今回は、昨年わたしが初めて手に入れた日本の雑誌に掲載されたベッシー・ヘッドの手紙のほぼ全文を引用した。
1998年、初めてボツワナはセロウェのミュージアムでアーカイブ調査した大学生のときに気になっていた資料があった。ベッシー・ヘッド宛てに出版社やエージェントを経由して届いた日本の文芸誌・集英社の「すばる」寄稿依頼だ。
手紙が書かれたのは1982年末。「海外アンケート特集:世界の作家に問う核状況下における文学者の態度」と題した特集が組まれ、世界各地の作家が寄稿している。「核戦争の危機を訴える文学者の声明」が出され、それに対する考えを作家に問うもので、ベッシー・ヘッドは南アフリカの作家として、寄稿を依頼されていたようだ。
依頼に対し彼女が返信した手紙がアーカイブに残っている。「すばる」の企画に深く心を動かされたが、自分の本件に関する考えは「ナイーブで子供じみているかもしれない」ので寄稿は辞退するという断りの手紙である。
これについて日本側からは、「あなたの意図は承知するが、返信の内容で十分寄稿文になり得るので、これを本誌に掲載していいか」と問う返信が届いている。しかし、アーカイブにはその後のやり取りが残されておらず、実際に彼女が手紙の掲載を許可したのかどうかがわからずじまいであった。
実は、2023年初め、ボツワナ再訪を決める前に東京で出会ったある評論家・編集者の方に、わたしはずっとベッシー・ヘッドに関する出版のことについて相談に乗ってもらっていた。彼も文芸誌に書くことがあるのを思い出し、何となくセロウェでの調査中にメールでこの件について話してみた。すると、何と翌日には国会図書館で「すばる」のベッシー・ヘッドの寄稿文を見つけて、ボツワナにいるわたしにメールでコピーを送ってくれたのだ。
そこには、確かに彼女の返信した手紙が日本語で掲載されていた。実に25年もの間、恥ずかしながらわたしは、この件がどうなったのかと思いつつも調べていなかったのであるが、たった一日にして、この謎が解決されてしまった。
読んでみると、寄稿を丁重にお断りする手紙のはずだが、本当に内容が深く美しい。きっと「すばる」の当時の編集関係者の皆さんは心を動かされたことだろう。断りの手紙が雑誌に掲載されるなんて、まさに彼女の文章の魅力を証明する出来事だと思う。
神について彼女が言及するとき、それは天にいる宗教的な神ではなく、アフリカの大地に息づく神のことを指す。それは人間であり、自然でもあるという感覚は、どこか八百万の神の考え方に通じる。この文章には、彼女の根本的な考え方がシンプルに表現されている。そんな文章が、日本でベッシー・ヘッド作品が初めて翻訳出版された1990年代よりも前に、日本語で発表されていたのだと思うと感慨深い。
長い間、この件がどうなったかを知らずにいたが、25年を経てこの記事を入手することができたのはとても大きな出来事だった。そして、アーカイビストに頼んで、これをベッシー・ヘッド・アーカイブとして集英社との手紙のファイルに追加してもらった。なので、ボツワナはセロウェのミュージアムに行くとこの日本語の記事が見られる。(*政府の調査許可が必要)
ちなみに、ベッシー・ヘッドの古い友人で現在はセロウェに暮らしているトムにもこの話を伝え彼女の返信を見せた。彼も、その美しさに溜息をついて心動かされたようだった。(手紙を読むトムの様子は、わたしのYouTube動画にある)
そして何よりも、ボツワナの貴重なベッシー・ヘッド・アーカイブに、日本の記事が追加されたというのは、研究者の端くれとして少しだけ誇らしい。
この件についてを含む2023年のボツワナでの調査については、実にたくさんのストーリーがあるので、ぜひそれをまとめた『水面(みなも)をすべるモコロのように』を読んでいただきたい。