思った。
鹿だという確信は無いものの、野生の動物が夜中に鳴く声を初めてリアルに聞いて、何だか嬉しくなる。

まさに草木も眠る時間帯、草いきれも昼間とは違ってすっかり収まり、草木の匂いがやけに落ち着いている。草や木も眠るのだということを私は初めて知った。虫達の声も、昼間から夕刻にかけてと比べればかなり控えめだ。

夜はどんどん白んでいく。下弦の月は音もなく静かに、けれど確実に上に上り、まだ漆黒を保っている空に散りばめられた星々は決して冷たくなく、むしろその輝きは温かく、潤って、濡れた瞳のようにすら感じられるのだった。
そんな星々の瞬きは限りなく優しく慈愛に満ちて、まるで「お前まあまあ頑張ってるじゃん」「そのままでいいんだよ」「ご褒美だよ」とでも言ってくれているかのようだった。

そこにあるのはただただ自分と自然とのエンカンウンター、感動的な邂逅だった。
もはや眠ることが出来なくなった私は、この静かな素晴らしい夜に、心を開いた。




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