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「水の都の護神 ラティアスとラティオス」について語りたい まとめ、番外編


こんにちは。afです。

今回の「まとめ、番外編」の記事を持って最終回となります。
本記事はどちらかというとおまけ要素が多いので、「水の都の護神」についてもっと詳しく知りたい!という方向けです。

前編後編の記事のリンクです。まだ目を通していらっしゃらない方はこちらからどうぞ!



それではまず、まとめに入っていきましょう!



■結局この映画は何を伝えたかったの?


兄妹の絆、ハートフルストーリー、街の美しさ…等々謳い文句は色々ありますが、どれもこの映画の本質を突いてはいません。

結論から言ってしまうと、犠牲無くして成り立つものはない、ということを伝えたかったのではないでしょうか。


アルトマーレの歴史を遡ると、島の平穏は「こころのしずく」「ラティアスとラティオス」無くしては成り立っていなかったことはお分かりかと思います。

島に最初に訪れたラティ一族が恩返しとして島を救い、「こころのしずく」を授けて以来、島の平穏は保たれて来ました。

しかし、それは彼らの犠牲があったからこそなのです。身を挺して島を護り、最期には「こころのしずく」となり島を支える動力となる。映画のラストでそれは明らかになっています。

華やかで美しい街の影には恐ろしい負の歴史が隠されていて、その歴史はこれからも隠され続け、彼らは島を護り続けるのです。街の平和のために…

……


で、それだけ街を護ってもらってるんだから感謝しなくちゃね!とあの装置諸々周辺施設作っちゃったもんだから島の一族はどうかしてますね。
古代装置は感謝の意、というより島の平和のためらしいですが)

感謝するならラティ一族がこれ以上苦しまない、平和に暮らせる環境を整備すべきです。(秘密の庭はそのための場所かもしれないですが)

装置取り壊せばいいじゃん、と思いがちですが、一応あれでも重要な文化財、観光スポットの役目があるのでそうもいかないのでしょう。エピローグで修復作業してましたし。


誰もが自分一人ではなく、誰かによって支えられている、護られている。そのことは忘れないようにしたいですね。



■結局誰が悪かったの?


普通に考えたらザンナーリオン怪盗姉妹です。が元を辿れば諸悪の根源は島の一族と言えるでしょう。

「こころのしずく」のパワーを利用し、古代装置を作ったのは彼らですからね。あれさえなければ少なくともこれまでにラティ一族の犠牲は出ていなかったはずです。

と言っても作ってしまった以上、それを利用されないように護っていれば大丈夫と考えるしかありません。
となると、なぜ怪盗姉妹に利用されてしまったか。


原因は…ラティアスでしょうね…。

ラティアスが興味本位でサトシと接触し、秘密の庭へと導いてしまいました。それをしっかりマークされていたため、庭の位置の特定、こころのしずくの強奪に繋がったわけです。

じゃあ、サトシと関わらなければよかったんじゃね…?

と、まあそうとも行きません。この物語におけるボーイミーツガール要素は欠かせないので。ラティアスはそこまで悪くない。関わらなかったとしてもラティアスはマークされていたので見つかるのは時間の問題だったでしょう。

つまり、表面的には怪盗姉妹が戦犯。ですが、根本的には島の一族が諸悪の根源。ということです。



■まとめ


・この映画は犠牲の下成り立つ街の負の側面を描いている

・諸悪の根源は島の一族にある

ラティアスはかわいい

・どっちがキスしたかは謎

・総合的に見て良作


裏テーマとして、モデルとなったヴェネツィアの環境問題への警鐘を鳴らす意味もありそう。(街が沈む〜という点から)


■おまけ


・過去の映画に関する記事(内容はどれもそこまで変わりません)



・私の書いた記事よりちゃんとしてるかもしれない記事。



以下興味深いコメントの引用

キスしたのがどっかより古代兵器がまだあの街に残ってることの方が重要だと思う。映画はあそこで終わりだけど撤去するか完全に壊さない限り今後もあの兵器が多少は利用されるだろうからラティたちはある意味、救われてない 
↑装置は完全な展示物として改修、実態を公表し負の歴史を伝えるものとして残すならありだと思う。あと、(予告版のカノンはしずくの力を発動させてたけど)しずくは使いこなせる人間がほとんどいないので結局ラティ達に頼らざるを得ないものなのか、本当はそこにあるだけで加護が得られるものなのかどっちなんだろうな。後者だと「ずっとこの街を護ってね」のセリフにも説得力が増すけど、作る必要の無い装置の犠牲になったラティ達が浮かばれない。
EDでちらっとジラルダン出てるけど、古代装置の3つの輪三鳥やルギアを狙ったハイテクワイヤーって似てるよな。彼はこの装置を元にしてハイテクワイヤーを開発したのだろうか
ひょっとして「邪悪な怪物」ってのは、手負いのラティオスたちを狙ってやってきた結果、アルトマーレに攻めてきたことになり、ラティオスたちが自責の念から「こころのしずく」を持ってきて、死後も役立てるように例の装置を作るように教えた……といった経緯があったと思っている(こころのしずくの成り立ち自体は、遊戯王の千年アイテムやハガレンの賢者の石をいくらか想起させる)

ハイテクワイヤーは盲点でしたわ…



・貴重な過去の映像が見れる動画


「ひとりぼっちじゃない」の原曲、「most decision」もしれっと使われてます。
個人的にこの頃のポケモンパンのCMが一番好きだったなあ…


・素晴らしい比較動画


なかなか興味深いです。作画修正や色調補正探すだけでも面白い。




■あとがき


ここまで読んでいただきありがとうございます。ここから先は私個人の感想、思い出話になります。興味がない方はここでページを閉じていただいても大丈夫です。お疲れ様でした。






今から遡ること18年前、当時私は小学2年生でした。
父と兄と映画館に本作を観に行った日のことは今でも覚えています。

ヴェネツィアをモデルにした美しい街並み、雰囲気にマッチした音楽、個性豊かなキャラクター、衝撃のラスト…何もかもが新鮮でした。この時から既に私は「水の都の護神」「ラティ兄妹」の虜だったわけです。

それからというもの、ラティラティの絵の模写をしたり、ヴェネツィアに行くのが目標になったり、とりあえずcobaさんの曲を片っ端から聴いてみたり…と人生がいい意味で狂わされました笑。

その作品に対する情熱が未だに覚めやらず、ファンアートを描いたり、こうした記事を書くに至ったり、と私の一つの原動力となったわけです。

ちなみに私は高校生くらいまでネットが二次創作で溢れてることを知らず、pixivでラティラティのファンアートを偶然見つけて「素人なのにすげえ!」と感動したのを覚えてます。思えばこれがネットで活動するきっかけだったのかも…


記事を書くにあたって3周くらい映画を観たのですが、しっかり観ると発見がとてもありました。もっと爽やかで感動的なストーリーだと思っていたのですが冷静に観るとドス黒いお話です。

それでも、これまでずっとこの作品が好きだったのはそう言った負の側面も踏まえて魅力があったからだと思います。何度見ても最高の映画だと断言できます。


例年、ポケモン映画はリメイク色が強く感じます。今年の映画でもセレビィやハテノ村にあった祠が登場しそうです。
この傾向から何が予測できるのかというと、そろそろ「水の都の護神」のリメイク、あるいは要素を含んだ(ラティラティが登場する等)作品くるんじゃね……?ということです。
可能性はゼロじゃないと思っています。ミュウツー 、ルギア、(エンテイ)、セレビィ…と来たらお次は…ね?



これにて感想は終わりです。
そして本記事も完結となります。最後の最後までお付き合いくださった方は本当にありがとうございました!

この記事をきっかけに、「また観てみようかな」「面白い作品だな」「ラティ兄妹好き!」と思ってくれる人が一人でも増えるといいな…と願っております。


最後に私の好きなcobaさん宮沢和史さんの曲を載せてお別れです。


それでは!



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