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経済インフラ開発と伝統社会のはざまで ③

早川千晶さんのツアーに参加させていただいた振り返り第3弾記事。
今回は、ミリティー二地区の過去と現在・経済特区開発の中でおこることについて私の気づいたこと、言いたいことをついに記そうと思います。

第3弾を読むにあたって、事前知識として「ミリティー二村の場所」「現在ミリティー二付近で起こる経済インフラ開発」についてまとめた記事はこちら。 


結論として私が気づいたこと・言いたいこと


自分の書く内容がぶれないように第3弾にも私の気づきを記載しておきます。笑

・大きく「ケニア」「ケニア人」 と 特定の「ミリティニ村」「ドゥルマのマテラ長老のコミュニティ」が 嬉しいこと・望むことの大きな差
・伝統的土地継承と近代的土地継承の混在によってうまれる圧倒的弱者とそ人々のの楽観的たくましさ
・本邦研修実施に関わる人々が経済インフラ開発の今・裏側をを知る必要性
・千晶さんのコミュニティ密着型ツアーの素晴らしさ
・ケニアの表立っては見えない民族多様性

伝統的に土地を保有してきたのはドゥルマ。しかし

tilte deed がなかった。


ミリティー二の土地、伝統的にドゥルマ、マテラ長老の土地って第1弾にも2弾にも書いてあったのに・・・と思われた方。
ここが伝統的土地所有と近代的土地所有の移行がうまくいっていなかったために伝統的所有者であったマテラ長老のコミュニティの人々が圧倒的弱者になった原因の1つ。

今は「title deed」という土地の権利書の保有をもって自分の土地だと言う必要があります。
私のパートナーもこのtitle deedのことでしばらく自分の土地を自分の土地にできずにいます。

近代の土地所有の流れはこう。
①土地売買の情報を聞きつける。→②土地購入を決めたら土地代を払う→③土地購入者がtitle deedを得るためにお金を払って書類の変更を行う→④Title deedを受け取る→⑤自分の土地になる

ミリティー二村の人たちはそれを持っていなかった、申請していなかった、またはカウンティがその権利書を与えていなかったのです。

私のパートナーは、土地の売り主がその人の名前のtitle deedを持っていることを確認したうえで土地の売買のお話を進めますが、今でもミリティー二村ではそれなしに土地の売買をしている場合もあるとか。

最近千晶さんのマサイ村ツアーに参加された方から、「マサイの人たちが「自分たちの土地に勝手に畑を作り始めた人がいると言っていた」とお聞きしましたがそれもおそらく同じで、マサイの人たちの伝統的価値観の中での土地所有概念と今の政府やデベロッパーに管理された近代的概念の差が争いに繋がりかねない課題を作っているのだと思います。

土地の価値の理解不足とお金の価値の違い

たとえ土地のTitle deedを持っていなかったとしても、経済特区建設やツンザ橋建設にあたっては、建設側から住民に交渉の働きかけと補償の交渉があったそうです。
が、千晶さんから聞いたミリティー二やツンザの人々が土地を渡すのに得た金額は数万程度。地上げによる補償を十分に受けることがでできずにいる人もいるとききました。これからそこにできるもの、その土地の買主が払う金額を鑑みると、その100倍以上の金額をもらっても足りないのではないかと私は思い、どうしてそんな少額で自分たちの生活を支えてくれる農地や漁場を手放すことができるのか・・・と衝撃を受けました。
でもそれと同時に「その数万円を一括で手にしたことがない人にとってはそれはそれは大金である」という千晶さんのお声にも同時に同感しました。
自分がお金を出して購入したのではなく自分たちで切り開いてきた土地なので、いくらで売ったとしても金銭的にマイナスにはならないし、地価がいくらなのかもわからない。
そして、今、子どもの制服代や学校教育費の捻出に困っている、今、数万円手に入ったら自分の野菜屋さんを開く原資になる、今、病気の家族がいる。「今」にフォーカスをすると、私にとっては「たった」数万円でも、決して経済的に裕福であるとは言えないコミュニティの人々にとっては、ものすごく喉から手が出るほど得たい金額なのです。

そんな状況をよく理解している同じケニア人である役人が、人々の土地を手に入れ、そこにあった暮らしを壊し、そこで生活する人々の生活をさらに経済的に不安定にし、危険にした犠牲の上に国としての経済発展があり、外から入ってくる人たちのビジネス開発や経済発展が成り立ち始めるということを知ってしまった以上、私たちは「人々が豊かになるための経済開発」というものをさらに熟考しなければいけません。

過去にしがみつくよりこれからどうするかに考える時間を使う

私は「こんなことは許されてはならない!おかしい!この事態を防ぐために何かできなかったのか・・・呪術師である彼らはこの外部の横暴を予知して止めることはできなかったのか・・・」と原因を探ろうとしたり改善策を考えたりという気持ちを持ちます。
こういうのが研究のテーマになったりするのでしょう。

でも意外と住民の人たちは「確かに土地がなくなったとか、漁業できなくなったと彼らは言うけれど、じゃあ今の生活をどうするかってのが先に考えることで、そんな真剣に批判とか文句とか考えてないのよ」と千晶さんがおっしゃっていました。
これはケニア人というかアフリカンのマジョリティの考えなのかもしれないと思い当たる節があり、視察後に千晶さんと話をしました。

日本人の私たちは「成功の秘訣は準備9割当日1割。」と言われて来たのではないでしょうか?
だから私もイベント作る時とか、観光プラン作る時も、そして普段の生活でも、パートナーに対して「もしこんなことがあったらどうする?こうしないといけないということはこういう準備もしといたほうがいいよね・・・こういう質問も今のうちにしておこうよ」とよく尋ねます。
が、毎回彼は「Don’tworry」「Why do you think like that negative?」「It's not important 」とものすごく不機嫌そうな顔で言います。

実際その不安要素が的中した時には「ほら言ったじゃないか」とついつい言いそうになりますが。私よりも早くその場でその時の最適な解決策を高速で考え、行動に移して事なきを得ることがほとんどで、失敗に終わったりお客様に不快な思いをさせることがほぼありません。

オンラインで日本に暮らすアフリカンとイベントをやっている時も同じ。準備は本当に事前に整わない。直前にならないと山も動かない。日本人の私は本当にはらはらでイライラもする。でも当日を迎えると彼らの方がうまいことできてしまう。

彼らは起こってもいない問題を考えるより、実際起こったことに対する対処を考えることにより時間を使うし、その対処に本当にたけています。
それが生活環境や道徳観からくるものなのかなんなのか・・・それはわかりません。教育レベルに寄らずそのような人が多いので誤解を恐れずに言えば「楽観的でサバイバル能力にたけている」人達だと思っています。
ほとんどの日本人の働き方や考え方とは正反対だからこそ、大企業のビジネスはアフリカではうまくいきにくくて、Z世代の子たちやベンチャーでこれからゼロから物事をなしとげたいと思う人には興味深くてでいろいろやりやすい大陸なのかもとふっと思いました。

すごい横にずれてしまいました。
すいません。
ただドゥルマの人たちも今や近い未来にフォーカスしているので、この土地買収問題・経済インフラ開発によって自分たちが受ける損失についてもそんな深く考えておらず、むしろこれから自分たちがどう生活していくかの方が大事なことなのかもしれません。

私たちのものさしと、かれらのものは違う形状。私たちのものを押し付けることはそもそもできない。彼らの生活が劇的に変わってしまうとたとえわかっていたとしても、私たちが彼らのものさしを意図的に変形させるこをするべきなのかしないべきなのか。
つまりどこまで介入するのか不干渉の態度をとるのか。これも考えても正しい答えがない問い。

この経済インフラ開発は「ケニア」「ケニア人」の望むこと

現在のケニアの発展への道筋はVision2030というものに基いています。

ODA関係のプロジェクト概要をみてもケニアの方向性と現在の課題、自分たちがケニアで活動する意義について示すとき、このVision2030内の記載事項が引用されていることが多いです。
そうすることで、「ケニア」「ケニア人」がその開発を望んでいる。それをサポートするのだということができます。

第二弾でも抑えきれずに自分の思いを書いてしまっていたので、私のご意見をすでに察していらっしゃる方は多いと思いますが、たしかに鉄道にしても橋にしても港開発にしてもケニアが求めること、多くのケニア人がその恩恵をうけるものです。

コロナの影響、物価高騰、失業率の増加など、本当に金銭的に豊かな人は豊かに、苦しい人はさらに苦しくなっています。

私が3年弱住んでいたセネガルは、家族(親戚なども含む)に1人稼ぎ頭がいたり地域の人々のサポートをうけながら、お金がなくてもなんとか生きていけて、スラムなども特段見当たらない場所でした。

が、ケニアは本当にお金がないと生きていけない家族にすら頼ることが難しい社会だと感じています。
そしてレストランに入ると日本と同じくらいの価格でモノが提供されていてそれを余裕で楽しめるケニア人と、1日100Ksh(円)稼ぐことにも苦労している人の格差が丸見えなので、お金があれば・・・と思うこともきっと多いでしょう。

だから経済発展で雇用ができる、お金を得る機会やお金を得られる人が増えるというのは本当に大事なことです。

国として、ケニア人として、と大きくとらえると大事なことなんだけれど、「ドゥルマ」「ミリティー二」というコミュニティの人たちを見ると、彼らはその大きなくくりの人たちが金銭的幸せを享受するために多くの土地や伝統的なつながりを失いました。
千晶さんは「こうなってしまったのには彼らのコミュニティ内の問題もあるから」とおっしゃっていましたが、それでも彼ら個人個人がこの経済インフラ開発で失ったものは大きいです。
主語をどこに置くかで、それが豊かさをもたらしたのかどうかは変わるということは忘れないで、多角的に声の小さな人々の視点にも目を向ける必要性を改めて感じました。

本邦研修に携わる研修受託機関、JICA地方事務所の研修担当者にもこの事実を知ってほしい

私の前職がこの仕事に当たります。
ODAの枠組みでいうところの無償資金協力・技術協力のところです。
本邦研修 | 事業について - JICA

私の前職は経済関連の研修に強みをもっていたので、経済開発を担う途上国の経済産業省・中小企業庁・投資庁・商工会議所・SEZなど経済特区管轄機関・地方自治体などの職員が自国の経済発展の政策策定や施策を検討する中間管理職相当の人々を日本に招へいし、1カ月程度日本で日本の経験などを学び、帰国後の実務に生かしてもらおうという研修を運営していました。

私は国際関係を専攻していたので、経済の知識については前職で勤めるまでほぼノータッチ。研修の中で大学教授、地方自治体、投資を担う機関の方々などのお話を研修参加者とともに聞きながら、そして研修参加者から各国の状況を聴きながらでSEZ, EPZについても学ばせていただきました。

しかし私がその中で見えていたものは、そういった経済特区を設置する前提で、その土地を最大活用するために行政官として何をするべきか、設置後の失敗が多い中で、成功した国から何を学べるかということ。

その経済特区や工業地帯ができる、存在する土地にもともと誰かが住んでいて彼らが何かしているということや、その開発によってその周辺の人々に与える影響など、経済発展優先の話に集中しがちで「ヒト」についての観点が抜け落ちていたことに、この千晶さんのツアーに参加して気づきました。

私以外の同僚は気づいていて、私だけその観点が抜けていた可能性も大きいです。
が、SDGsSDGsと叫ばれているこの時代において、研修内容を組み立てる人が現場で起こっていることを知らずしてその内容を研修に盛り込み、完全にいいこと・大きな利益を生むインパクトの大きな事業、みたいに研修参加者に印象付けてしまうことは、とても危険だと思いました。

本邦研修参加者は結局日本で研修を回すことが仕事なので、現地に視察に行く機会は私自身4年働いて1度もありませんでした。
(昔はフォローアップ研修といって、研修受託機関の職員が大学の先生などと一緒に現地に赴き現場視察をする予算がJICAからも出ていたそうです。)

机上の空論を日本で作り上げるのではなく現実に即した経済発展の形をしっかり考えてもらえる研修とするためにも、このモンバサで私が千晶さんたちと見た光景、聞いた話は実際に現在進行形として起こっていることとして、本当に経済系の本邦研修に携わる人々にしってもらいたい。

この土地はだれのもの?

もちろん日本がインフラ開発に携わる場合、コンサル会社さんや建設会社さんが入念に入念に何年も多角的に調査されて、それでもってプロジェクトが成り立っていることは存じています。
健康被害が出ているのか、経済的に数値としてどれだけ打撃を地域住民の方々が受けて居るのかとか、証拠があるわけでもないし、それぞれの因果関係が確認されているわけでもありません。

でも無理やり自然を破壊して、人々の生活を急激に変更せざるおえなくして、更地にして新しいお金・ビジネスを持ってくることが果たして正解だったのかどうか、その結果がわかるころには私たちはこの世にいなくて、もし不正解だった場合困るのは私たちの子孫。

私のスーパー応援しているNGOであるEarth Companyの創設者夫婦は下記ネイティブアメリカンの格言を行動指針として私たちに問いかけられています。

“We do not inherit the earth from our ancestors.
We borrow it from our children. ”
この地球は、先祖から継承したのではなく、私たちの子供たち、子孫から、借りているのです

ネイティブアメリカンの格言

この行動は私たちの子孫を豊かにするものでしょうか?
みらいの彼らに恥じないものでしょうか?

全員が幸せになる解は限りなくないに等しい

と私は思います。
しかし可能な限りその事業に携わる人々が誰なのかを広く見て、その人たちそれぞれにどんな好影響・悪影響がでるのか考え、人々の話を聞き、人々を巻き込み、その地域を作っていく気概を持って発展計画を作ることは可能であるはずです。

「コミュニティーデザイン」という私が興味がある分野でもあります。
公園1つ作るにしても、図書館一つ作るにしても、そして経済特区を作るにしても、同じではないでしょうか。

私の意見を述べました。

やっぱり私の言いたいことは右往左往してしまって、読みにくかったかと思います。
すいません・・・。

これは自己満でしかないです。
でも自分の思っていることを少なくともアウトプット出来てよかった・・・。

もし忍耐力があって私の記事の解釈ができた方で私も思うところがあるよーという方はぜひ感想をお寄せください。

あともう一つ、千晶さんのお仕事の様子を見ていて感動する点がいくつもあったので、それを記事にして、この自己満アウトプットを終了したいと思います。

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