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まちをえがく 

neneはまちのお絵かき屋さん、星読み作家。
ツネは建築家で画家。夫婦ふたりで絵本作家。
そんなふたりが絵でまちづくりをする事になったお話し。

1.プロローグ

♦︎画家の夢

私、ツネこと嵯峨常功は、子供の頃の夢は画家だった。
4.5歳の頃だと思う。幼稚園ではいじめられてあまり楽しい記憶がないが、
母を描いた絵が何かのコンクールで賞を頂き、その時両親が喜んでいたのが自分も嬉しく一番記憶に残っている。

当時は職業の事なんて考えてなかったので、小学生や中高では絵を描くのが好きなただの子供だった。

大学受験の時に父親に画家になりたいと告げたが、画家だと飯食っていけないと反対され諦めた。父が建築関係の仕事をしていたので、父の勧めで建築学科のある大学にやる気ゼロで入学した。

母はやりたい事があるなら応援してくれる人だった。

今思えば、親の反対も押し切るぐらいの気力がないと画家にはなれなかったのかもしれない。

単に自分の努力不足。

大学に入り、やる気ゼロだった僕は、卒業の時には学長賞を頂けるぐらいまで建築にのめり込んだ。

♦︎建築家の夢

大学で建築の楽しさに目覚め、次の夢は建築家だった。そのきっかけとなった出来事は、地元大分で今でも開催されているうすき竹宵というお祭りである。

臼杵はglobeのkeikoの出身地で、城下町の海辺のまちである。小さい頃から親に連れられて訪れた事がある。

小さい頃のイメージは寂れたまちだった。
アーケードのある商店街はシャーターが閉まってもの寂しい雰囲気だったのをよく覚えている。

そのまちに大学の研究室のワークショップで数年ぶりに訪れた時に、まちなみが一変していてびっくりした。

寂れていたアーケード街はアーケードが取り外され、昔の城下町を思い出させる石畳やお店も漆喰の模様を取り入れたオシャレな外装が増えていた。

何がこのまちを変えたのか気になりながらうすき竹宵のワークショップに参加した。

♦︎まちを変えたお祭り

うすき竹宵は、増えすぎて地元の邪魔物だった竹を中にキャンドルを入れ灯篭してあかりでまちを灯すお祭りである。現在は全国各地にみられる竹灯籠の元祖でもある。
今では商店街だけでなく、裏路地の民家の前にまで竹灯篭は飾られ市内中に何万本という竹灯篭が埋めつく。

↑画像はうすき竹宵HPから

僕ら大学の研究室のチームは、竹を利用した立体オブジェを製作しにきていた。

僕らの様な大学生やアーティストも数多く参加して3日間のイベントは県内外から数万人が訪れる大きなイベントとなっていた。

影をテーマにしたオブジェクト「影酔」

イベントの打ち上げの時に地元の方や、仕掛け人の崇城大学の教授のお話を伺う事が出来た。

僕は、疑問に思っていた、まちなみが変わった理由を尋ねた。

そうすると、地元方々は、このうすき竹宵がきっかけだと答えた。

当時は8年目の開催だったが、最初は規模も小さく、他所からやってきた大学教授のまちおこしに協力する人は少なかったという。

しかし、諦めずに回数を重ねる事で徐々に地元方の理解が得られ数年後には地元の方が率先してイベントを主催するようになったという。

せっかくまちに来てくれる人がいるのなら見栄えも良くしたいと、地元の人がお金を出し合いアーケードを撤去したり、石畳みを舗装したという。

そうしていると、奇跡的に大林宣彦監督映画「なごり雪」の舞台になり、竹宵のイベントもワンシーンに登場することになり、寂れたまちは誇れるまちに変わっていったという。


ひとつのあかりがまちを変え、僕の心にもあかりを灯した。

続く・・・

■ツネカネ-tsunekane-
・ツネ(嵯峨 常功)
 建築家、画家、絵本作家。
・nene (嵯峨 茜)
 まちのお絵かき屋さん、星読み作家、絵本作家。

■ツネカネでの活動
2014
・結婚を機に二人でイラストを描き始める
2021
・森展(川崎市多摩区)出展。
・ 出展を機に絵本「きりんとねこの探し物」を自費出版
・ ベーグルカンパニー(向ヶ丘遊園)の玄関にウインドウアート
2022
・森展(川崎市多摩区)出展。
・ノートリボーにイラスト寄稿
2023 
・ベーグルカンパニー(向ヶ丘遊園)の玄関にウインドウアート
・森展(多摩区)出展。
・ノートリボーにイラスト寄稿
・フリーぺーパーSOYOTOの表紙に寄稿
・ 商業ビルGINZA FOREST(向ヶ丘遊園)のマスコットキャラクター
  ぽぽまるのキャラクターデザイン(nene)
2024
・みんなの空き地(登戸)の切り株看板のイラスト作成
 (ツネカネ+まちのみんな)
・落書き看板(登戸)の看板絵作成(ツネカネ+まちのみんな)

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