金・暴力・恋愛。アニメ『喧嘩独学』感想
録画しっぱなしだったTVアニメ『喧嘩独学』を、先日全話見終えた。
韓国発祥の、スマートフォンなどのデバイスに合わせて「縦にスライドさせて読む」形式が特徴の新たなスタイルの漫画「ウェブトゥーン」。ウェブトゥーンは読者の皆さんも御存知の通り令和の日本でも漫画の一形態として受け入れられており、各種SNSで広告を見ない日はないし、『外科医エリーゼ』『俺だけレベルアップな件』『ゴッド・オブ・ハイスクール』など日本でヒットし、アニメ化にこぎつけた作品も多い。
そんなウェブトゥーンの中でも『喧嘩独学』と言えば、グローバルの累計閲覧数が24年2月の時点で20億回を超えている大人気作である。
僕は、2022年に起こった本作のWEB広告、いわゆる「だがクラスメイトに絡まれ敗北...」のプチバズをきっかけに本作の存在を把握しており、以前から本作に興味があった。
それがアニメ化されると聞いて、僕は「何がどうなって『だがクラスメイトに絡まれ敗北』のシーンに至ったのかだけでも知りたい」という「怖いもの見たさ」的なよこしまな興味と、「20億ビューを稼いだ大人気作の正体を知りたい」という純粋な興味を持ち、本作を録画・視聴した。
結論から言えば、期待して挑んだ本作はつまらなくはなかったものの、個人的には「えっ?これが20億ビュー稼いだ大人気作なの?」という疑問の拭えない、手放しに「名作」と称賛することのできない作品であった。
このnoteでは、個人的な喧嘩独学の感想と評価を述べていく。本作が気になっている人の参考になれば幸いだ。
また、僕は原作を履修せずにアニメだけを見て評価を下している。原作履修者の「ここはアニメ化で改悪された部分で…」「アニメでは省略されたけど、原作ではこういう描写があって…」などの補足・ツッコミは、全面的に歓迎します。
◆世界観におぼえる凄まじい違和感
本作の舞台は現代の日本。母子家庭で、病気で入院中の母親の治療費と学費をバイトの掛け持ちで稼ぐ苦学生の志村光太は、クラスカースト上位に立つ不良で、国民的動画サイト「ニューチューブ」で活動するストリーマー「ニューチューバー」でもあるハマケンのグループに理由もなくいじめられる日々を送っていた。
自分は不幸と苦労の連鎖から逃れられないのに、自分をいじめるハマケンがストリーマー業で高収入を得て悠々自適に暮らしているという現実の理不尽さを飲み込んで生活する志村だが、そんな彼のもとに、ハマケンのグループでカメラマンを担当するクラスメイトの金子亨、通称カネゴンがやってくる。カネゴンはハマケンを真似てニューチューブ進出を目論み、強引に志村を自分のチャンネルのニューチューブ配信の企画に巻き込む。
カネゴンの理不尽に志村は今まで溜め込んだ怒りを爆発させ、志村とカネゴンは幼稚な殴り合いの果てに喧嘩別れをするが、翌日、喧嘩別れをしたはずのカネゴンから電話が入る。志村とカネゴンの喧嘩は配信用のウェブカメラで録画されており、しかも喧嘩のさなかに配信用PCのコンセントが抜けた際、ニューチューブの仕様で配信された動画がアップロードされ、それがインターネットでバズってしまったというのだ。
喧嘩動画のバズりによって全世界の笑い者になり、ハマケンのグループからはじき出されてカースト最下層に堕ちたカネゴンは、このバズりを奇貨として、志村に「このバズが注目を引いているうちにニューチューバー業をスタートさせ、大金を稼ぐ」ことを提案。二人はクラスカースト最下層からの下剋上に挑む…
というのが本作のあらすじだ。
早速苦言から入ってしまうが、本作第一の欠点は、舞台を「現代の日本」に設定したことだ。これが設定面で無視できない違和感を生んでしまっている。
第1に、これは訪日したウェブトゥーンあるあるらしいのだが、本作は韓国が舞台であった原作を「日本が舞台」というかたちに翻案したくせに、ビジュアルを原作から殆どいじってないので、背景などのビジュアルは韓国風のままだ。なので日本の視聴者は1クール中ずっと「こんな光景、日本にはないけど…」という違和感を抱えることになる。
繁華街などはいいものの、外観もインテリアもまるきり韓国な志村が住んでいる集合住宅なんかは「日本にこんな家ないわ!」と10人中10人が突っ込みたくなること必至だ。
もっと深刻なのが、「現代の日本」を舞台にしながら、現代とは思えないほど本作の治安が壊滅していることからくる違和感。
治安が悪い事自体はいい。問題は本作が「なぜ治安が悪いのか?」という視聴者の疑問に対し、一切答えを用意していないことだ。
1話の冒頭からハマケンは、作中のチャンネル視聴者には「友達とのちょっとした遊び」と嘘をついて志村をいじめる様子を配信しているし、その後もマクドナルド(っぽいファストフード店)の店員で本作のメインヒロイン・朝宮夏帆をナンパしようとするし、4話ではなんと志村をリンチする様子を配信している。「現代の日本」だったらこんなチャンネルは善意の通報から悪・即・BANの即死コンボを受け、ハマケンは炎上を免れないだろう。
しかし喧嘩独学の世界における「現代の日本」では、老若男女が視聴する国民的動画サイトで無法な配信をしているハマケンは100万人のチャンネル登録を目前に控えるほどの大人気を獲得しており、どうやらこの世界に「倫理」や「モラル」といった概念は存在していないようだ。
また、詳しくは後述するが、志村とカネゴンは下剋上のために「ハマケンのような悪に喧嘩を挑み、成敗すること」をチャンネルのメインコンテンツにするのだが、常識で考えれば、老若男女が視聴する国民的動画サイトでそんな配信をしていたら暴力的なコンテンツとしてチャンネルはBANされ、暴行なり傷害なりで志村とカネゴンは逮捕を免れないはずだ。どうやらこの世界の警察機構は機能していないようだ。
このように地に落ちた世紀末的な世界観を視聴者に提示しておきながら、3話ではカネゴンが志村に「やり過ぎには気をつけろよ、あまり過激なコンテンツは収益化できないんだからな!」と語るシーンがある。「喧嘩・暴力の配信」は過激ではないのだろうか。
モラルが終わっているのはニューチューバーだけではない。1話でカースト最底辺に堕ちたカネゴンは自分よりも弱そうな「いけにえ」を探してカースト最底辺を押し付けようと、きょうびギャグ漫画にしか出てこなさそうな陰キャキモオタに声をかけるのだが、次の瞬間、そのキモオタはカネゴンを殴りつけ、マウントを取ってボコボコにするという暴挙に及ぶ。ぶっ飛びすぎて思わず笑ってしまった。
このように、喧嘩独学の世界は「現代の日本」が舞台とは思えないほど治安が崩壊しているのだが、先述したように本作はそれに対して一切答えを用意していない。不良漫画でよくある「主人公たちの通っている学校はいわゆる『底辺校』なので、無法もまかり通る」といった最低限のエクスキューズさえない。
このため視聴者は、1クールの間ずっと「こんな配信してたら通報から即BANだろ…」「街中でこんな喧嘩してたら逮捕されるだろ…」というツッコミをこらえなければならない。
また、ここまで来ると考えすぎ・難癖になるが、今まで様々な「わるいインターネット」を見てきた自分としては、二人はあんな嫌なバズり方(喧嘩動画の流出・バズリ)をしたら瞬く間に暇人達によって「喧嘩独学キャニオン」とか「喧嘩独学ZONE」とか音MADを作られ、プロフィールを特定され、心無い人達に自宅凸とかされて、ネットの海に決して消えないデジタルタトゥーが刻まれ「クラスの底辺に沈む」では済まない人生終了ルートに落ちるのではないか…と思ってしまった。
◆令和の『ベスト・キッド』
2話で、配信を使って全世界にハマケンのヤラセを暴露し、ハマケンのプライドを傷つけることに成功した志村とカネゴン。志村はこれをきっかけに動画から多大な広告収入を得るとともに先述したヒロインの夏帆とも急接近し、今までにない幸福を手に入れる…が、屈辱を味わったハマケンは夏帆とデートしていた志村を不良仲間とともに強襲しリンチ(このシーンが前述の「だがクラスメイトに絡まれ敗北」のくだり)。夏帆の幼馴染で総合格闘家の扇達也のお陰で命は助かったものの、志村は「憧れのヒロインの前で何もできずにボロボロにされる」という人生最大の屈辱を味わう。
そんな時、志村は登録者数皆無の謎のニューチューブチャンネル「dokugakukennka」を発見。そのチャンネルでは、格闘の達人を名乗る鶏のマスクを被った男「闘鶏」が、「格闘技経験のない一般人が、格上の相手に喧嘩で勝つ方法」を教授していた。
志村は屈辱をバネに闘鶏の教えに従い猛特訓。喧嘩でハマケンを下すと、志村とカネゴンは本格的に「ハマケンのような悪に喧嘩を挑み、成敗すること」をメインコンテンツとするニューチューブチャンネル「喧嘩独学」を始動させる。
ハマケンのリンチに対するリベンジを成し、喧嘩をメインコンテンツとすると決めた後の展開は、一言で言えば名作中の名作映画『ベスト・キッド』へのオマージュであり、そこにいわゆる「不良漫画」のエッセンスを加えたものになっている。
いじめられっこの少年がメンターを見つけ、一見非合理的な修行を続け、それが実って強敵を倒していく…という物語の基本的な流れは『ベスト・キッド』そのもので、「一見格闘技に繋がらなさそうな特訓が、実は重要な特訓だった」というベスト・キッドを直球でオマージュした演出も登場する。
「殴り返して、人生をひっくり返せ」という公式のキャッチコピー通りの、強敵に挑みながら、当初は利害が一致していたに過ぎなかった志村とカネゴンが真の友情を結び、チャンネルの編集担当の二人目のヒロイン・八潮秋と出会い、金と友情を勝ち取り人生を好転させていくストーリーには下剋上のカタルシスがあり、その点ではちゃんと満足できた。
志村のメンターであり、ベスト・キッドで言えばミヤギのポジションに当たる闘鶏は一見すると最近の「小説家になろう」や「カクヨム」発の下剋上系作品に散見される「主人公にズル技を授けてくれる都合のいい存在」にも見えるが、闘鶏は動画越しに策を授けてくれるにすぎず、結局最後は志村自身の強い意志がものをいう…という、いい意味で泥臭い、下剋上の過程をしっかりと描いている部分は好感が持てた。
実際作中でも、強敵との大一番では「強敵相手に闘鶏の策は全て破られてしまい、最後は志村が根性と闘鶏から学んだ技の応用で勝利する」という流れで勝利しており、「最後に勝利を手繰り寄せたのは志村の強靭な意志である」ことは強調されている。
◆玲央という物語最大のノイズ
残念ながら、ここからはさらなる問題点についての話題となる。
ハマケンを下した志村は、視聴者とカネゴンからのリクエストによって、半ば強引に次の対戦相手を決められてしまう。喧嘩独学チャンネルが次なる成敗の相手に定めたのは、元総合格闘家で、テコンドーの名手・新庄玲央。
彼は見知らぬ人に声をかけてはいちゃもんをふっかけてテコンドーで叩きのめし、あえて一人を集中攻撃して周囲の何もできない被害者に恐怖を刻みつけると同時に無茶苦茶な要求を突きつけて、絶望に染まった顔を見るのが好物…というクズオブクズ。
志村が彼と戦い、闘鶏から授けられた策を全て破られ絶体絶命になりながらも、玲央に痛めつけられたカネゴンの敵を取るべく根性を振り絞り勝利する展開そのものは、若干冗長であるものの熱く、熱中できた。
問題はこの後で、玲央は倒され、今までの所業にふさわしい罰を受ける…と思いきや、意識を取り戻して立ち上がり、「次に俺の目の前に現れたら、殺すからな」と言い残して去ってしまう。さらに志村は玲央を評して「俺はあいつに手加減されていた気がする。本気を出せば俺なんてもっと楽に倒せたはずだ。あいつはひょっとしていいやつなのかも…(※要約)」と世迷言を言い出すのだ。
いやいやいや。
そいつ、今まで何人もの罪なき人々をテコンドーで理不尽に傷つけてた奴だぞ。お前の親友のカネゴンもそいつに殺されかけたし、お前も一歩間違えば死んでたんだぞ。それを忘れたのか。
自分の罪をまるで自覚できてないDQNテコンドー男が「実はいい奴」なわけないだろ!!
しかも、詳しくは後述するが、終盤に新たな敵と戦うために志村は玲央に教えを請う(玲央は自宅を兼ねたテコンドー道場で罪悪感を覚えるでもなく平然とした顔で生活しており、彼は自首しなかったし、周りの住人も彼を警察に通報したりはしていないようだ。警察仕事しろ)のだが、彼は志村に「俺が今まで喧嘩した中で、最強だったのはお前のテコンドーだ!最強のお前の力が必要なんだ!」と言われてトゥンクしてしまい、志村に力を貸す第2のメンターポジションになる。要は『ドラゴンボールシリーズ』のベジータ的な立ち位置に落ち着くのだ。
いやいやいやいや!?自分の罪に無自覚なDQNテコンドー男がベジータは無理があるだろ!!
一応、この志村が教えを請う回では回想シーンがあり、
「かつての玲央は名のあるテコンドー選手だった父に師事する真っ当な青年だったが、テコンドーの衰退に伴い父が経営する道場はテコンドーの教室だけでは食っていけなくなり、テコンドー道場を幼児向けの学習塾(学童保育?)と兼業し始めた。これを『あの最強の父がテコンドーを蔑ろにした』と感じた玲央は『自分が総合格闘技界を制してテコンドーが最強であることを世界に知らしめ、テコンドーを再興させる』という志を胸に総合格闘家となるが、達也に敗れてしまい、夢破れて不良に堕ちた」
という、玲央が現在のクズに堕ちた経緯がわかり、同時に、志村が「テコンドーが最強」と邪心なく自身を評価する姿を見てかつての志を思い出し、彼にテコンドーを授けたことがわかるのだが、だとしても今まで何人もの罪なき人々をテコンドーで理不尽に傷つけてた罪は消えない。
個人的には、画面の前の僕の感想と乖離した、作中における玲央の「実はいい奴」「悲しき悪」扱いは本作の面白さを減ずる最大の問題点とさえ感じた。
◆恋愛、いる?
問題点はまだある。
本作には
という2人のヒロインが登場し、ヒロインと男衆の恋愛模様も本作の見所の一つとなっている。
劇中では
という関係性が築かれており、メインの喧嘩パートの箸休めに恋愛パートが描かれる。
…のだが、この恋愛パートは一昔、いや二昔前の少女漫画風…というかそうした少女漫画の薄味なパロディのような内容で、正直言ってつまらない。なんせヒロインが微笑んだらいちいち画面がキラキラして、BGMが甘ったるいラブソングになるのである。ベタにもほどがある。
このベタベタな恋愛にAパート or Bパートがまるまる割かれている回もあり、そういう回は正直苦痛だった。
バカすぎて笑ってしまったのが、志村と夏帆がデートする3話。志村と夏帆は流行のカフェでパフェを食べるのだが、その際に夏帆はガチガチに緊張した志村が無意識に席選びをしただけなのを「志村くん…自分は日差しの強い席に座って、私を日差しから守ってくれていたんだわ!」と早合点してトゥンクするのである。あまりにチョロすぎて「童貞の妄想を見せられてるのかな」と爆笑してしまった。
◆肩透かしの最終回
最後の問題点が、あまりに肩透かしな最終回。
志村は、夏帆が韓国式の相撲「シルム」の天下壮士(横綱)、ファン・ミンギにストーキングされていることを知るが、ミンギは体格も技も優れ、頼りの闘鶏も「一般人が多少訓練をしたところで、鍛え上げたグラップラー(掴み技を使う格闘技者)に敵うことはない」と無情な現実を告げる。
だが、志村は無謀にも闘鶏の忠告とカネゴンの制止を無視してミンギに挑む。それは夏帆を守るためでもあったが、自分の中に「喧嘩が楽しい」という、戦いの愉悦が生まれたことに気づいたからだった。
彼は玲央に頭を下げて教えを請い、テコンドー最強の必殺技「後ろ蹴り」を体得。それを切り札にミンギに挑戦する。
窮地に立たされた志村は玲央直伝の後ろ蹴りを繰り出す。キックは偶然ミンギの股間を直撃しダメージを与えるものの、それが原因でミンギは激昂、志村を掴んでコンクリートの地面に叩きつけようとする。
無我夢中で彼はミンギの肉体を掴んで技から逃れようとするが、その時彼が掴んだのは、ミンギのかぶるウィッグ。彼は若ハゲをウィッグで隠していたのだ。自分のコンプレックスがカネゴンの手で全世界に配信されていることを知ったミンギは戦意を喪失してしまう。
戦意を失ったミンギは、女性にモテるためにシルムを始めて天下壮士になったが、天下壮士の座を手にしてもグッドルッキングではなかったため全くモテなかったこと、夏帆をストーキングしているつもりはなく「真っ直ぐな姿勢が恋を引き寄せる」という世界的なナンパ師の教えを実践しているだけだったこと、逆に志村を「夏帆のストーカー」と思い戦っていたことを告白し、ミンギ・志村・カネゴンは「非モテ」同士意気投合。
重病の母にはやっとドナーが見つかり、志村が新たに手にした幸せを噛み締めたところでアニメは終了する。
「メンターの教えに従うのを止め、自分の意志で特訓をし最強の敵に挑む」「かつて戦った最強の敵から技を授かる」という、あらすじだけ聞くとクライマックスにふさわしいビッグバトルが待ち構えているように聞こえる最終回だが、その内実はギャグ回。
玲央から授けられた超必殺技が「金的」という下らないギャグに使われたのはまだいいものの、戦いはミンギの若ハゲが露見して決着がつかずに、非モテ同士共感して終わり…というコメディで肩透かしなクライマックスは最終回にはあまりにもふさわしくない。これが中盤の箸休めのエピソードとかなら文句はない。むしろ笑えただろう。が、これは最終回、物語の最高のクライマックスとなるべき部分である。
それが「最強の敵を倒してクライマックスと思いきや、敵対関係は思い違いで非モテ同士語らい意気投合して終わり」ではあまりにも締まらない。
そしてミンギを倒した後は「俺達の戦いはこれからだ」エンドで〆。
原作付きアニメあるあるの「俺たた」エンドは最初から覚悟はしていたし、物語にしっかりとした一区切りがなされていれば「俺たた」でも全然問題はない。アニメ版『シドニアの騎士』など、「俺たた」を加味しても名作と呼ばれるアニメもたくさんある。
が、本作は、上記の肩透かしなクライマックスとの嫌な合わせ技により、覚悟したうえでも「終わり?ここで?」という虚無感は相当なものだった。
当然、1クールで敷かれた
といった伏線や今後の展開は、全部ぶん投げられて終わった。
◆総評
問題点に関する記述に文字数の多くを割いてしまったが、本作は決してつまらなくはない。
志村が強敵を前に、泥臭く特訓をして、相手の弱点を突いてジャイアントキリングを成し幸福を手に入れていくストーリーにはシンプルな下剋上のカタルシスがあるし、特に中盤の山場である玲央との決死の戦いには白熱した。
だが、同時に僕のようなアマチュアにもわかるような問題点も多く、特に人道に背いた犯罪を犯しまくっているのに「悲しい過去があるので今までの悪行はノーカン」と言わんばかりの特別扱いをされる玲央やあまりにも肩透かしな最終回は、かなり面白さを減ずるウィークポイントになってしまっていた。
正直に言うと「これが20億ビューを稼いだ大人気作?嘘でしょ?」という疑問は拭えない。
総合すると「100点満点中65点」といった具合の作品で、繰り返しになるが、つまらなくはないものの胸を張って「これはオススメ!」と言うことは決してできないと感じた。
「オマージュ元の『ベスト・キッド』見たほうがいいと思うよ」。
本作が気になっている人に、全話を視聴した僕から贈るアドバイスはこの一つだけだ。