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国際協力ってなんだ。

国際協力ってなんなんだろう。
国際協力なんて言葉はどうして生まれたのだろう。

誰か困っているとき助けが必要なときに
協力したり手を貸すことは
当たり前なことであって
それは無意識下の反射であって、
そもそも本当に誰かを助けたいのであれば
「国際協力」なんてケッタイな言葉を使わずに
自分の思う通りにやれば良いのではと思う。
それを国際協力という言葉を使うことで
なんだか胡散臭さが増す気がするのは、
私だけではないだろう。
なんとなく純粋な協力というよりは、どうしても
ビジネスや政治的な背景を考えてしまう。

協力隊として途上国で活動していると少しは分かる。
いかに人々が支援を必要としていて、
いかに人々が支援を必要としていないか。

支援を必要としている人々は確かにいる。
ローカルの貧しい人々、難民、
知識や技術を貪欲に学びたい学生、企業。
そういう人たちへの技術・人道支援には、確かに「国際協力」という言葉が比較的しっくりくる。
自分が持ちうる技術、経験、知識を与え、
それにより救われる人もいるだろうと思う。
日本と別の国、それが異なる文化/言語であろうと
確かに交わる瞬間を感じるのである。

しかし現在、たいてい「国際協力」と広義的に言われているものの大半は、実はただのビジネスで
「オトナの事情」で政略的なものなのではないかと思ったりする。

協力隊でもあるあるの課題。
「歓迎されなかった」
「受け入れてもらえない」
「現地の人のプライドが高く、言ったことを聞いてもらえない」
「配属先が消えてなくなっていた/機能していなかった」
「何しにきたの、と言われた」
「やるべきことが見つからない」
・・・なぜこんなことが起こるのだろうか。

これには現場と上の認識の齟齬、
モチベーションの違い、コミュニケーション不足
など様々な要素が挙げられるが、
私個人的には「国際協力」というものが機能しなくなってきているのではと思う。

海外協力隊として活動していても、たまに
「途上国の人のためになりたくて」
「世界を変えたくて」
という志望動機の方と会う。
その志は素敵だ。悪いとは言えない。
だが私は個人的にそのような考え方は「烏滸がましい」と感じるし、
実際の現場を見たこともないのに
テレビや本、人から得た情報から創造されたイメージだけで考えてしまうのがいかに自分勝手で危険な考え方かと思う。
実情や真に人々が求めていることなんてわからないのだ。


この世に生きて何かをする限り、
例え意図していなくとも
自分という人間によって絶対に傷つけてしまう人と救える人とがいるのは当然の真理なのだが、それが「よく分からない海の向こうの誰か」となれば。

誰かのことを助けたい、力になりたいというのはとても、素晴らしい気持ちだけれども、そこに明確なストラテジーがない場合、その思いは曖昧で一方通行で自分自身よくわからないものになる。

実際にアフリカという国で生活しているとわかる。
「かわいそう」なんて
裕福な人たちの勝手なエゴでしかないこと。
彼らの暮らしぶりや顔を見ていれば思う。
自分のことを「かわいそう」などと思って生きている人はそうそういないこと。
足りないものは確かにある。
学校、医療、食料、日用品、娯楽。
日本の生活に慣れていればさぞ不便だろうと思うことは実際にある。
しかし、かといってそれが不幸かと問われると、
決してそうとは言えない。

みんなその環境に、生まれ育つ場所に
適応し、慣れ、受け入れ、折り合いをつけ、その生活の中で彼らなりの幸せを感じている。
彼らに日本と同じ幸せを感じることはないのかもしれない。
しかし「別の種類の」「彼らを真に笑顔にするような」幸せは、確かにそこにあるのである。

裸足でそこらじゅうを駆け回り、兄弟家族と一緒にご飯を食べ、眠り、朝に起きる。
それだけで彼らの笑顔は大抵の日本人よりも輝いて見えるほどだ。

また、発展時途上国といえど経済発展や人口増加で勢いが増す国において、
本当に必要な支援とはなんなのだろうと思う。

他の国では分からないからあまり大口は叩けないが、少なくとも私の配属先や任地周辺では、
学ぶ気や先の展望はない割に
とりあえずで目先の何かを欲しがり、
それが壊れたら直さず使わず、
また別の何かを求める。
その人がくれる「未来の可能性や投資」ではなく「今日目の前の食べ物やお金」に満足し発展させる気がない。
今日1日を平和で無事に楽しく過ごせたらOK。
「自分の頭で考えず人から教えられたことをそのまま真似する。他の人との差別化を図ったりどうしたらより稼げるのかなどあまり考えない」
「プライドを優先し、本当に大事な知識や技術を学ぼうとしない」
「見てくれだけ気にして立派にして、基礎基盤はボロボロ」
といった現状が露見される。

先進国から与えられた支援物資は放置されたりお金のために売られたり、機能していないことも多い。
与えてもらえることに慣れてしまい、
消費することにためらいがない。
明確なストラテジーのない善意での支援など、ただ「消費」し「搾取」されるしかないのである。
所詮その場凌ぎで明日に繋がることは、ない、だろう。

突き詰めて考えると、彼らは本当に支援を必要としているのだろうか、と思う。
それをなんとかしてあげたいと思うことはエゴでただの自己満足ではないか。
あるいはただの利害関係の一致、ビジネスとして成り立つだけではないか。

これは現場で働いているスタッフ・ボランティアであればきっと嫌でも一度は考えたことがあるだろう。
そこにきておそらく、真の「国際協力」とはなんたるかを考える。


「支援」という仕組みにもはや限界があるのかもしれない。
それをわざわざ「国際協力」なんてそれらしい名前をつけてさも特別で素晴らしいかのように見せたり、いかにも大きなことができているかのように見せたり、「国際協力に興味ありませんか?」などと謳うことに違和感を感じる。

個人的にはいっそ「ビジネスチャンス」として謳った方が清々しいし嘘偽りないと思うのだが。

一体何がどう国際協力になっているんだろう。
メディアの発達などにより情報が交錯し、
「国際協力」という言葉が勝手に強大化し、
一人歩きしてしまっているようにさえ感じる。

国際協力は、政府間、他国間、あるいは民間で行われる、国境を超えた援助・協力活動のことである。

Wikipedia

誰の何を援助するのか。
マイナスを0に、あるいはプラスにすることか。
元々のプラスをさらに豊かにすることか。
実際に支援を必要としている現場と、
実際に活動を運営する人たちの距離。
お金、利権、人間関係、プライド、組織体系、政府。
一度現場に入ったことのある人間こそ、
その難しさ、複雑さ、途方もなさに
少なくとも一度は絶望をする。
国際協力に興味があるからこそ
国際協力を経験し
国際協力の矛盾に気づく。
皮肉な話だ。

ではなぜ私はJICA協力隊として活動しているのか?となるし
矛盾しているように感じる人もいるだろうが、
私の場合そもそも「誰かを助けよう」だなんて気持ちで応募していなかった。
私には私の子供の頃からの夢があって、
今まで自分が歩んできた進路と要請書の項目がうまく重なって、
自分がやりたいことができてかつそれで何か人や世の中のためになるならこれはラッキーくらいの気持ちできた。
いろんなことの利害が一致しただけ。

「誰かのためになりたい」
と言って語ることは立派でも、
日本人一人が、特に現場とのコネクションも信頼関係もなく現場に放り出されて、その状況でできることなんて、何もないと言っていい。
むしろ自分が支えるつもりだった周りの人に手助けされて支援されて自分がようやく今日一日を生きていくことができる。
自分のなんと無力で情けないことか、と驚く。
その人が無能だから、というのではない。
SNSのフォロワーが多かろうが、
日本でどれだけ有名で敏腕だろうが、
それを知っている現地人はほぼ1人もいない。
世界は複雑で、混沌として、難しい。

自分軸がしっかりと定まっておらず、
「誰かのために」というモチベーションだけで来ていたら、きっともっとずっと私は病んでしまっていただろう。
一歩引いた中立的な立場から接することができたのは、私にとって良かったと思う。

でもやっぱりこうして1年半以上過ごして、
たった数人でも私がいたことで日本人がいい人だと分かったと言ってくれたり、
私のおかげでこれができるようになったありがとうと言ってもらえたり、感謝されたり
友達ができたり、一緒にご飯に行ったり。
それは国際協力ではないか?と言われたら、
否定はできないし、そうかもとも思う。

自分がやってきたことは、国際協力の端くれくらいにはなったかもしれない。
ただ、真にもっと国際協力をしたいなら、
関わり続けていきたいのであれば、
「ちゃんとしたストラテジーとビジョン」「信頼できるコネクション」「忍耐」「お金」が必要なのだと思う。誰かを助けられる人はそれなりに強く余裕がある(色々な意味で)人でなければならないだろう。


そして「固定観念」をいかに捨てられるかが大切だろうと思う。
こっちが思っているような受け取り方を途上国の人たちはしてはくれない。
誰が悪いとか何がいけないとか、考え出せばキリがないが「そういうもの」で、
それを超えた先に真の面白さがあり、
国際理解があるのであり、
ビジネスチャンスや協力が初めて生まれる。

自分軸をしっかりと立てること。

自己満足にならないよう本当に現地の人々のためになるよう、身を削って現地に溶け込みコネクションを駆使して奔走するか。
自己満足と利害の一致で良いと割り切るか。
前者がしんどいことは言うまでもない。
純粋な前者が意外にどんなに少ないか、携わってみて分かることもある。

だから海外で活動されている方、仕事をされている方のその苦労をほんの少しはわかることができるようになったし
その楽しさも譲れなさも前より現実的にわかるようになったと思う。


国際協力ってなんだろう。
国際協力によって生まれた平和、仕組み、解決策、制度、国交だって確かに存在する。
しかし国際協力という言葉だけの機能していない活動や団体があることも事実だと思う。
国際協力を真に理解せず善意やお金を無駄にしないために。

今回の経験を活かして、
自分の理想と現実をよくよく照らしすり合わせて考えていこうと思う。

国際協力という一般概念にとらわれずに、
自分なりの理解と解釈を深めていきたいところだ。

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