映画『花束みたいな恋をした』感想 サブカル人必中・必殺、地獄の恋愛映画
長い感想文になってしまいました。この作品観たら、語りたくなっちゃいますね。映画『花束みたいな恋をした』感想です。
お互いに終電を逃したことで、知り合った大学生の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)。好きな本、音楽、漫画や映画など、驚くほど趣味の合う2人が恋に落ちるのに、そう時間はかからなかった。大学を卒業後、イラストレーターを目指す麦はイラストのカット描きを、絹はアルバイトをしながら同棲を始める。お気に入りのパン屋を見つけ、捨て猫を拾って飼い始め、同じ漫画を2人で読む。麦はそんな愛おしい日々を維持するために、安定した収入を得ようと就職して働き始めるが…という物語。
昨年公開の『罪の声』も記憶に新しい土井裕泰が監督を務めた作品ですが、脚本担当の坂元裕二の方が、名前が前に出ていますね。坂元裕二さんは、『Mother』『最高の離婚』『カルテット』など、TVドラマで名作を続々生み出している脚本家で、僕は満島ひかりと瑛太(現・永山瑛太)が主演の『それでも、生きてゆく』を観た時に衝撃を受けて、それ以来、地上波の連ドラは欠かさずに観ている脚本家です。土井監督とは『カルテット』でも組んでいたようですね。
坂元裕二さんの脚本は、台詞やモノローグの言葉が物凄く特徴的で、言葉の積み重ねによる芸術といってもいいくらいなんですよね。ハッとさせられる心情、自分で感じていても言語化できていなかった気持ちが、言葉で形になっていくという快感があると思います。
ただ、映画作品というのは、映像で状況や心理を表現するものが評価される傾向ではあるので、坂元さんの脚本だとどうなのかという懸念があったんですけど、結果としては、坂元作品の中でも異常にポップで分かりやすい作品になったと思います。
心情を全て台詞やモノローグで説明しているんですけど、これって本来なら、映画だと一番アウトな手法だと思うんですよね。ところが、この言葉が非常にクセがある魅せ方をしているので、全く煩くないし、言葉のエンタメ性を楽しむ物語になっていると思います。物語自体はとてもシンプルな恋愛を描いているので、連ドラの坂元作品よりも、結果として分かりやすい作品になったと思います。
まず、序盤の「食パンを落とした時、床に着くのはバターを塗った面」というシーン。こういう、「なぜ今まで誰も言わなかったんだろう?」と思ってしまうような「あるある」が、坂元さんが書く言葉の大きな特色ですよね。これはユーモアとして入れられたものですが、こういう自分だけの体験だと思っていた事柄や心情で物語を繰り広げているので、刺さる人には、深々と刺さるドラマになるんだと思います。
今作の最大の特徴は、恋愛模様よりも、麦くんと絹ちゃんの趣味の部分、いわゆる「サブカルチャー」の描写ですよね。実在のあらゆる作品名が登場して、その作品・作家を好きな人はもちろん、漫画・音楽・小説に造詣の深い人は、首がもげるほどに頷いて共感する描写が、あちこちで登場します。
この映画のレビューを、ネットでつらつらと眺めていた時、「主人公2人の共通項がサブカルばかりで、互いのどこを好きになったのかがわからない。もっとコミュニケーションを取らないと」という感想を見かけました。これって分かっていないようで、物凄く本質を突いた感想でもあると思ったんですよね。
サブカルの人間にとって、自分の好きな作品が、自己表現とコミュニケーションのツールなんですよ。僕も、好きな女性に漫画を貸したり、お気に入りの楽曲を並べたCD-Rを焼いてプレゼントしたりして、「何とも言えない味のある表情」でお礼を言われた記憶があります。向こうからしたら、ほぼほぼ暴力だったと思うんですけど。
サブカル人種における趣味の合う相手との恋愛なんて、「冴えない男子の地味な頑張りに気付くクラスのマドンナ」や、「不動産屋の手違いで学校一のイケメンと同居生活」くらい確率の低い展開なわけで、今作品の前半はそのイチャイチャを見せつけられるんですけど、これを地獄のフリにして、後半の同棲生活では徹底的にリアリスティックな恋愛を見せつけてくるのが、流石の坂元脚本ですね。
趣味の合う人間とはいえ、麦くんと絹ちゃんは違う別個の人間であるというのが当然なわけで、その違いが同棲、就職を経て浮き彫りになっていくんですけど、実は出会いの時点でも周到にそこは描かれているんですよね。
押井守監督(本人役で出演)が2人の会話の切っ掛けなんですけど、麦くんは「神」と言っているのに対して、絹ちゃんは「好き嫌いは別として一般常識として知っておくべき」という認識で、ここに2人の趣味が合うとはいえ、やはり別の感性を持っているという表現が入れられているんだと思います。「好き嫌いは別として」で「押井守」を使用しているのも、ナイスチョイス。
就職してからの麦くんが、資本主義社会に毒されていく感じ、未だにサブカルを手放せない自分としては、全く肯定できない雰囲気ですね。完全に絹ちゃんの味方をしてしまいます。ただ、仕事の成果主義に染まってしまい、古くからのマッチョイズム的に大黒柱であろうとする姿は、確かにめちゃくちゃリアリティある描写で、理解は出来るんですよね。
就職・結婚を経た友人と会った際、自己啓発書を読んでいると話されて、そんなタイプでは全くなかったので、内心仰天したことがあります。僕は、三十近くなってから定職に就いたので、さほどでもなかったのかもしれませんが、二十代の早い時期は人格形成の真っ只中でもあるので、かなり影響を受けてしまうのかもしれません。その後、友人は転職を経たら、わりと元のバランスに戻った感じでした。
後半は、いわゆる倦怠期となったカップルを描いているので、結構ダラダラした空気感が続くんですよね。観客側にも、友達カップルから別れる相談を受けているような、面倒くさい雰囲気を味わうことになります。
映画『劇場』でも、別れに向かう恋を描いていましたが、あの作品が別れに向かえば向かうほど哀しい輝きを増していったのに対して、本作は前半の輝きが次第にくすんでいくという描き方になっています。普通の映画作品のように、盛り上がる面白さを求めている人はここで失速したかのように感じるかもしれません。
ただ、その倦怠をバネにして、やはり最後には美しさに転換するラストを持ってきているんですね。ここで使用される清原果耶の演技力も相まって、凄まじいカタルシスを生み出しています。この清原果耶ちゃん、マジで凄いんですよね。普通のキラキラした微笑ましいだけの場面なんですけど、前半の1シーン1シーン全てを思い出させる形となって、滂沱の涙を誘ってきます。もはや、フル装備したランボーが、全弾撃ち尽くす勢いで敵を殲滅しているかのようなクライマックス。
やはり坂元裕二さんの脚本は、ちょっと別格の位置に存在していると思わざるを得ません。この脚本力は、比類ないものになっています。
けれども、連ドラ作品では、毎週毎週、殺す気かというほど、心を抉ってくる展開だったので、今作も観る前から、かなり身構えて臨んでしまったんですよね。観終わった後、思ったよりも(坂元作品にしては)可愛らしい恋物語であったので、拍子抜けしたのも事実です。
自分の世代よりもかなり若く、サブカル作品も自分にとってはちょっとズレていたのも原因かとは思うんですよね。麦くんと絹ちゃんの好きなものって、その時の新作ばかりで、あまり古いものを掘り返す、いわゆる「ディグる」という行為が見られなかったかもしれません。音楽の趣味で「Awesome City Club」が代表的な登場をしているのもあり、ちょっとファッション寄りのサブカルに感じてしまいました(こういう難癖付けるとこも、サブカル人のダメな部分ですね)。
でも、何よりもシンプルに、僕はこういう深い恋愛関係を体験してこなかったから、そこまでダメージが無かったのかもしれないんですよね。こんなにお互いを深く知って傷ついたりする仲になる、もっと手前で終わってきている感じなんですよ。
それに気づいた時、神経が死んでいる肉を抉られた気持ちになりました。
脚本力の魅力ばかり書いてしまいましたが、もちろん、主演2人の演技も素晴らしいものでした。本当に麦くんと絹ちゃんと友達になったかのように入り込んでしまいます。菅田将暉と有村架純はベストキャストだと思います。観終わった後も、実在しているかのように、麦くんと絹ちゃんのその後に、想いを馳せてしまっています。
ちなみに、この作品を観た人には、ベル&セバスチャンというバンドの『Perfect Couples』という名曲を聴いてもらいたいですね。この物語を外側から見ると、この曲の歌詞になると思います。