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【御礼完結】プロバスケ選手になる!そして少年は大人になった
2019年10月にチェコに渡り、プロバスケリーグ4部のチームに入った息子の奮闘をつづっておりましたが、2020年7月20日の記事を最後に放置しておりました。
皆さまお元気でしょうか。その節は息子の奮闘をお心留めくださりありがとうございました。今回その顛末をご報告できる形がつきましたので、ご報告申し上げます。心を込めて最後の記事、お送りいたします。
【コロナ禍でリーグも練習も中止に】
皆さまご記憶にありますでしょうか、コロナが世界中に蔓延し、多くの国々が外国との出入りを封鎖したことを。
ヨーロッパは外出禁止などが日本よりも厳しく、息子は広くて寒くて暗い部屋で、誰とも会えない、話せない日が何日も続いたようです。
コロナが始まり試合や練習は全面禁止。2020年年初に予定されていたプレーオフや、春に始まる3on3のリーグも中止に。監督からは「経験を積むため、3on3にも出るんだ!」と言われ、張り切っていた息子・トミキはがっかり。
3on3はプロリーグの下部リーグのような位置づけでもあり、プロリーグほどではないにしろギャラも出ます。小さな選手も活躍していたため、自分にもチャンスがありそうだと、期待もあったようです。
私のほうはビザの関係で滞在していたクロアチアから、いったん日本に帰国。当初はすぐにチェコに戻るつもりが、それも叶わず。
息子も母親も、方針の定まらない宙ぶらりんの状態に陥ったわけです。
【友達のいるチェコに戻りたい】
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2020年秋、チェコのバスケットボールリーグは例年通りスタートしました。
でも息子は、チームの練習にもリーグにも復帰せず、ビザの切れる直前に帰国することになりました。
本人にとっては、不本意な、そして大きな挫折を抱えた帰国だったでしょう。
「でもやっぱり、友達のいるチェコに帰りたい。友達に会いたい」
帰国した息子の気持ちは、その一心でした。
細かな経緯は省きますが、約2年間の準備を経て、ビザ取得に必要な書類を出してくれる雇い主が見つかり、2022年秋に再びチェコへ。ただ、そこは相手がチェコ人ですから(笑)、間に合わずいったん帰国。
三度目の正直で、今度は自力でのビザ取得を目指して準備したうえで、2023年7月に再びチェコへ。現在はオンラインで日本の仕事をしつつ、起業資金をためつつ、チェコ語の練習をしています。
【25歳になったトミキ、チェコ美人と結婚!】
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今年、2024年の3月ごろですかね、久々の息子からのLINE電話。
「お母さん、6月に結婚式するよ」
ええええーーーっっっ?!?!
ちょっと頭が追いつきません。結婚?チェコの人と?
えーと就労ビザは取れたの?大丈夫なの?結婚、早すぎない?
「チェコ人だよ。就労ビザがもし取れなかったら帰国するって話したら、それなら結婚しようって言われて。あなたは私といつか別れるつもりなのか、そうではないのなら、だったら結婚すればビザもクリアできるって話になって」
え?じゃあ、就労ビザは取らないで結婚したビザになるってこと?
「ビザは1種類しか取れないんだよ。だから結婚ビザになるけど、万が一離婚しても………」
……このあとの説明が何度聞いてもよくわからないのですが、とにかく離婚しても滞在できて働けるビザが、あと2年くらいいれば取得できるから大丈夫なんだそうです。まあ、よくわからないけど、私がわかっていてもわからなくても影響はないからいっか。
そんなこんなで今年6月、私もひさびさにチェコに行きまして、息子の結婚式&1カ月の夏休みを楽しんできました。
【あたたかい家族や仲間に囲まれて】
思い起こせば20才でチェコに渡った息子が、25歳。あっという間の5年でした。
こんな美人が息子で大丈夫なんだろうか?と思いましたが、BTSのお蔭でアジア人人気が上がっており、あちらのお母さんは「こんなイケメンの子が、うちの娘でいいんだろうか」と同じことを思ったんだそう。そうなんですか、お互いそう思っているんなら平和でいいですよね。
何より一番近くにいる母親が結婚に失敗しているせいで、まったく結婚に希望を感じられず、バスケを辞めたあとは「将来は大きな犬を飼って1人で暮らしたい」といっていた息子が、結婚しようと思えたことが何よりも嬉しく。
そんな息子をよいと思い、気持ちをかけてくれる相手がいること、そしてあちらの家族が、日本人の息子を全面的に受け入れ、いろいろと手助けをしてくれている様子が、とにかくありがたいことでした。
チェコの結婚式は、すべて手作り。家の庭を家族で飾り付け、料理もママの二番目の夫で現在のボーイフレンドのおじさんが、数日前から仕込んでふるまってくれました。
キュートで美しい、心温まる結婚式でした。
【最後に】
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これが、息子のバスケチャレンジの結末です。
ドラマは起きませんでした。でも今回ブログ移設にあたって、久々に拾い読みをすると、ヒリヒリするような、まさに青春がそこにありました。
拾い読みするだけの私がそう思うのだから、本人はどれ程のヒリヒリのなかでいたんだろうと思うと、喉を締められるような気持になります。
コート上の空気もユニホームの肌触りも、すべて息子だけのもの。
お前には才能がないから諦めろと、私が言っていたらどうだったんだろう。大学を出て普通に就職をすれば、少なくとももう少し安定した生活を送れているのかもしれない…などと、せんのないことを考えてしまいます。
「母親」とは何なのか。親として私は正しいことが、できなかったんだろうか。いまだに結論を出すことができません。
夢見たものではないけれど、別の幸せの形を見つけた今。
息子がいつか、このチャレンジに身を投じた自分を、誇りに思ってくれるといいなと、願わずにはいられません。
何も持たない息子が、精一杯の大きなチャレンジに挑んだ姿を、記録しておいてよかったと思います。それができたのは、こういった場所があり、読んでくれる皆さまがいたからでした。ありがとうございました。