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眠れないということ

月曜日の朝。

昨夜はよく眠れなかった。いや。熟睡度という点において言えば、全く眠れていないと言っていい。
40代後半になってから、時々こういう夜があるようになった。眠れないということであれば、起きて何か書きものでもすればいいじゃないかと、不眠を実際に経験するまでは気軽に考えていた。

ところが現実は、そんな甘いものではなかった。

眠れない夜、眠れない人は寝床の中で懸命に眠ろうとする。
「眠ろうとする」こと自体がアクティビティで、それに集中するあまり彼/彼女は他のことをする余裕が無い。それどころか、眠ろうと頑張ることに必死過ぎて、それ以外のことが出来るという可能性にさえ気づかない。
それでずっと悶々と寝返りを繰り返していた。無意味にSNSを開き、何度も見た情報を見続けていたり、以前撮った写真を延々眺めていたり。
30代の頃までは爆睡型で、朝まで一度も目を覚ますことなど無かったのに、今はほとんど毎晩一度はトイレに起きる。

何てことだ。
とは思うものの、これが寄る年波というものか(嫌な言葉だ)。
心でそのような自覚は無くとも、体の変化は押し留めようが無い。
誰もが辿る道だ、と心を慰めてみても、何か虚しい。

圧倒的な睡眠不足を自覚し、半分寝ボケまなこの状態のくせに、
つらつらとこんな文章をまた書いている。

何でそんなに書くんだよ、
と自分自身に問うてみる。

――書きたいからだよ、

と答えが返ってくる。

思い返せばもうずっと長い間自分らしくいられなくて、「自分らしい」ってどういうことだったろう? と思うほどになっている。
それを思い出そうとするかのように、〝懐かしスタイル〟で筆を執っているのかもしれない。
昔やっていた通りに、自分なりの作法に従って。
PCのキーボードを叩くのでも
スマホの画面をフリック&タップするのでもなく、
利き手の右手を使って紙の上に、思いのたけ、、をそのまま綴る、
という行為を。

文字で埋め尽くされた紙面を見るのが好きだ。少なくとも、何かを成し遂げたという満足感があるから。

私のこの傾向は、もしかすると何かやや病的なものなのかもしれない。
けれど目的も無くただこうやって文章を書きなぐることは、自分の中にある虚無だとか不安な空白を埋めることの出来る、意味のある行動だとは思う。


2024年11月1日㈮ 紙のノートに書きなぐった文章を起こす

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