遠い日の記憶を溜める廃線を歩く~碓氷峠廃線ウォーク
鮮やかな緑のなかにひっそりと闇をたたえる古いトンネル。
使われない線路が吸い込まれていく静かな風景。
SNSで流れてきたその写真を偶然目にした瞬間、これだと思った。
この場所に行きたい。空気と静けさに浸りたいと。
それは信越本線新線の横川から軽井沢へ向かう線路上を歩く、廃線ウォークというイベントの風景だった。
1997年に104年の歴史に幕を閉じたその路線は、群馬県と長野県を結ぶ山深い場所を抜けるトンネルの多い路線だ。廃線ウォークは、その古い線路の上を歩くツアーである。
昔の中山道の難所と呼ばれた碓氷峠を通る山深いルートは、新幹線が通る前にはその路線を何度も利用して列車で軽井沢へ抜けた記憶がある。
その記憶がよみがえり、今は利用されていないルートを徒歩で行けるなんて、なんとエキサイティングなことかとわくわくした。
開催予定日の天気予報は雨模様だったが、イベントに参加申し込みをしていそいそと登山用のパンツとシューズを買いそろえた。
廃線ウォークは、群馬県の安中市観光機構が2018年から主催しているイベントだ。
横川駅から出発し、碓氷峠越えの急勾配区間66.7‰(パーミル)、11.2キロの道を歩く。その間ずっと線路上を歩き、18本余りのトンネルを抜けていく。
朝、信越本線のアプト式鉄道の廃線敷を利用したハイキングコースのアプトの道を進み、途中の峠の湯にてお昼休憩。ここでおぎのやの峠の釜めしをいただく。
昔、軽井沢へ向かう列車が横川駅に停車すると、列車からいったん降りて買った陶器の器に入ったあのお弁当だ。とても懐かしい。
廃線ウォークは参加者を楽しませてくれる工夫が凝らされ、ガイドが鉄道や地域の歴史、鉄道の知識を教えてくれる。碓氷峠の鉄道施設は、国の重要文化財に指定されている貴重な遺構なのだそう。
美しい碓氷峠の風景はもちろん、レンガ造りの古いトンネルや、急勾配を上る線路の興味深い設備と、見どころが山ほどある。
あいにくこの日は予報通り雨だったが、人気のこのツアーの参加者は16名ほど。登山するには雨用のきちんとした装備が必要だったが、雨模様の鉄道遺構もまたうつくしい。
昔は難所だった山深いこの地に中山道が通り、山が崩れたり鉄道を作る上で事故が起きたりと悲しい歴史も記憶しながら、碓氷峠は今でも静かなたたずまいだ。
廃線ウォークというイベントを企画するひとたちの地元への愛情も感じられ、多くの人の思いが詰まっている。
ひんやりして真っ暗なトンネルに、雨の柔らかな湿気と草木の匂い、そして砂利を踏みしめる足音が満ちていく。
雨が降り霧が立ち込める碓氷峠は、遠い日の記憶を抱いて静かに神秘的でノスタルジックだ。
空気の底に、長い年月を経た人々の思いが溜まっている。
木々の優しい緑とひんやりした空気を浴びながら、トンネルの響きに様々な思いが浮かんでは消える。
真っ暗闇のトンネルの古い信号機にバッテリーで光を灯す演出は、何だか古い時代に生きていた何かを呼び起こすようで、心に響いた。
そういえば、わたしの母方の祖父は国鉄職員だった。
この場所とは別のところで働いてきたひとだけれど、もし祖父と一緒にこの道を歩いたら色んなことを教えてくれたかもしれない。そんなとりとめのないことを思いながら、一歩一歩、古い枕木を踏みしめた。