最終報告会…私が来た意味はあったのか?
先日、JICA事務所にて最終報告会を実施した。
実はちゃっかり、まだあと3週間活動をする予定ではいるのだが
それでもいよいよ本格的に帰国までのカウントダウンが始まっており、私が帰国した後の配属先のことを考える。
帰国日を逆算して少しずつ活動を片付けたり人に任せたり引き継ぎなどもする中で、
それらがこれからどうなっていくだろうかと。
私はできるだけ目先の成果ではなく、
「持続的な」支援を心がけ、
それを元に活動をしていたつもりではある。
まず、私の要請は以下のようになっていた。
上記を参考にした上で、
実際の私の活動を振り返っていく。
①展示物/教材の発案、作成、展示
私の要請の主軸だった展示物。
赴任前には日本の動物園や水族館を巡り、展示の写真を撮り溜め自分なりに展示の勉強をした。
思いつく限り、そして予算や時間が許しうる限りの展示物や教材は作り、残したつもりだ。
展示物作成の過程で「ビジターに何を伝えたいのか」
展示物として「何が大切なのか」をできるだけ説くようにして、
見込みがある同僚に展示物を作るHow toや継続的な掲示物の作成など叱咤激励してみたが…
正直、どこまで何が残っただろうか。
私が作った展示物は園内に設置してもらった。
教材もいくつか作成することができた。
しかし、それで終わってしまうのではないか。
私が声をかけたから形になったものの、
私がいなくなればまたモチベが下がり展示物を作らない日々に戻ってしまうのではないだろうか。
教材もいつまでも使い回しされるだけでブラッシュアップされないのではないか。
つまらない文字だけの看板ばかりになってしまうのではないか。
私が作ったものも、壊れたらそのまま直さず捨てられてしまうのではないだろうか。
所詮任期は2年間だけなので、その後については正直モニタリングのしようがない。
願わくば、誰か1人でも継続して展示物の更新に努めてくれる人がいると嬉しい。
お金がなくても知恵や工夫で魅力的な展示物が作れること、なんとかもう少し伝えたかった。
ただそれをするにはあまりにも職員の人数と予算の問題が多すぎた。
全員をマネジメントするほどの時間と実力は私にはなかったし、
どれだけ良い案があっても日本とは違ってそれを形にすることが本当に難しかった。
政府下の組織であるこの配属先では、
日本のように簡単に展示の許可が取れず、材料調達にも苦労した。
さまざまな部門のさまざまな人が関与し、
プロセスには相当な時間を要した。
もともと「モノ」や「技術」が圧倒的に足りないウガンダではもはやどうしようもない部分もあった。
クラウドファンディングなどして資金獲得をする方法を模索した方がよかっただろうか。
でもそれは果たして、協力隊としてするべき活動なのだろうか。
やはり配属先自身が私の訴える展示物の必要性に気づき、自分たちでお金を工面して展示物を作って欲しい。
目の前に完成品やお金をちらつかせたところで、
それは根本的な解決にはならない。
そう考えてできるだけお金が掛からないように、
それでいて自分の案に近いものが作れるようにと模索してみた。
現地業務費の申請はしてやらなかった。
その中でやれるベストは尽くしたつもりだが、
正直、もう少しできることが---
良い方法があったのではないかとも思う。
これは自分的には100%満足のいくようにできなかった。
②Waste management
活動の別の主軸にもなっていたWaste management。
もともとの要請書の中には全く記載のなかった内容だが、実際に活動を始めてみて気づいた、この国の大きな課題。
これは配属先全体として意識の向上・行動変容に繋がったと自信を持って言える。
まず最初に、「Yukiが来て今までで1番綺麗なピークシーズンだった」
といってもらえ、インパクトが残せた。
それと同時にいかにWaste managementが大切で素晴らしいものなのか、おそらく全員の共通意識に染み込ませることができたし、
「ゴミで汚い」状態よりも「綺麗」な状態を当たり前にすることに成功した。
そうしていく中で、Waste managementチームや提携している清掃会社(クリーナー)はWaste managementに関するモチベが上がったし、マネジメント能力も身についた。以下、彼らができるようになったことを羅列する。
これ、実はものすごいことなのである。
初めはWaste management? 何それ 笑
といった空気感で、職員の中でも普通にポイ捨てする光景を何回も見た。
野生動物の保護をしている施設で、である。
最初は同僚の1人と、たった2人で園内のゴミ拾い活動をすることから始めた。
ゴミなんか汚いから関わりたくない、という人もたくさんいたし、この日本人何やってるんだろう、と思われていたと思う。
配属先と提携清掃会社は分離していて、協力なんてあったものではないし、コミュニケーション不足でお互い不満が溜まっていた。
(配属先は清掃会社がどのように清掃活動をしているのかわからず、何が問題かわからず、なぜゴミがひどいままなのか理解できない、ただスタッフがLazyだと思っていた。一方清掃会社は配属先にゴミ箱や手当てなど要求しても全く相手にしてもらえないので、分からずや!と悪い印象を持っていた)。
この2年間の中で清掃会社スタッフとともにゴミにまみれ、働いたことでクリーナーたちが徐々に心を許してくれるようになった。「Yukiは一緒に掃除やゴミマネジメントをしてくれて話を聞いてくれるから好きだ。他にそんな人いなかった。頼りになる」と言ってもらえた。色々と愚痴やお話を聞けたことで実情、問題の本質、改善点が浮き彫りになった。
私のマネジメント案を理解し、賛成し、
ともに試行錯誤し、
うまくいかない時はともに悩んで凹んで怒って愚痴を言い合って、
やり切った時はお疲れー!と言って笑い合ってジュースを飲んで。
あまりに必死にやるから配属先からも半ば同情と半ば尊敬が集まったようで、私に協力・手伝ってくれる人が出てきたり、クリーナーと私からの要求を飲んでくれたり、配属先自身もゴミやクリーナーへの見方が変わってきた。
人に頼り、人を繋ぎ、不満を解消し、
時に衝突し嫌な感情も感じながら課題解決に向けて共に取り組んだこと。
これぞ協力隊という草の根レベルの活動ができたと思う。
本当に本当にやりがいを感じられて、辛かったけど楽しかった。
正直、私(日本人)ならではの鋭い観察眼と事前予測、先手を打った対応などがなくなるのでしばらくはゴミが増えてしまったり、マネジメントが滞ってしまうのではないかと思っている。
実際、「Yukiがいないとどうなるか不安だ」とも言われた。
それでも私がいなくなっても大丈夫なように少しずつ体系やマネジメントの仕方を試行錯誤し、改善しようとしてはいる。
少し時間はかかるにしても、彼らが自分の頭で考えて、彼らなりの良い解決方法を探して行ってくれることを信じたい。
そしてこの動きがずっと配属先に残っていってくれることを信じたい。
私が築き上げたことももちろん少なからずはあるだろうが、何より彼ら自身がそれを良いと気づき、学び、変わってくれたことが嬉しかった。
ただ、それでもやはり…ガラッと、全員の意識行動が変わったわけではない。
Waste managementが良いことは分かりながら、実際に自分が行動するまではいかず、
"Well done" "Thank you"とだけ言い残し、言い訳をしながら通り過ぎていく人も少なくない。
全員が積極的にゴミ拾いをする、自発的に動く。
それはとても難しかった。
私がいなくなることでだれたり、少しずつ元に戻って行ってしまわないか。
正直心配はあるし、自信を持って「大丈夫だ!」とは言い切れない。
でも2年間の活動だと、
これが限界だったろうとも思う。
人の考え方や行動を変えるのは本当に難しいことを知った。
問題提起ができ、人の心にWaste managementのインパクトを刷り込ませれただけでも、上出来か。
③教育指導者の教育
教育などというと烏滸がましい(何せ自分の方が年下だし経験も豊富ではない)のだが、
何人か同僚の意識向上や行動改革には繋げることができたと思っている。もちろん全員完璧にとは全然いかないが、何人かの中で
・時間や約束を守る(タイムマネジメント)
・Waste management
・コミュニケーション(報告・連絡・相談)
・モノの管理
・ゴールや期限を逆算した活動
がほんの少しはできるようになった。
私がやる気や能力を見込んで特に活動時間の多くを過ごしてきた年下の男の子が、それを認められてボランティアから正職員に昇進し、自信に満ちた顔で「Yukiのおかげで職を手に入れられた。ありがとう」と言って握手してくれた時は本当に嬉しかった。
もちろん、これは彼の実力で私はほんの少し彼の背中を押したことくらいしかできていないと思うけれど、それでもやはり少しは背中を押せたのであって、彼の人生を変えれたかもしれないことは本当に嬉しく光栄なことだと思う。
学校の先生から、「子供達に正しいことを教えてくれてありがとう。彼らは今日、君から学んだ。僕自身も。これからは間違ったことはしないだろう。遠い国から来てくれて、ウガンダを愛してくれてありがとう。」
と言われた時は、心がじんわりと温かくなり幸せだと思った。
「日本人の、ご飯を残さない、責任感、時間や約束を守る、思いやり、それを学んだよ」と言った同僚達は、より良い職を見つけ旅立って行った。
彼らの将来は明るいに違いない。
ウガンダという国のお国柄、文化などもあり、その中で「インターナショナルレベル」であることは難しいこともあるかもしれないが、
私から拾ったことが彼らの将来に生きてくれたらいいな、なんて願う。
④その他ガイド、onsite/outreach活動
この記事を書いた11月上旬現在、
私が把握しているだけで164人もの日本人の方が配属先を訪れ、私がガイドさせていただいた。
数あるJOCVの配属先の中でもトップレベルに多くの日本人が訪れる場所。
1人1人との出会いがかけがえのないもので、私の視野も広がり貴重な時間を過ごすことができた。
また、他のJOCVさんとコラボさせていただくなど、オンサイト/アウトリーチ教育活動にも手を出してきた。
動物の生態系、特徴や
Waste managementについて、
数こそ多くはできなかったものの現地の子どもたちと交流することができ、私にとっても学びが多く良い経験となった。
2年間の出来事を1回のNoteで全て書き切ることはできない。
収まりきらないたくさんの活動、経験があり、
数えきれないほどの出会いと思い出がある。
こうして振り返ってみると、私の要請書の項目は
必要最低限は達成できたのではないか、と思う。
自分で自分を評価するとしたら
展示物、教材:B-
Waste management: A
教育指導者育成: B
となるかなと思う(S,A,B,Cの中で)。
・・・
配属先には本当に恵まれたと思っている。
私がこうして2年間活動を続けられたのは配属先のみんなと、やはり大好きな動物達がいたからだ。
職員が多く、政府下の組織であるが故の独特な面倒臭さややりづらさはあったものの、おかげでたくさんの人と知り合い、関わることが出来た。
活動はもちろん、プライベートでも一緒にイベントをお祝いしたり、食事をしたりと本当に外国人の私に優しくしてくれて、
時に討論や喧嘩もしながら
時に愚痴や悩みを真剣に聞いてくれ、
楽しく充実した日々を送ることができた。
アフリカに来たい、
野生動物に関わることがしたい、という
夢を叶えることができた。
200人近くにもなるウガンダ人と友達になり、関わり、
もっと多くのウガンダ人と日々を過ごし、活動をしてきた。
そしてたくさんの日本人の方に支えられた。
悩みながらもがきながら、
自分と、ウガンダと
向き合って戦って
駆け抜けてきた2年間だった。
協力隊に限らずだが、
正直私がいなくても世界は回る。
私がこの2年間の中で成し遂げたことなんて、
微々たるものかもしれない。
先方やJICAが元々私に望んでいたものとは、もしかしたら違っていたかもしれない。
それでも、ウガンダで彼らと過ごした日々はかけがえのないものだった。
誰かの何かに少しでも残れたら。
活動に限らずふとした時に私のことを思い出したり、私が言ったことややったことを振り返ってくれるのであれば、非常に光栄である。
もちろん私の中には、この2年間のウガンダの日々や関わった人たちのこと、ウガンダの景色、出来事、経験は残り続けるだろう。
私自身この日々を次に活かしていけるといい。
そうしてこの協力隊の2年を、振り返った時に
お互い意味あるものだったなと思えたら------
今はただそう願っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?