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「憐れみの3章」真面目に観てたら、不意打ちでおちょくられる。
どうも、安部スナヲです。
ヨルゴス・ランティモスとエマ・ストーンが天下を取った「哀れなるものたち」
ご多聞に漏れず、私もあの奇天烈な世界感と物語に衝撃を受け、それからランティモス監督作品をいくつか遡って観ました。
特に刺さったのは「聖なる鹿殺し」と「ロブスター」。
いずれも物語の面白さに興奮しながらも、深層心理を抉られたような、曰く言い難い恐怖を味わいました。
本作「憐れみ3章」は、それらの作品でタッグを組んでいたエフティミス・フィリップという脚本家との、しばらく振りの共同脚本とのことで、いっそう期待して観て来ました。
【3章のあらまし】
エマ・ストーン、ウィレム・デフォー、ジェシー・プレモンスを中心とした俳優陣が、それぞれ独立した3つの物語で別の役を演じるという趣向を凝らした、オムニバス映画。
第1章は雇用主に生活のほとんどすべてを管理されている男が、ただ一度反抗し、クビにされたことで、人生の歯車が狂うハナシ。
第2章は海南事故で行方不明になっていた妻が、数日後に生還したが、彼女に感じたちょっとした違和感から、「もしかして別人ではないか?」という疑念を抱き、その妄想がとめどなく膨らんで狂って行くハナシ。
第3章はカルト教団信者の女が、死体を蘇らせる能力を持つ「卓越した教祖」を探し求めて奔走するうち、奇行がエスカレートして破滅するハナシ。
【感想】
やはりテイストは「聖なる鹿殺し」「ロブスター」に近いと感じた。
ランティモス作品はいずれも、現実世界からダークファンタジーへの飛躍が特徴的だが、支配的な恐嚇がジワジワ顕在化し、やがて悪魔みたいに襲って来る感じは、とりわけ「聖なる鹿殺し」に通じている。
第1章は、支配的な雇用主レイモンド(ウィレム・デフォー)によって生活のあらゆる営みからアイデンティティまでを掌握されてしまっているロバート(ジェシー・プレモンス)が、ジレンマを抱えて苦しんでいるハナシかと思いきや、レイモンドから見放された途端、人生が立ち行かなくなる。
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これまでずっとレイモンドの指示通りに動き、夫婦として最も重大な将来設計も、その支配によって阻まれていたという真実を、妻・サラ(ホン・チャウ)に打ち明けると、激怒した彼女は出て行ってしまい、ロバートは孤独に打ちひしがれる。
が、真の孤独はそのあとから、多層的に彼を襲って来る。
支配から解放され、自由の身となった筈の彼は、自分では何も選べない。
BARに行っても呑みたい酒がわからない。
女性にアプローチするのも、かつてレイモンドから教わったやり方しかできない。
ずっと誰かの指示・命令の通りに動いてたら、人間こうなってしまうのだ。
そんなロバートの不甲斐なさを嘆かわしく思いながら、ハッとさせらた。
翻って自分はどうか?
そう問いたただせば、やはりずっと流されて生きて来た。
程度の差はあれ、ロバートのような思考停止に蝕まれていることを認めざるを得ない。
ああ、何という辛辣…
第2章は愛妻・リズ(エマ・ストーン)が行方不明になってしまったダニエル(ジェシー・プレモンス)へのシンパシーが、ヘンタイ的おかしみを経て、いつの間にか最悪な忌避感にすり替わっているという、その転換こそが鮮やかな映画マジックだった。
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これも人間の精神はどんな風に壊れていくかが、実感としてわかってしまい、なかなか辛辣。
思い込みと強迫観念により被害妄想をとめどなく膨らませたダニエルが、次第に邪悪化して行く様は、やはり今ここにいる自分と、安易に切り離すことはできない。
ダニエルの狂った要望にこたえて、リズは自らを犠牲にする行為に及ぶのだが、あれを見た時、「イニシェリン島の精霊」におけるコルムの自傷行為を思い出した。
もうオレに話しかけるなと、何度忠告しても止めない旧友パードリックへの戒めとして、コルムは切断した指をパードリックの家に投げつける。
コルムと本作のリズは、心情も動機もまったくちがうが、自らに取り返しのつかない犠牲を与えてまで、想いや主張を貫く点、同じくらいの強度で自我が歪んでいると思った。
そういえばマーティン・マクドナーとランティモスの作風には共通点があるというか、観たあと、同じような苦味が残る。
第3章は自分には、よくわからなかった。
どうしてもカルト教団が対象だと、異常なのがフツウと思ってしまうところがあって、フツウの人が狂って行く境界を捉え難い。
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ここでの主人公・エミリー(エマ・ストーン)も、第1章のロバートと同様、帰属意識が強迫観念化してしまったタイプと言えるが、運転が異常であったり、可愛いワンちゃんを平気で傷つけたり、既にグロテスクに仕上がっていて、感情移入が困難。
中盤、ある禁忌を犯して教団を追放された時、悲痛な叫びで帰参を懇願する彼女の気持ちは、自分にはまったくわからないが、切実さだけは伝わって来た。
…なんてことを真面目に考えるのがバカバカしくなるのがあのラスト。
あれは全てをブチ壊しにした豪快にしてシュールな幕引きだが、きっと観客をおちょっくってるのだ。
この映画は、ひいてはランティモス&エフティミス脚本は、往々にして、真面目に観ている観客を不意打ちでおちょくる瞬間が多々あるなと、あらためて感じた。
同じ役者陣でのキャスティングは、まちがいなく3章の世界観とテーマ性を束ねる効果を果たしている。
みな、クセの強い顔ぶれだから余計に盤石だ。
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メインキャストであるストーン、デフォー、プレモンス以外の役者も、みな良かった。
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特にホン・チャウとマーガレット・クアリーは各々の持ち味を生かしながら、それぞれのキャラクターを緻密に演じ分け、それでいてスッカリ奇妙奇天烈なランティモスワールドの住人になっていた。
あとR.M.Fもね。