想像していなかった未来
20数年前の私は海外どころか国内旅行へもほとんど行くことの無い日々だった。
それでも海外へいくならジャマイカと思っていたくらい
レゲエにハマっていた。
古いルーツロックが好きでバンドでも何度か歌った。
バンド活動の延長でダンスを習い始めた。そこで出会ったのが アフリカンダンス
日本人の先生に習っていたが、23歳で出産後、通っていたクラスがなくなり見つけたのがコートジボワール という国出身の先生が開催しているダンスクラス。
一年ほど通ったある日、コートジボワール で、国際交流コンサートをやるから一緒に行こう!
と誘われ
初海外で、3歳の娘を連れて西アフリカのコートジボワールという国に降り立つことになった。
当時のパートナーに大反対され、それでも行こうと決めたあの時に
私の人生はすでに変わったんだと思う。
渡航費用を2人分準備するにも大変だったけれど、
ありとあらゆる貯蓄を崩して
なんとか必要なお金をかき集めて渡航した。
初めてのアフリカという国への海外渡航、そして、現地のアーティストとの共演、全てが初めての連続。
また、予定していた会場がストライキで、使えなくなり
代替えで確保できた会場が
ボブマーリーの絵画が壁一面に書かれている会場だった。コートジボワールにいながらこの壁画をみて、あ、私はジャマイカじゃなくて良いんだ、と妙に納得したのを覚えている。
その後、
私はコートジボワールへ渡航し続けるという選択をする人生となる。さらにアフリカンダンスという大枠から、コートジボワールの伝統ダンスを踊りながら、太鼓を叩いたり現地の歌を歌ったりしている。
フランス語なんて全く知らずに現地に行き
その後独学でフランスを学び出す。
勉強がとても苦手だった私からすると
高校受験以来の猛勉強、しかも期間はもっと長くなることになる。
15年を経て、独学なりの雑なものはたくさんあるものの、身近な人達、買い物には問題のない言語力は習得できた。フランス語で喧嘩もできる。唯一の難関は丁寧語。
これからも挑戦は続きます。
初めの渡航の時のパートナーとは離婚、その後再婚で国際結婚、とにかくありとあらゆる経験をさせてもらってきた。
今は日本人1人とハーフの3人、4人の子供達と生きるシングルマザー。
20数年前の自分からは想像のつかない未来になっているのは
あの時、コートジボワールに行くと決意した自分がいたから
と心から感謝している。
そして、私のコートジボワールへの夢はまだまだ続く。。。
レン