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「スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース」革新性に着いていけなかった理由。
どうも、安部スナヲです。
ピーター・パーカー亡きあとスパイダーマンを受け継いだ少年マイルス・モラレスのもとにマルチバースから色んなスパイダーマンが集まってやんややんや盛り上がっていた2018年の「スパイダーマン イン・トゥ・ザ・スパイダーバース」
その続編である本作ではスパイダーマンの精鋭部隊が結成され、よりファンタスティックな異空間を舞台に、とにかく振り回されながら、奇妙な穴ボコ怪人the spotとの戦闘、グウェンとマイルスの淡い想いを秘めた寄り添い、親子愛ゆえのすれ違い…
と、まぁいろいろあるのだが、正直、映画を楽しむ許容量が追いつかず、せっかくの豪華なフルコースを半分も味わえなかった気分だ。
何故そんな勿体ないことになったのか、自分の映画的趣向や映画リテラシーを振り返りながら掘り下げてみたい。
【革新的なビジュアル攻勢】
子供の頃から日本のアニメに馴染んでる身としては、いわゆるセル画こそがアニメという擦り込みがあった。
その概念を崩された最初の作品は高畑勲の「かぐや姫の物語」で、あの作品は筆や鉛筆などによる描画がそのまま動いてる感じが斬新だった。
片渕須直の「この世界の片隅に」もタッチはちがうが、(自分的には)この系譜上にある。
ディズニーやピクサーの3DCGアニメはいったん置いとくとして、絵のインパクトとして「かぐや姫~」以来の衝撃だったのは昨年公開の(まだ上映してるところもあるが)「ザ・ファースト・スラムダンク」だ。
ゲバ評的に耳にするのは「ザ・ファースト・スラムダンク」は「イン・トゥ・ザ・スパイダーバース」がなければ存在しなかったというくらい、その表現手法においての影響が顕著だという。
で、その続編である本作は、前作をも凌ぐ革新性に映画界隈が騒然となっている。
が、私としては革新性が一人歩きしてないか?というのが率直な感想だ。
これはアニメというよりも、コミックとグラフィックアートとCGが相乗的に絡み合ってドヤ顔で迫って来るような、こんなの言葉で説明しようとすることじたいバカげてるのだけど、とにかくスゴい。スゴ過ぎて楽しむ余裕がなった。
前作「イン・トゥ・ザ・スパイダーバース」と「ザ・ファースト・スラムダンク」は、まだ革新性に驚きながらも感動したし、楽しむこともできた。
しかし本作は、ビジュアル攻勢が過剰過ぎて美的感覚が麻痺してしまう。
1カット1カットを絵として見ても相当な密度なのに、それをあのテンポとスピードで2時間半見せられる。
着いていける方がフツウじゃなくないか?
というワケで私はこの映画の革新的なビジュアル攻勢を踏ん張りながら受け止めるのが精一杯で、物語に入るまでには至らなかった。
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【アメコミ弱者の私が本作を観る理由】
元々アメコミ映画はほとんど観ない。
特にMCU(マーヴェル・シネマティック・ユニバース)以後は正直言って、避けてる。
興味をそそられることはあるが、年々、矢継ぎ早に作品が量産されるので「今更観てもどうせ着いていけない」という気になってしまい、尚更距離が遠くなる。
かと言って、あの膨大な作品群に今から向き合うほど、残りの人生ながくはない。
実際、気まぐれにいくつかの作品を掻い摘んで観たとしても「この世界線ではこのキャラクターはこういう立場なんだ」というような、おそらくファンからするともっともアガるところを味わえないので、どうしても不完全燃焼になってしまう。
そして以前からちょっと苦手かもと思っていたことが本作を観て確信に変わったのだけど、自分はマルチバースがダメなようだ。
「エヴエヴ」にイマイチ乗れなかった要因もどうやらそこにある。
特定の人物やキャラクターが別次元ではまったくちがう人生を送っているとなると、感情移入できなくなるのだ。
この次元では不幸な人が、並行する別次元では幸せだったりすると「それはそんでええがな」という気持ちになり冷めてしまう。
なので私にとっては、そもそも「唯一無二のスパイダーマン」の物語で良いのだ。
だったら何で観たの?ってハナシだが、とはいえアニメ表現を切り拓いたこのシリーズを観ないというのも、それはそれでマズい。というか寂しい。
先にも触れたが、あの素晴らしい「ザ・ファースト・スラムダンク」は前作「イン・トゥ・ザ・スパイダーバース」がなければ成し得なかった(らしい)のだ。
つまり、好むと好まざるにかかわらず、今後の映像表現を劇的に変えるほどの映画であると知りながら、それをリアルタイムで観ないと絶対後悔する。そんな思いが強かった。というか寂しいやん?
【唯一無二のスパイダーマン】
果たして、あれはスパイダーマンか?
ステロタイプと言われればそれまでだが、私にとってスパイダーマンはパッとしない感じのティーンの男子が放射能蜘蛛に噛まれて不思議な力を得たことで、ちょっと調子に乗りながら悪と戦い、そらメガネも外すわい、憧れのMJからも惚れらるわいという「気まぐれオレンジロード」的なセオリーが刻印されている。
まずその点においてマイルスは垢抜け過ぎている。
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トビー・マグワイアがやってた頃みたいな、いなたいガリ勉優等生みたいのは、もう今はいないのかも知れないけど、どうもアップデートされたスパイダーマンとしてのマイルスにピンと来ない。
既に「古き良き」の箱庭の中で凝り固まってる老害予備になり下がっていることを承知でさらに言わせてもらうと、やはり20年前にサム・ライミが監督したスパイダーマンこそがスパイダーマンだ。
アクションだって、今の映画からするとショボショボかも知れないが、壁をペタペタ這い登ったりビルとビルの間をピョンビョン飛び移ったりする様を「オレもあんなことやりたい!」という目線で観るのがスパイダーマンだ。
スタン・リーの世界観にどちらが近いのかはわからないが、今のMCUスパイダーマンはスケールがデカ過ぎて、もう赤いタイツを纏った身体能力高めの男に救える範疇ではないという気がしてならない。
加えてそのスケールがマルチバースに及び、尚且つスペックちがいの色んなスパイダーマンが登場するこのシリーズになると、もう力点をどこに置けばいいのかわからなくなる。
そう、唯一無二のスパイダーマンこそがスパイダーマンだ。
【グウェンとthe spot】
とはいえ、この映画に登場する色んなスパイダーマンは全員面白くて魅力的だ(どないやねん)
やはり、スパイダーウーマン、グウェン・ステイシーには強く惹かれる。
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南アフリカ出身の白人スーパーウーマンということで個人的にシャーリーズ・セロンどダブる感じがあるのだけど、まずあのcoolでありながらワビサビも感じる風貌が最高にカッコ良い。
ヨウジヤマモトデザインっぽいスパイダースーツも似合っている。
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グウェンの髪型がツーブロックなのは前作で、スパイダーマンへと肉体変容する過程で手に粘着を帯びたマイルスが彼女の髪に触れてしまい、剥がれてしまうというアクシデントに由来するのだが、こういう如何にもマンガ的なエピソードも良い。
あまり正義感を表に出さない彼女だが、今作では自分を理解しようとしない警察署長の父に対して、切実に感情をぶつける。
よくある不良娘とカタブツな父との確執ともちょっとちがっていて、国家権力のもとに人を救うことと、非合法に暗躍するスパイダーウーマンとして人を救うことの何処がちがうかという提起には、なかなかに深みがあった。
全キャラクターの中でのMVPはメイン悪役のthe spotだ。
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前作でマルチバースの入口(ポータル)を開くための加速器を開発していた科学者・オーンは、色々あって穴ボコ怪人the spotになってしまった。
彼は、自分をこのような姿にし、将来を奪ったマイルスに根深い恨みを持っている。
the spotは自分自身の体の穴からマルチバース間を移動することができるのだが、カラダをクネクネさせながら、穴に入ったり、突然出て来たりする動きはシュールに楽しい。
こんな風貌だし、はじめはコメディリリーフ的に軽んじられていたが、段々とスパイダーマンたちの脅威になっていく。
本作において、もっともマルチバース設定ならではの楽しさを感じたのが、the spotだった。
【歴史的名作】
例えばビートルズの好きなアルバムを訊かれてみんなが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を選ぶわけではないのだけど、きっとあのアルバムが出た時は、あまりの衝撃に大多数の評論家筋やロックファンがもろ手をあげて絶賛したのだろう。
今、この「アクロス・ザ・スパイダーバース」で同じことが起きているのだと感じる。
この映画は、後世振り返っても歴史的名作と呼ばれるのだと思うし、実際、衝撃的な作品だった。
時が経てば、「プリーズ・プリーズ・ミー」をビートルズのいちばんにあげる人がいるように、トビー・マグワイア版こそがスパイダーマンという趣向もあって当然になると思うが、今は何だかみんなが「サージェント・ペパーズ〜」を讃えていたような空気をこの映画に感じるのが、些か歯痒くて、つい天邪鬼になってしまったようだ。
出典