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優しさに飾りはいらない

書ききれないほどある彼の好きなところのうち、
先日は「音楽」について書いた。

今日は「優しさ」について。
なぜこのテーマか。まさに今日、ひしひしと感じることがあったから。

ランチの写真が彼から送られてきた。カレーだった。
(余談だが大阪はカレーのレベルが高いと個人的には思う)
「おいしそう!」と言うと「今度一緒に食べに行こうな」と来た。
優しい。
仕事でちょっと落ち込むことがあったがあっという間に立ち直れた(単純)。

彼の優しさは本質を突いているといつも思う。
エレベーターでは常に女性を上段に立たせるとか、車のドアを開けてあげるとか、そういうことじゃない。

初めてうちに来た際も、翌朝「これ晩ごはん代」と言って私の手にお金を渡し、颯爽と帰っていった。
後で「お金、気を遣ってくれてありがとう」と伝えたら、
「もっとスマートに渡したかったのに、あんな感じになってごめん」と返って来た。
そうだ。そういうところだ。
無骨で着飾っていない優しさがそこにはある。


私が大阪に帰る新幹線を待っている間、駅構内で立ち話をしていた。
身振り手振りで話していると、さっと腕を引かれた。
なんだ?と思っていると、私のそばを人が通って行った。あのまま話していたら私の腕がぶつかっていた。
「私と話しながらちゃんと周り見てるのすごいね」と言ったら、
「足音も聞こえてたし、そんなのわかるって」と当たり前のように言われた。

日常生活の中でもふとしたときに彼の優しさを思い出す。
我先にと順番抜かしをする人を見て嫌な気分になるが、「彼なら絶対そんなことしないな。むしろせっかちな私をたしなめてくれるくらい。そんな人が彼で嬉しいな」と温かい気持ちになるのだ。

周囲に気を配り、どう振る舞うべきかを瞬時に判断している。
当たり前のように思えるが、これが自然にできる人は大人でも結構少ない。
「やらなければ」という気持ちでは長続きしないし、早晩馬脚を露わすものだ。
彼はずっと変わらない。
マイペースに見えて、実はとても気を遣う人で繊細でもある。

きっと本人は当たり前のことだと思っているんだろうな。感動や称賛されるほどではないと思っているはず。
そんな彼の優しさを見守ることができて私は幸せだと思う。改めて。

トップ画像のような花束はきっとくれないけど(以前テレビを観ながら言及した際、恥ずかしいし買えないとか言ってた記憶)、きれいなブーケのような愛はもらっているよ。

ありがとう。


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