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『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ユアネクスト』と10年連載のヒロアカを完結させた堀越耕平先生が、私が文章を書きつづける理由と私にとってのヒーローを教えてくれた。 #aeuと映画 #day039

本日8月5日(月)発売の「週刊少年ジャンプ」36・37合併号にて、10年連載された『僕のヒーローアカデミア』がついに完結した。

つい数日前、8月2日(金)には、劇場版第4弾である『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ユアネクスト』が公開され、数量限定の入場者特典を確実に手に入れたい私は、例によって公開初日に劇場へ足を踏み入れた。


本記事は、今回の映画と、そして連載を終えた作者・堀越先生のインタビュー(※これ記事の終盤に載せるので本当に全員に観てほしい。)を泣きながら観た私が、今思うことをつらつらとお話する記事。

  • ヒロアカの世界における「個性(※特殊能力のこと)」って、創作を含む発信の世界における「才能」と繋がる部分があるよねって話

  • 優秀な個性がなければヒーローにはなれないのか=才能がなければ文章を書いて発信する意味はないのかって話

  • アンナとジュリオ(※今作の劇場版オリジナルキャラ)にとってのヒーロー、そして堀越先生にとってのヒーローを受け、私にとってのヒーローが誰なのか気づいたよって話

主にそんなようなことをお話しています。

映画のネタバレNGな方は、下の目次をご活用ください。
ネタバレが含まれる項目に(⚠️ネタバレ有)と記しています。




『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ユアネクスト』予告編と公式サイト

一応ご存じない方のために掲載するだけです。観なくても特に記事の内容には差し支えありません、たぶん。



ヒロアカはいつも「対比」を丁寧に描いてくれる。(映画を観て私が印象に残ったこと)⚠️ネタバレ有

「前作のロディといい、ヒロアカの劇場版オリジナルキャラは魅力的が過ぎる!」とか「っていうか今作のジュリオはちょっと界隈の女子が好きな性癖をこれでもかというほど詰め込みすぎじゃない!?ハッピーセットかよ!!」とか
「相反するオールマイトとダークマイトの一人二役を完璧に演じ分けた三宅健太氏が凄すぎる」とか
「前半の成長したA組たちの活躍がめちゃくちゃワクワクした」とか「デクの成長、かっちゃんの成長」とか「夢ー!!!😭✨」とか……
言いたいことは山ほどあるのですが、そういう細かい話は、Filmarksのほうで近日中(※今日明日中には書く)に書きますので、ご興味あればそちらをどうぞ。


個性(特殊能力)を持つ者、持たぬ者。
その個性の使い方。
強大な力を持つ者の力の使い方。

ちょうど今の私には考えさせられるものがあった。


オールマイトとダークマイト。

瓜二つの容姿、そっくりな声、そして同じように(?)強大な力を持つ者。
けれど、その使い方が正反対と言えるほどまるで違う。
強大な力を持っていたとしても、それを人を安心させ笑顔にするために使うのか、それとも人を不安にさせ不快にさせ笑顔を奪う、恐怖や苦しみを与える、そんな事実は微塵も鑑みずに、自分の力を誇示するためだけに使うのか。
そんな対比が描かれた今作だが、私の心には別の二人の対比が映った。


アンナ(劇場版オリジナルキャラ。とある資産家の令嬢)は、自分の個性がある所為で、好きな人に触れられず、犯罪者(ヴィラン)にその力を狙われ悪用される。そんな自分の個性なんかなければいいのにと、いっそ無個性のただの普通の女の子になりたいと願う。

ジュリオ(劇場版オリジナルキャラ。アンナ付きの執事)は、元々持っていた個性をとあるきっかけで失い(※正確には、個性因子は身体に持ったままだが、その個性を発動できる右腕を失い)、お嬢様を救うことができなくなってしまったことに苦悩する。物語の佳境、苦しむお嬢様を目の前に何もできず「(俺に)個性を使わせてくれよ!!!」と嘆き叫ぶシーンが強く印象に残っている。

個性を使いたくないアンナと、個性を使いたいジュリオとの対比に、世の中往々にしてそういうことがあるなと思う。「ないものねだり」「隣の芝生は青く見える」なんて言葉で片付けるには痛く重たいけれど。

そんなジュリオもアンナと出会う前までは、自分の個性は役立たずなものだと思っていた。
でも、ほかでもない自分の個性がアンナの救いになる。
「この命を懸けてでも」
ジュリオにとっては自分の存在意義を初めて強く感じられた日々だったかもしれない。

そしてそのきっかけになったのは、ほかでもないアンナの個性なのだ。

アンナが無ければいいと恨んだ自分の個性が、今大好きなジュリオに出会わせてくれて、ジュリオにとっての掬いになった。
ジュリオが役立たずだと思っていた自分の個性が、大切なアンナお嬢様に出会わせてくれて、アンナにとっての救いになった。
イレイザーの抹消的な個性を持つ人がいればアンナの個性自体は止められたかもしれないけれど、自分の活力を使って体を張って救ってくれた、アンナの側でアンナの笑顔を守ることが生きがいになっていたジュリオだからこそ、本当の意味でアンナの救いになったのではないかと、個人的には思っている。



役に立つなんて微塵も思っていなかった、ただの自己満足が誰かの心を軽くすることもある

この映画を振り返り、私が考えたことは、執筆や創作を含む「発信」に関することだった。
そういった分野において、私は私自身のことを「何も持っていない」と自覚している。先の例で言えば、アンナと出会う前の、自分の個性は何の役にも立たないものと思っていたジュリオの立場にいちばん近いと言えるだろう。

でも、今回の映画を振り返って、ふとある出来事を思い出した。

何年か前にとある映画のレビューを書いた時、本筋とは少しズレた「余談」とも言えるようなことをつらつらと書いたことがある。
その映画は少年と母親との親子関係をも描いているような作品で、それを観て自身の経験を思い出し、娘目線での思いというのを書いた。
その内容自体は今の私の考えとしても相違ないのだけど、ただ文章としては目も当てられないほど支離滅裂で、正直今となっては恥ずかしいくらいの乱文だった。
でも、それを読んでくださった方が、こんなコメントをくださったのだ。

はじめまして。レビューすごく好きです。特に親との関係のところがグッと!!まさに今娘がそんな感じで。このレビュー拝見してちょっとホッとしたかなーありがとうございます😊

レビューの本筋とは少し離れている、いわば「自己満足」で書いた部分だった。その部分を特に好きだと言ってくださった。頂いたコメントから察するに、ほんの1g程度かもしれないけれど心を軽くすることができたのかなと、思わせていただいた。
誰かのために書いたわけではなかった。そんなつもりで書いたわけでは毛頭なかったのだけど。
自分の考えていることを言葉にすると、どこかのだれかに届いたり響いたりすることがあるのだと。
もう何年も前の話をこうして思い出して話題に出してしまうくらいには、私にとっては衝撃的な出来事だった。すごく、うれしかった。

「役に立つ」とか「救いになる」とか、そんな烏滸がましいことは言えないけれど。ろうそくの火を揺らすような、ほんの些細な空気の揺らぎくらいかもしれないけれど。
ジュリオの役立たずと思っていた個性がアンナを救ったみたいに、書きつづけることで私の文章が誰かの何かのきっかけになる瞬間が、あるかもしれないと思えた。



力や才能の有無で幸せが決まるわけではない ⚠️ネタバレ有

逆にそんな私の目から見て、とても大きな影響力を持つクリエイターさんもいらっしゃる。とても高い筆力を持つクリエイターさん。かっこよくて凄くて「憧れ」と言うのも憚られるような方たち。
でもそんな方たちは、もしかしたら、ご自身の持つ影響力に悩まれたり苦労されたりすることも少なくないかもしれない。
幸い私の周りにはいないけれど、その筆力を、人を不快にさせる方向に使ってしまう人も世の中にはいるのだろう。

プレゼント・マイクが殻木球大がらききゅうだいへ放った言葉が蘇る。

スゲーじゃん
そういうのよー再生医療とかよォ
そっち方面でハイパーチートなんじゃねえの
なァ 何でこんな使い方だよ!?
何でこんな使い方だよジジィ!!!!

『僕のヒーローアカデミア』27巻No.260「人生の全て」より

「何でこんな使い方だよ」

それはアニメの中だけの話じゃないよなあと。
自分の何かの才能を、フィクションみたいに使い方を間違えるとまではいかなくても、「向き不向き」と「好き嫌い」は必ずしも一緒ではないから、そっち方面で頑張ればいいのになんて余計なお世話を言われるような人はいるかもしれない。

人が羨むほどの大きな力や才能を持っているからといって必ずしも満たされているとは限らないし、人が羨むほどの大きな力や才能を持っている人が必ずしも、多くの人に認められることにその能力を使うとは限らない。

俺はオールマイトが勝つ姿に憧れた!
けど、てめェの強さには憧れねェ!

『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ユアネクスト』By 爆豪勝己
まだ劇場版1回しか観てないので台詞はニュアンスです。

かっちゃんはそう言ったけれど、原作のヴィラン連合を見ていると凄く思う。世界をぶっ壊すなんて一般的に賞賛された使い方でなくても、人にはそれぞれ自分の正義があって、それに影響されて、付いていきたいと、そんなリーダーが好きなのだと、思う人たちもいるわけで。

「次は君だ」
「手を差し伸べてくれた人」
「個性を与えてくれた人」

文字にすると何をしているかは同じなのに。
いつどんな思想の誰が誰にそうしたのか。

タイミングってある。
いつ何が誰に響くのかって、ほんと計り知れない。


だから、力の有無や力の強さ大きさ、才能があるとかないとか、影響力があるとかないとか、そんなことはあんまり関係ない。
目指すところが上であれば、そうも言っていられないのが現実だけれど。
少なくとも、私にはあまり関係ないなって思った。

優秀な個性がなければヒーローになれないわけじゃない。
映画の話でいえば、ジュリオはアンナにとってのヒーローだし、役立たずと思っていたものに意義を与えてくれたアンナもジュリオにとってはヒーローなのだと思う。
じゃあ、才能がなければ文章を書いて発信する意味はないのかって話。そんなことないよねって今なら思える。



堀越先生の言葉に思う、私にとってのヒーローは(👀動画をぜひ観てほしい)

最後にぜひ観てほしい動画を。


世界累計発行部数1億部という数字に対して、ちょっともうよくわからないと「長く続いちゃっただけかな」と仰る堀越先生。アナウンサーさんの言うように、長く続いただけでは決して届かない数字だと思うけれど。でも。

「ずっと“ヒロアカ”に価値を見いだしてくれている方がいらっしゃるので達成した数字」

上記動画より

その気持ちは少しわかるなと思う。


描いたものがなぜかたまたま
海を越えて文化の違う方にも受け入れてもらえた
海外の方にウケているからワールドワイドなものを描かなきゃとかは全然思っていなくて

上記動画より

(別作品が2回の打ち切りになり)
「もう漫画いいや」と思っていて
当時の編集担当さんが
「諦めないで」「頑張って」と言ってくれた

「じゃあ最後にもう1回挑戦しよう」って
とりあえず自分の好きなものいっぱい入れて
自分の描きやすいものだけで構成して描いてみようって
(そうして生まれたのがヒロアカ)

上記動画より

世相がどうこうとか現実世界でもこうだから
こういうメッセージを込めてやろうと描いたことはない
あくまで漫画ヒロアカ世界っていうものに対して責任を持って描く
常に面白いって言ってもらえることだけを考えている
「心がグーって震えて感動しちゃった」
っていうのが僕のなかでは『面白い』だった

上記動画より

印象に残る部分がたくさんある。
夢中で動画に見入ってしまう。

そして、

ヒーローは自分の身近にいる

僕は「もう描けねえ」ってなっちゃった時に
編集担当さんが「大丈夫っすよ」って明るいテンションで
ずっと言ってくれていた。それがものすごく助かった。
鳥山先生(DRAGON BALL)、尾田先生(ONE PIECE)
そういう方に憧れて漫画を描いていたけれど
助けてくれたのって隣にいた編集担当さんだったので
「この人がヒーローだよな 僕にとっては」

実際に手を差し伸べてくれて
「大丈夫だよ」って
肩たたいてくれた人は本当に命の恩人になる
(僕のヒーローアカデミアも)
そういうところに着地する

上記動画より

思わず泣いてしまった。

ああ、私もその感覚ちょっと知ってるなって。
「わかる」とか「知ってる」とか、偉大なる堀越先生相手に何言ってるんじゃって感じではあるけど、でも知ってる。

私にとってのヒーローは、いつも記事を読んでくださって、温かいお言葉をくれる、背中を押してくれる皆さまだなって。

私が書きつづける理由とか、書きつづけられる理由とか、
なんだかいろんなことを想ってしまった。

そうしたら、とんでもない文字数になりました。
あとでもう少し簡潔に編集するかも。しないかも。

ここまで読んでくださってありがとうございました。



(5,267文字)


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