何度引っ越しても、いま暮らす場所が帰る場所だから
現代人は一生のうちでどれくらい引っ越しをするのだろう。
少ないひとはゼロかもしれない。
多いひとは、数か月に一度、なんていうひともいる。
もっとも多い「引っ越し」をする部類の人々は、伝統的には季節移動生活をしている遊牧民だろう。
昨今では、そのような遊牧民の伝統を受け継いでいるのか、ノマドワーカーと呼ばれるひとたちの中には、家までなくてホテルなどを転々と暮らしているひとまでいる。そういうひとたちは、そもそも引っ越しの概念がないわけだ。
自分はというと、子どものころはわりと引っ越しをした方だと思う。
親の仕事の都合で、家族で2年から4年に一回の頻度で引っ越した。
必然的に転校をするわけで、わたしは小学校3か所、中学校2か所に通っている。
学部時代、大学近くにアパートを借りて一人暮らしを始めた。その後は留学したり両親宅に戻ったりして、ジンバブエ滞在から帰国後、またずっと一人暮らしを続けてきた。
地元はどこかと尋ねられれば、生まれ育った場所というものがないため、これまでの人生でずっと答えづらさを感じてきた。
似たようなひとは多いだろう。故郷はどこかと言われても、いくつもあるような、ひとつもないような気がしてしまう。
作家ベッシー・ヘッドも、そのような部類のひとだ。
1937年白人の母親のもと南アフリカはピーターマリッツブルグの精神病院で生まれ、その後、孤児のように育ち南アフリカのパスポートがもらえないままボツワナへ亡命したあとも、帰ることもできず長い年月ボツワナ市民権も得られないまま暮らした。色んな国に亡命しようとも考えていたが、結局はボツワナにとどまってそこで亡くなった。
彼女も、自分が属する土地はどこなのか探していたともいえる。
結局は、ボツワナを故郷として選び取ったわけだ。
もちろんそんな彼女とはまるで境遇が違うわたしだが、少しだけ想像でき共感できる部分もある。
いま暮らしている場所が帰るところ。
この感覚は、生まれ育った土地が明確なひととはあまり共有できない。
一度、上記のことをひとに話したら、えーーっ!?今いるところは一時的にいるだけ!と一蹴されてしまったことがある。
でも、いま暮らしている場所が帰るところという考え方が、自分にはいちばんしっくりくると思っている。
いまここにある自分の生活を良くするために、好きなだけ力を注ぎたくなるからだ。
どうせすぐに移動するのだとしても、やっぱりいまここがとても大切なのだと考えられるから。人生のエンジョイ濃度が高まるではないか。
そんなわけで、2024年1月のいちばん最後の日、わたしは人生で何度目かわからない引っ越しをした。
前の部屋には何だかんだと7年半も住んでしまったので、人生最長クラスに長い。
引っ越し先は距離的にはそれほど遠くないが、まったく新しい生活スタイルだ。
まだ部屋には段ボールが壁のように積み上げられているが、ここでの暮らしを最大限楽しむために、ひとつずつ整えていきたい。ここを帰る場所としたいと思っている。
エッセイ100本プロジェクト(2023年9月start)
【15/100本】
この記事が参加している募集
言葉と文章が心に響いたら、サポートいただけるとうれしいです。