私は私が想像している以上に自分が「日本人であること」を誇りに思っていた。
私が協力隊としてアフリカに来たこと、
その最大の理由はもちろん
「自分の夢を叶えるため」だった。
「アフリカに行き野生動物に関わること」は
私にとって長年の夢で、
心底ワクワクした気持ちで出国した。
と同時に、
日本が嫌だったから
という意識がどこかにあったことは否めない。
「日本から出てしまいたい」という
日本に対する消極的な思いがあった。
「日本別にあまり良い国だと思わないし」
「日本のこの同調性、閉塞感、息苦しくて嫌い」
「日本にいたってつまらない」
「日本オワコン化してきてるし」
・・・自国愛が強いとは、到底思えなかった。
とはいえ実際にアフリカで2年ほど生活していると、
やはり自分は良くも悪くも日本人なのだなと痛感する。
自分を育て育む環境は、大きい。
どうしても比べてしまう時
当たり前だがウガンダと日本では
大きく異なることがたくさんある。
それぞれ良い点も悪い点もあるが、
仕事をするとなると圧倒的に私は
日本の方式が好きだ。
報告・連絡・相談をしっかるしてくれること。
時間や約束をちゃんと守ってくれること。
スケジュール通りに進むイベントや会議。
仕事に対してのモチベーションや責任感。
空気や行間を読んで察する文化があること。
おもてなしや気遣いの精神。
「当たり前」のレベルの高さ。
ないものねだりをしてもしょうがないことは分かっているが、
それでもやはり
(日本ならこうはならないのに…/こうできるのに…)
と考えてしまうことはしばしばである。
そしてやはり私個人の美学的に、
「こうありたい」「こういう自分でいたい」
と思うのは圧倒的に日本スタイルであり、
私は日本人で良かったなぁと思う。
食が豊かで美味しいのとか、
街が綺麗で治安がいいとか、
ライフラインが整っているのか、
やはり日本は良いところがたくさんある。
「高いレベル」「上のレベル」を知っているということは素晴らしいことだ。
広い世界を知っているというのは、選択肢があるのは素晴らしいことだ。
中国人いじりをされた時
ウガンダで生活していると、
日常茶飯事的に中国人であることを揶揄われ、
バカにされ、正直非常に不快な思いをする。
そんな時、私の中で真っ先に生まれる感情は
「「「やめろ私は日本人だ。中国人じゃない!!!」」」
だった。
「差別的発言は良くない。撤回しろ」
とか
「アジア人に対する偏見だ、許せない」
「中国人には私の友達もいる。なんでそういうことを言うんだ」
あるいは
「アフリカの人にとって中国人も韓国人も日本人も見分けつかないからまぁしょうがないよな」
とか
そういった気持ちより何よりも先に
自分が日本人であるのに中国人と間違われ、
間違った上で馬鹿にされること
が何よりも個人的に腹立たしく不快だった。
「自分は自分が日本人であることを、
こんなに根っこの部分で意識していたのか」
と気付かされた。
配属先の特徴柄、数いる協力隊の中でも日々圧倒的に中国人だと言われ揶揄われることが多い私。
そんな風に私を馬鹿にしてくるウガンダ人はというと、
ゴミをポイ捨てし、
私の貢献度や情熱意思を汲み取りもせず
意味のわからないチャンチョン、シンシャンといった言葉をかけ笑ってくる。
同僚に相談しても
「彼らはああやってコミュニケーション取りたいんだよ。馬鹿にしてるわけじゃない。面白がってるだけなんだ。許してあげて」。
と、何度言われただろう。
話にならない!
これを侮辱、辱めと言わずなんだというのか。
いじめと変わらない。
大事なのは受け取り手がどう感じるかだ。
言う方の感情など知ったものか。
私が君たちに何かしたか。していない。
むしろタメになることをしようと日々奮闘すらしているのに。
それなのに。
明らかに悪いことをしているのは自分たちなのに
なぜ自分たちを恥ずかしいと思わず非を認めないのか------。
半ば諦めもしているが、黒く醜い感情が生まれてしまうことも少なくはない。
こういう日々が続いてしまうと正直
「なんでこんな人達、国のために自分が苦しい思いをしなければならないんだろう」
そういった負の思考の沼に陥ってしまうこともある。
パリオリンピック2024🇫🇷
そんな中開催されたパリオリンピック。
日本人選手団が世界で活躍し、メダルを取り、ニュースになる。
今までもオリンピックは見て応援していたし
それなりに勇気や元気をもらえていたはずだった。
しかし今年は。
今まで以上に感情が昂り、刺激を受け、勇気をもらった。
私は全然スポーツが得意ではないけれど、
日本ではない国で、
それなりに大変なこともありながら
それでも奮闘し続け(てるつもりではい)る自分の姿と重なるものがあった。
選手たちもいろいろなことがありながら、
世界を舞台にして戦っている。
同じ日本人が世界で活躍し認められている。
それにどれだけ力をもらえたことか。
馬鹿にされても、理解してもらえなくても、
上手くいかないことがあっても踏ん張る私が、
救われる気がした。
そして日本と日本人を誇らしく思った。
自分が日本出身であることが誇らしくなった。
---日本てこんな素晴らしい国なんだぜ!
素晴らしい人たちがいっぱいいるんだぜ!
私はその国出身なんだぜ!!
ウガンダに来る前は。
ウガンダに来る前は、
自分が「日本人であること」について、
そこまで深く考えたことはなかった。
自分が日本人であるが故の良いも悪いも、
表面的なものでしか捉えていなかったと思う。
こういう、圧倒的少数派に回って生活して
生活しないと気づけないことがあった。
国籍や生まれ育った場所というのは、
自分の無意識下の中でも
「自分が何者たるか」を形成する
極めて大きい要素だということを知った。
決して良い思い出とはいえないあれこれも、
感じた嫌な気持ち、不快感、ストレスも、
貴重な経験となり視野や考え方が広まったと思う。
このおかげできっと、より自分がどうありたいか
自分の理想像ができ、理解が深まった。
世界はそんなに綺麗ではない。
正直、差別や中傷、醜い部分はたくさん存在する。
全員が良い人なわけはない。
全世界の人と仲良くなることなんて、残念ながら難しい。
けれど少なくとも自分は
誰かを出身国や容姿で差別したり、
この国はこうと決めつけたり、
どちらが上か下かと判断したり
馬鹿にせぬように気をつけようと思う。
日本に帰った時、困っている外国を見かけたら
可能な範囲で寄り添えるようにしたいと思う。
完璧な国などない。
日本にだってたくさんの問題点や良くない部分もある。
それでもやはり自分が生まれ育った国。
好きなところもたくさんある国。
自分自身が日本人であることを誇りに思いながら
日本人でも海外の人でも
一人でも多くの人に「日本はいい国だ」
と思ってもらえたらと思う。
私はウガンダに来て、
日本がより一層好きになった。
ウガンダよりも日本が好きになった。
これからどこで仕事をするかはわからないが、
この日本への愛は忘れないようにしたいと思う。
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