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「雨雲のタイプライター」〜はじめに〜:南アフリカ出身の作家ベッシー・ヘッドの言葉を紹介するマガジンです。
南アフリカ出身でボツワナに亡命した作家ベッシー・アメリア・ヘッド(1937-1986)。彼女のことを知ったのは1990年代後半の大学時代でした。たまたまアフリカに関する知識もほとんどなく偶然に選択した「アフリカ研究」のゼミ。ぼんやりとしたアパルトヘイトへの関心はあったものの、これといった熱を入れられる研究テーマをなんとなく選べないままに旅行先で入った古本屋で、「アフリカ文学短編集」に出会ったことが最初のきっかけでした。その後、作家ベッシー・ヘッドという人の存在を知り、それ以来、自分の人生はベッシー・ヘッドとともにあるともいえます。
アパルトヘイト下の南アフリカで白人の母親と黒人の父親の間に生まれ、「孤児院」に育ち家族も知らないままにジャーナリストとなり、やがて一人息子を連れてボツワナに亡命したベッシー・ヘッド。(↓詳細は、こちらのマガジンをご参照ください)
1986年に48歳の若さでボツワナのセロウェ村で亡くなった彼女に、わたしはもちろん直接会ったことはありません。ただ、彼女の作品に惚れ込み、まるで自分の心と繋がっているようだと感じ、1998年大学4年生の時にボツワナに初めて行きました。
その後、彼女のことを学部卒業論文や修士論文に書き、ブログや様々な場所で伝えてきました。今、最初に彼女の文章に出会ってから23年ほど経ち、ようやくより深く自分自身の人生に絡めながら彼女の言葉を感じ、深さを味わうことができるようになったような気がしています。21歳だったわたしも、仕事だ何だと忙しく暮らしているうちに彼女が亡くなった年齢へとずいぶん近づいてきました。
そして、大学当時から今まで、夢に描いてきたやりたいことがたくさんあります。
一つは、彼女の小説を自分の日本語にして出版すること。これはもう、足掛け20年近くにわたり試行錯誤してきました。今でもまだこのチャレンジは実現しておらず挑戦は続いています。
そして彼女に関する本を書きまとめること。これはまず、このnoteの別のマガジン(「ベッシー・ヘッドとアフリカと」)で書き始めました。完成したら本にしたいと思っています。
さらには、ベッシー・ヘッドと自分自身のことを書いた文章を本にすること。
そしてもう一つが、ベッシー・ヘッドの文章を翻訳した小説のみならず、未発表の原稿や書籍、エッセイに至るまで本にまとめて出版すること。
書いてみたらたくさんありますね。
これまで、断片的な文章はたくさん書いてきましたが、まとまった形に大きくまとめたことはありませんでした。何年もの年月を経て、ようやっと自分自身も人生の中でいろんな経験をし、こうして彼女の作品や言葉たちに自分の魂がゆっくり向き合うことができる人生の時期が来たのかなと感じています。
前置きが長くなりました。
このマガジン「雨雲のタイプライター」では、そんな作家ベッシー・ヘッドの作品やエッセイ、そして書簡から、美しいだけでなく、強く深く考えさせられるような箇所や、心に残る文章などを一つずつ引用しながら、日本の皆様にも分かりやすいように紹介していきたいと思います。いくらベッシー・ヘッドが素晴らしいとお伝えしても、なかなかわたしの本が出版されるまではその作品に触れることも簡単ではないでしょうから。
さて、なぜ「雨雲のタイプライター」なのかということについて。
1969年、ベッシー・ヘッドはボツワナに亡命して最初の小説When Rain Clouds Gather(「雨雲のあつまるとき」)を発表しました。これで彼女の作家としての名前は知られるようになり、彼女には印税が入るようになります。その後、セロウェ村で建てた小さな2ベッドルームの家を、彼女はRain Clouds「雨雲」と名付けました。国土の大部分が半乾燥地帯のボツワナにとって、雨はとても大切なものなのです。
このRain Cloudsと名付けられた家で、ひとりタイプライターに向かう彼女の姿を思い浮かべてこのタイトルにしました。
この作業に幸せを感じながら、一つずつ丁寧に心を込めて書いていきたいと思います。自分の人生を振り返るような作業だなと思いながら。
彼女の作品のソウルが、誰かの心に届きますよう。
(作家ベッシー・ヘッド)
(ベッシー・ヘッドの家Rain Clouds, Serowe, Botswana)
(ベッシー・ヘッドのタイプライター)
(Rain Cloudsの前にて息子のHoward Head。1998年わたしがセロウェを訪問したときのもの。2010年に彼もまた母親と同じ48歳で亡くなる)
(なお、本マガジンの日本語訳は全てわたし個人によるものです)
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