再び、1968年When Rain Clouds Gather『雨雲のあつまるとき』の一節。若き未亡人のポリーナは、村に来てまだ1年半でシングルマザー。人一倍気が強くリーダーシップを握るタイプの強い女性だ。保守的な村の女性たちは、そんな彼女を妬んでいる様子が見て取れる。村の生活の中で男を立てることで生活を保ってきた彼女たちにとって、嘘をつかないストレートで強気なポリーナは、疎ましくも妬ましくもある存在なのだろう。
そして男たちにとっても、ポリーナのような強いタイプは脅威でもあった。彼女を恐れるあまり、彼女を悪く言う弱い男たちが描かれている。
これは、1960年代南アフリカでジャーナリストをしていた教養の豊かなベッシー・ヘッドというシングルマザーが、保守的な村に亡命してきたときの様子なのではないのかなと、わたしはいつも思う。この物語は、まさにベッシーと同じく南アフリカから亡命してきた元ジャーナリストの青年が主人公ではあるのだが、こうして所々にベッシー自身が村で感じてきたことが、登場人物に投影されているように感じる。
歪んだ妬みに悪い噂を立てられるなど、ベッシー自身も村に馴染むことは難しかった。それもあり、村の外国人ボランティアや移住してきた外国人などとの付き合いの方が多かったのかもしれない。(言葉の問題もあっただろう。ベッシーは亡くなるまで22年間ボツワナにいたがツワナ語を話せなかった)
女が抑圧された農村の生活の中で、自分たちのフラストレーションを外からやってきた「持てる者」に対してぶつける。
この構図は、いつでもどの時代でも、存在するものなのかもしれない。
こんなにあっさりと書いている段落の中で、何年にもわたる苦しい思いが見て取れる。
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