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対話について書き連ねたいのに、なぜに藤井風について書くのか
このnoteを再開した目的は、「対話(気づきのある会話)」について深めるため。なんだかピリピリとした毎日の中、サステナブルに暮らすために、「対話」がなんだかとても役立ちそう!という仮説をもっていて、その実践とそこから得られた考察をアウトプットすることで、次のステップに進みたいなーーーと、そんな感じ。
対話って、誰かと会話することではなくて、自分の内面とつながる会話のことじゃないか?と思っている。自然や絵画とだって「対話する」って言うし。決して、バーバルなやり取りが必要なわけではなく、ノンバーバルの中からでも、自分のなかに湧き起こる何かをつかむのが、「対話」の醍醐味なんじゃないかと。
自分の反応や、感情にそっと向き合う時間。
そこから何らかの気づきを得て、新たな一歩を踏み出す。
いや、別に新たな一歩を踏み出せなくたって、「あぁ、わたしってこうなんだなぁ」としみじみと感じるだけでも、充分だと思ってる。
自分の中にいた、小さな小さなカケラとつながる。
そんな風に「対話」のことをとらえていて。
で、藤井風って、自分との対話がとても自在にできている人なんじゃないかなーと思って興味をもったってのもあるのかも。かも。