ふと海を思い出すときに、胸にしまっておきたい一首(短歌一首鑑賞)
学生時代、悲しいことがあると海に足が向いた。一人で電車に乗り、波の音が聞こえる改札をくぐり抜けて、そのまま砂浜に腰を下ろす。このまま風か波か、もしくは時間が、自分を消してしまえばいいのに。そんなことを考えていた。
海を見ていたのか、海に見られていたのか。ただ、何もしない時間に身を任せていた。
そして、夕日が沈むと、一気に空気は冷たくなり、海は海でなくなってしまう。大きな真っ黒な塊へと姿を変えて、人間の世界に帰れと音を立てる。
その音を耳に残しながら、帰りの電車が少し明るいことに安心していた。
何もしない時間が、あの時にはあった。
あの夕方の、あの悲しさは、もしかしたら「かたちを持ってしまった」ことだったのかもしれない。
私たちはかたちを持ってしまったがゆえに、ぶつかり、衝突し、その角をすり減らしながら、なんとか意思疎通を図ろうと努力する。そして、その努力がゆえに、また傷つき、悲しみにくれる。
そのかたちは確かに、もたれることもできる、ささえることもできる、ふんばることも、くいとめることも。でも、たまに思ってしまうのだろう。私もあなたも。
もっと軽やかに混じることができたなら、溶け合うことができたなら、ひとつになれたなら、と。そう、海のように。
かたちもなく、たよりなく、そして平かな海を見ていると、私たちのもつかたちがとても野暮ったく思えてしまう。かたちなんて持たなければと悪態をつきたくなってしまう。
それほどに、海は魅力的だ。
ただ、私たちは海になれない。かたちを神様に返すこともできない。だから、また、ぶつかったり、角をすり減らしながら、なんとかやっていくしかないのだろう。
「僕はかたちを持ってしまった」のだから。