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2024年に観た映画の感想 4月~6月編

今年から始めた、観た映画の感想をまとめていくnote第二弾。
今回は4~6月の映画をまとめていく。

ネタバレ込みの感想なので、ネタバレを避けたい方はブラウザバック推奨。


◆4月

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章

原作未読。
浅野いにお氏がどれだけメジャーな作家なのかも知らない頭まっさらな状態で見に行ったが、これは大大大傑作が生まれる予感。
非日常が日常になった世界の、おんたんと門出と友人たちの日々そのものも面白いし、その裏でうごめく異常の見せ方も上手で観客の期待を煽ってくる。日常をさんざ見せてから、非日常と日常の摩擦で「上げて・落とす」演出にもショックを受けた。
「A線への恐れから市民活動に傾倒してしまった門出の母親」とか「『ネットの真実』に囚われてしまった小比類巻」といった設定は「震災以降の現実」を取り入れ、かつ解像度も高くて作品の実在感を上げている。

本格的な感想は後章(完結)を待たないといけないが、今のところ不安要素はゼロ。
今は2人に、世界に、平穏と救いが訪れることを願うのみ。

◆5月

コードギアス 奪還のロゼ 第1幕

『亡国のアキト』『双貌のオズ』などの既存外伝と比較すると、ストレートに原点である『反逆のルルーシュ』のオマージュをやっていて「俺達のギアスが帰ってきたんだ」と素直に喜べたとともに、「『反逆』のオマージュ要素に喜べるほど、『反逆』から時間が経ったのだなあ」としみじみ思った。

繰り返しになるが、一話の「圧倒的不利な状況を、主人公・ロゼの知略が覆す」というクライマックスを筆頭に本作は『反逆』へのオマージュが強く、

・聴覚から作用する絶対遵守のギアス
・ロゼの知略で敵(ネオ・ブリタニア)のナイトメアを奪って自軍の戦力にする
・自分の境遇を偽り続けなければいけない主人公・ロゼ
シリアスの間に差し込まれるラブコメと乳揺れ

などのオマージュ要素には興奮した。
一方で単なる『反逆』のなぞりに終わらない「ネオ・ブリタニア、というかノーランドの思惑」「ロゼとアッシュの偽りの兄妹の行く末」などの要素もあり、続々と参戦する『反逆』キャラクターの存在もあって、今後のシナリオへの期待はとどまるところを知らない。

戦闘シーンも、1期や『亡国』のような、スラッシュハーケンによるワイヤーアクションを交えた地上戦に回帰しているのは好印象。空戦用KMFのZiアルテミスが登場したところを見ると空中戦もやるのだろうが、地上戦路線は貫いてほしい。
ただ、『復活のルルーシュ』でも感じていたのだがアクションの質に関しては、同じ3Dを取り扱った『亡国』のほうがよかった。KMFどうしの白兵戦はカッコいいのだが『亡国』ほどの変態さはなく、100点満点中80点ぐらいのクオリティにとどまっていた。

『亡国』の戦闘シーン、最高だよね

そして外せない話題が木村貴宏氏(キムタカ)が主に手掛けたキャラデザと作画。
超絶セクシーでボンキュッボンな女性陣と彼女たちのお色気は今作でも踏襲されており、貧乳キャラのハルカは尻を強調したアングルで魅せるなど工夫も惜しみない。
素晴らしいのが「みんな、薄い本で好き放題しちゃってね!」と言わんばかりのネオ・ブリタニア陣営のヒロイン、キャサリン・サバスラ。

彼女の登場シーンでは乳が揺れまくるのだが、ちゃんと「衣服という拘束具に抗いながら、おっぱいが衣服と『おっぱいの根本』のはざまで揺れている」感じが出ているのだ。
もちろん、物理法則と衣服の伸縮性をガン無視した無重力乳揺れも大好きではあるのだが、このリアルを取り入れた描写には無重力乳揺れにない色気がある。
素晴らしいだけに、この神の御業をもう見ることができないという事実が悲しい。エンドクレジットの最後に流れた、木村氏を追悼する一文には思わずウルッときてしまった。

5年ぶりの『ギアス』は、今度も僕らを驚かせてくれそうでとても楽しみ。6月が待ち切れない。

トラペジウム

正直、この映画を未だに飲み込めていない。

実は刊行当時に原作を読んだのだが、その時は主人公・東ゆうのことが一切合切理解できず「アイドルキチ◯イ人格破綻サイコ女が友達3人をエゴで振り回して不幸にして、最後は何か雑に許されてしまう、理解不能な大駄作」というクッソ浅瀬パチャパチャな咀嚼しかできなかった。
その時の印象を引きずりながらアニメ版も半ば「怖いもの見たさ」で見に行ったわけだが、映画館を出て心に残った感想は「面白い」でも「つまらない」でもない、自分でも理解不能・形容不能な大きな感情の混沌、とでも言うべきものだった。
確かなのは上記のクソ浅理解が払拭されたという一点だけで、鑑賞から約2ヶ月経った今でも、僕はトラペジウムという作品に対して、東ゆうという女に対してどういう感情を抱くべきなのか把握していない。
この作品を心の「面白い」の棚にしまうべきなのか、「つまらない」の棚にしまうべきなのか、はたまた「怪作」という雑なカテゴリに放り込むべきなのか。一切わからない。
ここまで自分を惑わせる映画には、久々に出会った。

『トラペジウム』という作品に対する感情を整理しないまま今年を終えたくないので、再上映の機会があればもう一度劇場に足を運び、この映画をもっとよく咀嚼したいと考えている。

(2025/01/04 追記)
24年8月に行った2度目の鑑賞を経た感想をnoteにまとめました。

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章

面白かったが、前編で抱いた期待を満たしてくれる内容だったかと聞かれると素直に「YES」とは言えない内容だった。
前作最大の謎であった「現在と食い違うおんたんと門出の記憶」という伏線が大葉のスーパーパワーで「おんたんは門出が自殺した別世界から、今度こそ門出を守るためにこの世界のおんたんに意識を飛ばした」「だが、そのおんたんの行いで歴史が変わってしまい、この世界は『侵略者』の攻撃を受けることになった」と(侵略者が来襲した理由も含めて)足早に説明されてしまったことへの落胆もあるが、一番引っかかったのは世界が滅亡の危機を迎えるクライマックス。
これがいまいち飲み込めず、カタルシスを感じなかった。

本作はものすごい要約すると、主人公(おんたん)が「世界を敵に回してもヒロイン(門出)を救うか、ヒロインを犠牲に世界を救うのか」という選択を迫られる、所謂「セカイ系」の文脈で作られており、おんたんは「門出が生きている世界にジャンプする」という行いのせいで歴史を変えてしまい「本来現れるはずのなかった『侵略者』を地球に呼び込み、世界破滅の危機をもたらす」という罪を背負うことになる。
…はずなのだが、おんたんはジャンプの代償に、兄である(ジャンプ前の世界の)ひろしが最後に伝えた「運命を変えろ」という言葉を除いたジャンプ前の記憶を失っており、世界と門出を天秤にかけた経験も忘れてしまっている。
それゆえに「歴史を変えた罪」を自覚することがないので、いまいち「世界か、門出か」という選択の重みが見ている側に伝わってこないし、ひろしから学んだ「そばにいる大事な人を守ることこそが『絶対』」という作品に通底する(であろう)テーマもいまいち伝わってこない。
しかも、おんたん達は侵略者と地球人の戦いに翻弄されつつもず~っと日常を謳歌しているだけで、結局世界は主人公である門出とおんたんの行動は関係なしに、大葉の献身で救われ、その大葉もなんだかんだで一命をとりとめておんたんのもとに戻ってくる。おんたん達は世界に対して何もしなかったくせに最良の結果を得てしまうのだ。
前章から続くおんたんと門出の「絶対」の友情は尊いものの、おんたんの記憶絡みの設定とラストはちょっと「都合が良すぎる」と思ってしまい、ノリきれなかった。

前章で「ネットの真実」に毒されてしまった小比類巻が「母船の爆発で滅んだ地球で新世界の神になる」とまで言い切る狂人に豹変してしまったのも唐突に感じた(最初は「キホの敵討ちでもあるのかな」と思ったが、それだけであそこまでクレイジーになるもんだろうか)。

前作から続く「日常と非日常の隣接がもたらす不穏」の見せ方や、クライマックスを除く人間ドラマは面白かったものの、個人的には上記した部分のせいでケチが付いてしまった作品。
だが「作品が不出来」とはあまり思わない。前記した『トラペジウム』もそうなのだが、どちらかというと「自分の貧弱な咀嚼力のせいで、『デデデデ』という作品を咀嚼しきれなかった」という自責が強い。
僕は以前のnoteでも書いた通り、あまりフィクションへの理解力が高くないので、賛否両論を呼びそうなエッジの効いた作品を咀嚼しきれずに、結局小学生並みの感想しか出力できないことが非常に多い。

フィクションの咀嚼力ってどうしたら鍛えられるんだろうね…。

劇場版 ウマ娘プリティーダービー 新時代の扉

「レースシーンの素晴らしいアニメーション」という一点だけで100点満点中5000万点。そんな作品。
ジャングルポケットが駆け抜ける数々のレースの作画はひとつひとつが大迫力、かつそれぞれのレースがきっちりと差別化されており、嫌な言い方をすればただの「かけっこ」であるレースを、ここまでダイナミックに、かつ差別化して描けるものかと本当に感動した。特にポッケがダンツフレームと競り合う日本ダービーは白眉であった。
タキオン、フジキセキ、オペラオーなどのゲームにおける固有スキルの演出を映画向けに改変した演出も、ゲームを知っていると「うまく落とし込んだな」と思ったし、あえて派手な劇伴を廃したことも、現実の競馬と同じ緊迫感を演出することに一役買っていて感心した。

無論映像が素晴らしいだけの映画、なんてことはなく、実際の競馬シーンを「皐月賞でのタキオンの幻影に囚われスランプに陥ったジャングルポケットが、ポッケの走りに希望を見たフジキセキの(ポッケがトゥインクル・シリーズに飛び込むきっかけとなった)走りを見て再起し、タキオンの幻影を乗り越えるべくジャパンカップに挑む」という形に解釈・再構成したストーリーもシンプルながら熱く、手に汗握るものだった。

ウマ娘最大の見せ場である「走り」を魅せることを徹底的に追求した名作でした。

余談だが、友人に誘われて本作で人生初のMX4Dを体験した。
先述した日本ダービーのシーンでは特に座席がぐわんぐわん揺れ、「俺は今…ウマ娘になっている!!」とちょっと錯覚してしまう貴重な体験ができた。

◆6月

コードギアス 奪還のロゼ 第2幕

なんで!太陽に放棄されたはずの!!
ダモクレスが!!!北海道にあんねん!!!!

繰り返しになるが、なぜ『R2』の最終回で太陽に投げ込まれたダモクレスがフレイヤともどもネオ・ブリタニアの手に落ちているのかが気になっていまいち本編に入り込めなかった。
ていうか、戦後フレイヤに対して何も行動を起こしとらんかったんか超合集国と黒の騎士団は。それともネオブリタニアにフレイヤを提供できるようなスポンサーでもいるんだろうか。

2話かけた割にあっさり感があったダモクレス攻略戦のインパクトの薄さもあってか、第1幕ほど盛り上がるシーンがなく「終盤に向けての溜め」に終わってしまった感。ダモクレスを最強たらしめていたのはシュナイゼル/ルルーシュの手腕だったんだなぁ、としみじみ。
ただ、インパクトこそ第1幕に比べて薄かったものの、ギアスの存在を知るシザーマンの登場、なんか関係性が生まれそうなサクラとキャサリン、ナラを絡めて少しずつ明かされるアッシュの過去、そしてギアスユーザー疑惑のあるシザーマン配下の謎の男など本作独自の要素が徐々に明かされ、序盤こそ『反逆』オマージュにこだわっていた物語が『反逆』オマージュに終わらない独自の路線に脱皮する兆しは見えた。

難点は敵が総じて印象に残らないこと。
6話経過した現在アッシュは3人のアインベルクを討ち取ったわけだが、全員倒されるために出てきたような雑魚ばかりでインパクトがないし、ネオブリタニアの強大さや主人公二人の強さもいまいち伝わってこない。
次回予告通りならいよいよ大将のノーランドが動くっぽいので、ここは第3幕に期待か。

思い返すと、アニメ映画しか観ていない3ヶ月だった。
夏はもっと実写映画が見たいなあ。できれば頭あんま使わないやつ。

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