失敗ばかりの人生を生きている僕たちのための一首(短歌一首鑑賞)

僕たちは失敗のあとを生きてゐるポットにティーの葉ををどらせて

『銀耳』魚村晋太郎


私たちは、誰もが勝者である。人類が誕生してからの長い年月を振り返って、現在にまでたどり着いているということは、それは勝者だったということである。

進化の過程にて、弱肉強食の世界を生き抜いてきた。戦国の時代を、幕末の激動を、2度の世界大戦を、私たちの祖先は生き抜いてきた。

その結果、ここに生きているとすれば、それは勝者となってしまうのだろう。

しかし、このような大きな視野を脇に置いて、勝者として生まれたはずの自分に目を向けると、話は一転する。

人生はうまくいかないことばかりだ。仕事での失敗、恋愛や家庭での失敗など大きなものから、買い物に失敗して、料理に失敗して、運転に失敗して、ダイエットに失敗して、店選びに失敗して、髪を切るのに失敗している。

些細なものまで数えてしまえば、あまりの多さに嫌になる。それほどに、失敗ばかりの人生だ。

そんな「失敗のあとを生きてゐる」「僕たち」の目の前には、ティーポットがある。注がれたお湯の中で、茶葉が開こうとしている。そのゆっくりとした茶葉の踊りを希望として捉えたら、浅薄だろうか。いつかは、開かれるだろう、と。

もう一歩、歩みを進めてしまおう。日常生活から外れた動きをすればそれはダンスだと、ある小説で読んだことがある。そして、この茶葉は日常から外れている。お湯を注いだ僕たちによって。

失敗を背負いながら生きている僕たちは、お湯を注ぎ、茶葉を日常から離脱させた。もうここにいなくていいと。そして、その茶葉を見ている僕たちもまた、失敗にも、ましてや成功にも左右されない、日常の外側への思いを高めているのかもしれない。

誰かの評価のもとで生きるのではなく、踊るように生きていこうと。


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