夢を叶えた3日間
子供の頃から、ずっと。
行きたかった場所があった。
タンザニア、セレンゲティ国立公園。
ンゴロンゴロ自然保護区(保全地域)。
アフリカの野生動物、サファリ好きで知らない人はいないであろうこの2つ。
あれは具体的に何歳のことだっただろうか。
子供の頃見たテレビドキュメンタリーの世界に私は釘付けになった。
数々の動物が終わりの見えない広大なサバンナで共にひしめき合っている。
食うもの・喰われるもの。
追うもの・追われるもの。
生まれ・死んでいくもの。
壮絶な、緊迫した命のやり取り。
乾季で全く雨が降らず日上がる大地。
雨季で雨に打たれる動物や草木。
自分が今日を生きるための、命の躍動。
「青天の霹靂」とはこういうことを言うのだろう。
すごい、すごい、すごい。
なんだこの光景は。
これが「生きる」ということなのだと、子供ながらに鳥肌がたった。
動物が好きだ。この世界に行きたい。
いつか自分の足で、自分の目で、ここに———
私は完全に、この世界に魅了された。
セレンゲティ国立公園。
その名前を脳裏に焼き付けた。
その光景を自分自身の目で見ることが
私の夢であり、生きる希望となっていた。
ただどうしても、普通の「旅行者」で「観光」で行くのではなく、少なからずそこに携わる者として降り立ってみたかった。
アフリカで野生動物に関わる者として。
高校生の時(野生)動物の進路へ行くことを決め、
大学へ6年通い、獣医師の資格をとった。
協力隊で野生動物保護に関わる要請へ応募し、ウガンダへ。
少しずつ少しずつ今自分ができることを着実に積み重ねてきた。と思う。
夢を追いかけるって残酷だ。
本気であればあるほど、
夢が叶わない辛さが、身に沁みて解るから。
人に夢を笑われた時。
獣医師になることを否定された時。
大学受験に失敗して浪人しなければならなかった時。
そんな(野生動物)の進路はなかなかないよと言われた時。
ケニアのインターンに自分の貯金を叩いて応募しようと思った矢先に生じたコロナのアウトブレイク。
JICAに応募した年にまだ再開されていなかったケニアタンザニアの要請。
新卒で行って何ができるかね、という辛辣な言葉。
誰もやっていないことをやること、そこへ進むことへの不安。孤独感。
実際にアフリカという異国の地で生き、活動する苦労。
そしてJICAの規定により目の前に来ていたのに一度阻まれたタンザニア行き。
何度も何度も心が折れそうだった。
近くて、でも遠くて。
ここにくるのに
なんとなく夢見てからは15年ほど、固く決意してからは10年かかった。
夢や理想を叶える難しさと辛さは壮絶で。
それでも頑張り踏ん張り生きてこられたのはやはり夢のおかげで。
ここに来るまでは死ねない。
死んでも死にきれない。
そうして何度も自分を奮い立たせてきた。
だから興奮と緊張と嬉しさと怖さと、本当にいろんな気持ちでタンザニアに降り立った。
やっと。やっと。
自分の夢を叶える時がきた。
セレンゲティ国立公園
Arushaの街から車で4時間ほど、
ンゴロンゴロ自然保護区入り口に到着。
この中というか道の続きに、
セレンゲディ国立公園はある。
さらに車を走らせること2時間以上。
やっとンゴロンゴロ自然保護区とセレンゲティ国立公園の境界ゲートに辿り着いた。
流石に腰が痛く、暇でしんどかった。
(1人でサファリに行くなら、混載ツアーでないときつい。誰かと話したりしていないと本当に暇でイライラしてくるし時間が永遠に続くようである)。
そこからさらに30分ほど車を走らせたところに、地味な小さいセレンゲティ用のゲートがある。
ゲートの前に来たら、自然とお辞儀してしまった。
ずっとここで待ってくれて、来させてくれて、迎え入れてくれてありがとう。
今までが長かったからこそ、その時の感動は一言では表現できない。やっとここに来れた。
セレンゲティとはマサイ語で「果てしない平原」の意である。
その言葉通り、広く広く、果てしない、終わりの見えない大地。
車を走らせても、どこがどうなっているのか全くわからない。
国立公園の中では様々な動物が迎え入れてくれた。
特に今回は野生のヘビクイワシを見た時が個人的に一番テンションが上がった。超かっこいい。
ウガンダにはいないマサイキリンも美しかった。
まさにマサイキリンという模様(網目模様がチリチリで乱雑になっていて、アミメキリンとは全く違うパターンをしている)だった。。
他にもたくさんの草食動物がいて、肉食動物やカバ、ゾウ、鳥などもたくさんいた。
残念ながら見られなかった動物もいる。
個人的にはチーターを観たかったが今回は叶わず。
ちょっとツアー担当者運が外れちゃったかもしれない。探すの下手だったな。
私も頑張って探したけれど。。
夜、宿泊先で美しい星空を眺めながら
幸せだなと思った。
ずっと来たかった場所で、
大好きな動物たちと同じ大地の上で寝る。
ずっと夢に見ていたけれど
まさかそれが本当に達成でき、
今起こっているなんて。
ちなみに夜はクソ寒かったし
シャワー室は不便で綺麗ではないし
冷水シャワーだったのでフルボッコだドン。
アフリカ生活慣れてなかったら普通の旅行者には厳しかったかもしれない。
あとはサファリ中、ガイドと共に専属料理人がついてくれるのだが、これがものすごくおいしい。
タンザニアやアフリカの郷土料理という感じではなく、ムズング(旅行者)の口に合うような料理だった。時間通り正確に作ってくれるし、これは大満足。
ザンジバルピザうまい。
本音を言うと、理想中の理想の光景は見られなかった。
子供の頃から最も見たかった光景は
大量のヌーやシマウマの川渡りとワニやライオンとの壮絶な命のやり取りだったが
それを見るためにはどれだけ下調べをして
どれだけお金と時間に余裕をかけて
どれだけ遠い場所に行かなければならないのか、
身をもって体験することができた。
1年の中のたった1日、あるいは数日をピンポイントで狙わなければならない。
それは長年の研究調査や現地サファリスタッフとのコンタクト、信頼などが欠かせないだろうと思った。また長期滞在を可能にするお金や日数の余裕もなければならないだろう。
なのでいっっち番の夢は厳密に言えば叶ってはないけれど、それでも
もう、十分満たされて、幸せだった。
今回の旅行でしんどさも難しさもわかったので、すぐまた戻ってきたい!などとはとても言えない。私はウガンダから行ったから大分マシなものの、日本からとなれば尚更である。
いつかもしまた次があれば、
巡り合わせがあるのであれば、その時は----。
ンゴロンゴロ保全地域
保全地域(Conservation Area)と
国立公園(National Park)の違いは何かというと、
「住民がいるかいないか」である。
国立公園に人は住めないが、
自然保護区には人が住める。
つまりンゴロンゴロ自然保護区には人
---マサイ族がいる。
彼らは牛(家畜)のみでほぼ生活し、電気や水道、十分な医療や学校などももちろんない。乾燥した大地は植物や農作物が育つのを阻み、過酷な生活だが彼らはそれを自ら選んでいる。
ンゴロンゴロの特徴は、
なんといっても巨大なクレーターである。
ンゴロンゴロはマサイ語で「大きな穴」と言う意味。
このクレーターは300万年前に起きた火山の噴火によって生じた巨大なカルデラであり、ここに外界とほぼ断絶された生態系が作り出されている。
その様子は圧巻である。
朝イチで、獲物を食べるアクティブなライオンとハイエナを発見することができた。特に今まで何回かサファリをしてきたが、オスライオンを見られたのは意外とこれが初で、ものすごく興奮した。
また写真集のような(よりシーズンの時であればもっといるのだろうが)ヌーとシマウマ、バッファローやガゼルの群れを見れた時は「これが見たかったんだ」と胸にくるものがあった。
他にも、サーバルキャットを拝むことができたのは幸運だった。
混載ツアーのメンバーにも恵まれ、
イタリア、中国、アメリカ、日本---
素敵なサファリを行うことができた。
夢を叶えた今
夢を叶えて、なんだかスッと、心や体が軽くなった気がする。
憑き物が落ちたというのだろうか。
長年自分を走らせ、鼓舞して、追い込んで
ボロボロになりながら追いかけてきた夢。
夢はいつの間にか執着に変わり
自分を縛る呪縛にもなっていた。
周りには「子供の頃からの夢をずっと追いかけていてすごい」とか
「かっこいい」なんて言ってもらっていたが、
正直に言って、しんどかった。
私はそういう、(子供の頃からの夢を追いかけ、達成する、すごい自分でいなければならないのだ)という思い込みのようなものが知らず知らずのうちに構築され、それができない自分への強い恐怖があった。
心と体は思ったよりも疲弊しすり減っていた。
夢を簡単に諦められない自分の意地とプライド。
それが故の自分と周りからのプレッシャー。
自分に負けることが許せなくて過密スケジュールをこなす日々。
素直にはい、と言えず人の反感を買うこともしばしば。
妥協できず甘えや堕落を許せない厳しさ。
自分で自分の首を絞め、心と体に鞭を打ち、
傷だらけの体で何度も何度も血を吐きながら
道なき道、ゴールの見えないトンネルを
動かない体を引きずって前に進んできた。
(※これはあくまで表現で実際のことではありません。)
夢のために無理したことも犠牲にしてきたこともたくさんあった。
孤独で、痛くて、苦しくて、不安で
諦めたら楽になれると何度も思ったのに
諦めたら一生自分が嫌いになりそうで許せなくて
もっと自分が壊れそうで
ずっとずっと、ここを目指すしかなかった。
ここだけを目指していた。
芸術家やアスリートのような生き方だったかもしれない。
本気で100%夢に向かって、燃やし尽くした。
それがどれだけ過酷だったか、
例え人にはわかってもらえなくても
私自身はもう、痛いほど、分かっている。
夢を叶えて、
「もっとこうしたい!」「戻ってきたい!」
というさらなる夢や意欲が生まれたというよりは、
「一旦ゆっくり休んでもいいんじゃないか」
と思った。
夢が叶って安心し力が抜けたという方が大きい。
やっと呪縛から解放された。
もう楽になってもいいんじゃないか。
自分を許してあげていいんじゃないか。
何者かにならなくても、
普通の人間でいいんじゃないか。
生きやすく穏やかに過ごしていいんじゃないか。
十分やった。やりきった。
しあわせだ。私は。
だから、
一度私は自分をリセットしようと思う。
今まで追いかけていた確固たるもの、
自分を支えてくれる目標や拠り所がなくなってしまうのは、正直怖く、不安でもある。
これからどう生きていこうか?
どういう自分になっていこうか?
なんてまだわからない。
けれどもう、自分をいじめ無理矢理動かすのは終わりにしてあげたい。
一旦は自分の夢に区切りをつけさようならをしようと思うが、まだ当たり前にアフリカも好き。
動物も好き。
でもそれだけじゃない。
それ意外にも好きなものはある。
いつだってまた何か始めたいと思えば、その時に
また歩き出せば良いだろう。
今までの挑戦、本気で何かに取り組んだこと、
それで結果を出せたことは自信になるだろうし
この協力隊の2年間、経験は
いつかきっと私のアドバンテージになり、
強みになってくれるはずだから。
第2の人生、というと大袈裟かもしれないが
また、ゼロから少しずつ、
新しい私を始めよう。
きっとまた素敵な何かに出会える。
そんな気がする。