【エッセイ】 誰にも言えない虫との交流
*人類が嫌いな虫第1位と第2位に関する話です。そう、Gと蚊。「絶対ダメ~😭」な方はスルーして下さいね。
2020年に執筆したものを改編したものです。公開するかどうかずっと迷っていましたが、思い切って公開で~す。
2020年の盛夏と初秋の時期、私はおそらく誰も理解してくれないだろう行為を2回ほどした。
そのどちらも、虫、それも害虫と呼ばれる種類に属する虫に関わる行為だ。
「何でそんなことするの」、「よくそんなことするね」と言う人はいるかもしれないが、「よくやったね」と褒めてくれる人はまずいないだろう……とひねくれ者の私はひとりほくそえむ。こういった日常からの逸脱行為を喜ぶのは変態の証拠だ。そして、小説家は変態であると言った人もいる。
さて、この夏のことだ。
私は買い物があって、近所のAコープに出かけていた。駐車場に車を停め、買い物バッグを肩に提げて店に入ろうとして、ふと見ると、Gが与太ついていた(刺激を避ける為、イニシャル表記としております)。
その茶色というよりは黒に近い色をした忌むべき害虫は、何のつもりか昼日中、燃えるようなアスファルトの上で、何とか日陰に入ろうとして四苦八苦しているのだった。
彼の体は既に衰弱していて、気持ち干からびて若干色も薄く元来よりも薄っぺらくなっているように見えた。そういう明らかな脱水状態の体で、「あづい、もう死ぬ、あそこの日陰まで辿り着けなかったらワシは確実に死ぬ、……」とでも言うかのように、必死の様子でへろへろと前進しているのである。
その時咄嗟に私が感じた印象は、勿論まず嫌悪感であった。普段から家の中で対面してしまうと、私は必ずこの害虫の命を奪うことを信念としていた。取り逃がして別の場所で再び会いまみえるなどということの起こらぬように、責任を持って、更には強い殺意を込めて、間一髪逃げられてしまう以外には、必ずこの害虫を駆除した。その方法は、壁の上の方などにいて手の届かない時には殺虫剤を使い、床の上で直近にうずくまっている場合などには手近な新聞紙の丸めたものや、時にはスリッパなども使った(スリッパは使用後にアルコールで消毒)。スリッパを振り下ろす時には何故か必ず「南無三!」と叫んでしまう。
だが、その日、燃える炎天下のアスファルトの上で煩悶するこの害虫の姿を見た時、私の中には平生とは別の感情が湧き起こった。紙のように薄っぺらい体になり、見るからに悲惨な状態を晒しながら、それでもなお生きようとしてバラバラにしか動かなくなった手足を動かし、よたよたと一心に日陰を目指して移動している彼の姿に、私はある感動のようなものを覚えた。
死にそうになっているGには、生に対するおそるべき執着と、生きようとする強い意志があった。その意志の力で、彼はまだ触角を動かし、でき得る限りの努力をして、一歩一歩、日陰を目指して進んでいるのである。
ひりつく熱さのアスファルトの上を靴や被服など何の防御もなしに這う彼の体は、見れば見るほど紙のように薄っぺらであった。昆虫がここまでの姿になってしまったら、まだまだ続くであろう暑い夏の日々を、生きながらえるのは難しいだろう。例え今日陰に辿り着くことができたとしても、あのGはもうそんなに生きられないに違いない、いや今日中に死んでしまうのではないだろうか、とその時私は思った。
これが家の中であったら、まず確実に命を奪いに行っていたであろうその害虫が、その日私は愛おしかった。戸外のことであるし、どこで誰が見ているかわからない状況だったので、瞬間湧き起こった反射的な嫌悪感のままに、わざわざ近づいて行って踏みつぶしたり、何かを持ってきて叩き殺すなどというようなことを、敢えてしようと思い立たなかったというのもある。けれどそれができたとしても、やはりその時私はしなかったのではなかろうか。そのGをじっと見つめている内に、見守るような気持ちにもなっていた。
真夏の午後、強烈な陽射しを反射して、小さな黒い体は一種異様な光を放っていた。もうすぐ生涯を終えるのであろう彼の、命の最期の輝きを見たような気がした。
「頑張って日陰に辿り着けよ」
そう心の中で呟き、密かに彼を応援しさえした。日頃あんなにも憎んでいる害虫を、そんな風に思ったのは自分でも意外だった。
でも、あの時彼の前へ前へ歩こうとしていた必死の姿は、無視できない“凄み”のようなものを、ずっと後になっても突きつけてくるのだった。
そして、それは今朝のこと。朝のコーヒーを飲みながら、情報収集の為に雑誌を読んでいた。
ふと見ると、炬燵のテーブルの上に、みるからにかぼそい、亡霊のような一匹の蚊がいた。蚊は体の色も薄くなり、痩せ細っていかにも弱々しい感じで、じっと私を見上げているようにも見えた。おそらくいつも人間を襲撃する時のように、自分の存在に気がついていない隙を狙って取りついてやろうと、そのタイミングを計っていたのだろう。
でも彼女(蚊は雌しか人間の血を吸わない)は私に見つかってしまった。じっと見つめ続けると、多少困惑しているようにも見える。勿論蚊の表情などわかるはずもないが、こちらの勝手な思い込みのせいか、私には、その時その蚊が「見つかってしまった! ……やばい……殺られるかもしれない」と、動きをピタッと止めて気配を消し、必死に死線を潜り抜けようとしているように見えたのである。
ともかく、必死の形相(のように見える)その蚊を、私はじっと凝視し続けた。全体的に体の色が薄く、小さくて、乾いていて、「もうダメ、もう死にます」とでも言うかのような、秋口の蚊によく見られる惨めな様相を呈している。
ふと私は、この蚊を憐れに思った。そしてあらぬことを考えた。どのみちこの先寒くなれば、この蚊は生き残れない。これはそういう種族だ。蚊の生態にそれほど詳しいわけではないが、温帯から亜熱帯にかかる日本という国に生まれ育ってきた経験から、彼らが晩秋には死に絶え、再び温かくなってその生命を復活させる時まで卵となってどこぞで凍える冬を凌ぎ通すという程度のことなら知っている。
だが目の前のこの個体に関しては、私が今このまま見過ごせば、必ず死ぬ。というより私は今、人差し指の腹を使ってこの儚い命を潰してしまうことも出来るのだ。それも、コーヒーを飲み、雑誌を読みながら、いとも簡単に。
今この蚊は私の血を吸わなければ死ぬが、私はこの蚊に血を吸われても、少しの間痒い思いをするだけで、痒み止めの薬を塗ればすぐに事なきを得ることが出来る。流行のニュースが出ている時期ならまだしも、基本的に衛生を常とする現代日本社会において、マラリアに感染するなどといったリスクは最小限ものだろう(リスクは決して無視出来ないが)。そうなると、蚊の攻撃を一度受けることなど、全く大した損害ではない。言わば、私の体にとって、それはほんの少しのダメージですらない。
だから今日は、私は逆の態度を取ろうと思った。そんなことをするなんて頭がおかしいと言われるかもしれないが、今日は現実に私はそれをやったのである。
(*絶対に真似しないで下さい。する人もいないでしょうが)
私は、左腕の袖をまくり上げて、腕を剥き出しにした。そして飢えたる蚊を誘い、更に〝おいでおいで〟をするように、テーブルの上に腕を置いてぴたりと静止した。
蚊は一瞬混乱したような様子を見せた(確かに見せたのである)。
「エッ!? いいんですか……? 本当にいいんですか?」
そんな声が聞こえた気がした。
だが蚊にとっては、おそらく飢え死にしそうになっているところに湯気の立つステーキを差し出されたようなものだったろう、たまらずそそそそと腕の方に近づいてきた。そこをピシャリとやられる可能性もあるわけだが、背に腹は替えられぬ、命さえも構っていられぬというほどに、腹が減っていたのだろう、その歩みに迷いはなかった。私は再び彼女のことを不憫に思った。
蚊は、最初遠慮がちに、おそるおそる私の腕に這い上ってきたが、私が動く気配がないというのを察知すると、途端に大胆になって、自分の好むところまで上ってくると、ささやかにその極小針のような口を私の肌に刺し込んだ。
不思議なもので、目の前で蚊が自分を刺すところを見ていても、一体いつ刺したものかわからない。サイズ的に無論皮膚に針の入るところを目視することは不可能であるし、あっ、今刺した! と自覚出来る瞬間もない。今日私を刺した蚊が痩せ細り過ぎていてその針も小さくなっていた為だろうか、それとも熟練の看護師のように、彼女が個人的に針を刺す技術が高かったということなのだろうか? ……確かに、蚊でも時折あいたっ! と針を刺してくる瞬間がわかる下手くそな奴がいる。
話は少し逸れるが、蚊という生き物は何故置き土産のように、肌の上に痒みや炎症を残していくのだろう? 願わくば、気づかれないようにそっと刺してそっと血を吸って、相手が血を吸われたことに気づかないようにそっと去っていきたいものだろうに。その方が、人間達に気づかれずに、また後に何度でも血を吸いに戻ってくることが出来るのではないか?
私は勝手な想像を巡らす。
蚊達は血を吸って満足した瞬間に、つい油断してしまうのではないだろうか? ああ美味しい血、美味しかった~……と、蚊の脳内にエンドルフィンかドーパミンのような快楽物質が出た途端、人間に気づかれてしまう痒みや炎症を起こす物質をうっかり漏らしてしまうのではないだろうか?
蚊達め。その油断が命取りになるのだ。
ともかく、今日私の腕に熱烈歓迎で招待されたレディは、彼女自身もまた熱狂的に食事を楽しみ、存分に栄養補給をした。彼女に食事を提供したご褒美と言おうか、彼女がその幸運を楽しむ様を私は間近でつぶさに見ることが出来た。
消え入りそうな心細い色合いだった蚊の体は見る見る色を取り戻していき、空っぽだった胴体のタンクが少しずつ赤い血の色で満たされていくのが見えた。それには割と時間がかかって、ゆっくり2,3分は吸っていただろうか。いつも蚊はこれだけの時間を人間の皮膚に取りついて、しれっと血を吸っているのだなあと、今更ながら感心した次第である。
透明だった腹部のタンクが8割がた満たされたように見えた頃、僅かに痒みが感じられ始めた。ああ、この辺か……と私は思った。いつもはこの辺で痒み物質を漏らしてしまって人間に気づかれ、ピシャッとやられてしまうか、それともギリギリのところで身をかわし、もう少しでタンクを満タンに出来るところを諦めて、宙にフワッと退避しているのだな……。
段々とお前達のことがわかってきたよ……。
私は心の中で呟いていた。
だが、蚊よ。今日はお前のタンクを一杯にするがいい。燃料タンクを満杯にして、この冬に備えるのだ。どこかの水場へ行ってボウフラの卵を沢山生むがいい。お前はこの冬息絶えても、来年の春にはお前の沢山のジュニア達が生まれ、親から受け継いだ生をまた謳歌してくれることだろう。
あなた達はそうやって生き継いできたのだ。
雌の蚊は、満足するまで私の血を吸うと、すっかり立派な体に膨れ上がって、猫のキャットタワーの壁に留まった。その体は今や真っ黒になって、まるで別の生き物のようだった。腹部のタンクの中には、赤い生命の色がみなぎっている。
その様子を見ながら、私はまた不埒にもこのようなことを考えた。
今日この蚊の命を取らずに救ったことで、私にもいつか犍陀多のように蜘蛛の糸が降りてくるようなことがあるやもしれない。お釈迦様はご覧になっているはずだ。
その時私はどうするだろうか。犍陀多のように、下から足を引っ張る人々を蹴り落とそうとするだろうか。
願わくば、人々を蹴り落とそうとすることのないような慈悲の心を持っていたい。
そう思った。
2020.10.23(金)