「峠 最後のサムライ」ここまで腹を決められたら、そら散ってもなお美しいわ。
どうも、安部スナヲです。
侍をわざわざ「サムライ」と言い換えると、さらにマッチョな精神をあらわす言葉として響きますが、江戸末期において上位階級の武士の多くは権威に胡座をかいてるか、ことなかれ主義のお役人で、イメージするところの「サムライ」からはほど遠く感じます。
一方、下級武士といえば、みながみなではないにせよ、過激な暴徒か脱藩ニート(浪人)。こちらもやはりサムライではない。
今回、この映画をきっかけに河井継之助のことをいろいろ知り、このド田舎小藩の家老こそサムライと呼ぶに相応しいと、合点がいきました。
【サムライは一日してならず】
司馬遼太郎の幕末モノは若い時にほとんど読んだのですが、「峠」は未読でした。
戊辰戦争で徳川方について散っていった諸藩英雄の中で、長岡藩とか河井継之助ってどうも影が薄いというか、あまりエンタメ性を感じなかったのです。
それと何となく、奥羽列藩同盟にあとから「越」が加わったというところだけが中途半端にインプットされていたせいか、譜代のくせにギリギリまで徳川方への加担を渋ってたような優柔不断なイメージを抱いていました。
思い込みとは愚かですね。
今、そんな自分をとてもブン殴りたいです。
今回の映画化を知った時、せっかくだから公開に合わせて小説「峠」を読んでみようと思いました。
本当は読み終わってから映画を観るつもりでしたが、ウカウカしているうちに封切られ、慌てて読み始めたのですが、いかんせん全3巻というボリューム。読み終わる頃には上映が終わってるなと思い、先に映画を観て来ました。
映画は大政奉還から始まり、北越戦争を経て会津で継之助が死ぬまでの、小説の後半の話が主ですが、重要なことのほとんどは前半にあるという気がします。
誰よりも戦さの不利益をわかっていた筈の継之助が、何故最終的に愛する長岡とその民を犠牲にしてまで戦うことを選んだのか。
それは彼の元々の性格、影響を受けた思想や学問、長岡藩のビミョ~な位置付けがあいまみえた結果であり、それがつぶさに描かれているのが前半です。
そこを知るのと知らないのとで、継之助の苦渋の決断への納得度が全然ちがってきます。
【知行合一】
継之助は「知識など、生き方のなんの足しにもならない」という信条を持っています。
目的を果たす為に行動を起こす。その行動に必要な知識を得る。それ以上の余分な知識は、むしろ行動の邪魔になるという考え方です。
ちょっと難しい話になりますが、この考え方は「陽明学」と呼ばれる中国の儒教にある「知行合一」という教えから影響を受けたものです。
その意味は「知識と行動は一つである」ということ。
継之助は、学問にしても実践=行動に活かせることしか勉強しませんでした。
そんな彼がいちばん知りたかったことは「原理」
世の中や世界は何でどう動いてるか、その上で自分の存在意義をどう確立するか。
「原理」を見つける為、若かりし彼は江戸、京都、長崎を遊学しました。
佐久間象山(人柄は嫌いだったらしいが)、山田方谷といった最新トレンド学者にも学びました。
そうしてペリー来航以来、攘夷じゃ討幕じゃと揺らぐこの国でこれからどうするかを考えます。
彼は自分は長岡藩士であるという「立場」を全うすると心に決めます。
作中、継之助は「立場」という言葉を何度もつかいます。彼にとっては存在意義すなわち立場なのです。
長岡に帰った彼は藩の役人として出世を重ねながら、大胆な藩政改革をいくつも実行し、まずは瀕死の藩財政を立て直します。
面白いのはバクチと女は身を滅ぼすということで、賭博禁止、遊郭の廃止を断行したこと。
ちなみに継之助は大大大のオンナ好き。
遊学中も各地の遊廓で、自分は気がすむまで女郎遊びをしておいて、自藩では廃止するという。
これも男の「原理」にもとづいたことなのでしょうが、ズルいわ!
【小千谷談判】
さて前段までは、どちらかというと小説に描かれている継之助の人物像について触れました。
ここでは映画の中で、特に良かった名シーン「小千谷談判」を紹介します。
継之助(役所広司)は長岡藩の「武装中立」を確立する為に洋式軍隊の訓練を行なったり、イギリス商人から最新の武器を購入したりして、せっせと自衛力を固めていました。
新政府軍はこれまで長岡藩に、やれ兵を出せ金を出せとせっついて来ましたがスルーされ、剛を煮やしていました。
新政府軍は既に長岡の目と鼻の先、小千谷まで軍を進めています。
いよいよ継之助は、新政府軍本営近くのお寺で軍監の岩村精一郎(吉岡秀隆)と会って話します。
継之助は、今まで要求をスルーしてたことを詫びつつ、岩村に主張を述べます。
その主張は、今しばらく時間をくだされば、藩内の賛成派反対派の意見をひとつにまとめ、なおかつ会津、桑名、米沢も新政府に逆らわないよう説得しますというものでした。
それを聞いた岩村は一切聞く耳持たずこれを跳ねつけます。
「ですよねー。お怒りはごもっとも、ではせめてこの嘆願書だけも総督府へお取り次ぎを…」
「お取り次ぎはできぬ」
「そこをなんとか!」
「取り継がぬったら取り継がぬ!と・り・つ・が・ぬ!」
…というようなやり取りを経て、結局は交渉決裂。
このくだりは原作の緊張感を見事に再現していて、圧巻でした。
何と言っても狡猾だけど挙動不審な、まるで子供がダダをこねるみたいに拒絶する吉岡秀隆の演技がめっちゃ岩村精一郎にハマっていました。
この岩村、土佐から同郷の先輩・坂本龍馬を訪ねて京に出て来たけど龍馬は死んでしまって会えず、鳥羽伏見戦のドサクサで新政府軍に入り、たまたま軍監になった青二才。
後世、「あの時、継之助の談判相手が岩村じゃなかったら北越戦争は避けられてた」と言われるほど、最悪の交渉相手だったわけです。
【最後のサムライ】
そんなこんなで、岩村にソッポ向かれた継之助ですが、それでアッサリ引き下がったわけではなく、しばらくは小千谷で粘り、嘆願書の取り継ぎを繰り返し懇願します。
継之助は非戦だけはどうしても譲れなかったのです。
だけど、相手は戦さだけはどうしても譲れない立場。
どうやっても取り継いでもらえず、彼は仕方なく小千谷を去ります。
ここから遂に戦さに向かうのですが、この時点でもし新政府軍の要求(出兵と献金)を飲んだ上で、あらためて詫びていたら、長岡を戦火に晒す戦さは避けられたかも知れません。
だけどそれでは譜代でありながら、徳川への恩義も忠義も自らで踏みにじることになり、さらに徳川側で奮闘している会津をはじめとする仲間の諸藩を攻撃する側に回ることになります。
この時期、そのような仁義もクソもない裏切りで新政府側についた藩は珍しくありません。
しかし継之助はあくまで家老として、大殿・牧野雪堂(仲代達也)と藩主・忠訓の信義信念を貫くことに原理をおき、さらには薩長率いる新政府軍は正しくないと後世に示すことが使命と捉え、勝てる見込みのない戦さに挑みます。
如何に理不尽でも、優勢になびけばそれなりに生きながらえることはできる。
でもそうしなかったのは、やはり継之助がサムライだったからとしか言いようがありません。
【待ってました!ガトリング砲】
ここから映画は、北越戦争の壮絶な戦闘シーンが展開されていきます。
一度は奪われた長岡城を奪い返したり、指揮官としての継之助のスゴさも描きながら、流れ弾による足の負傷を機に運命は下り坂。
やがて会津塩沢で、最期を迎えます。
もうひとつ、これこそ映画で観たかった「待ってました!」のシーンを最後に紹介します。
長岡藩・河井継之助といえば、ガトリング砲。
ハンドルを回すとレンコン状に組み合わされた6丁の銃身から、弾が連続して発射される仕組みの機関銃です。
非戦非戦と言いつつ、当時日本に3門しかなかったこの銃を、ちゃっかり長岡藩が2門押さえてたというところに、継之助の強かさとハードボイルドさを感じます。
劇中、嬉々として(いるように見えた)ガトリング砲をブッ放す継之助のガニ股勇姿が、いちばんテンション上がりました。
なんでだろ?と考えて気がついたのですが、これ、ガンダムの「スーパー・ナパーム」みたいで、微妙に男の子ゴコロをくすぐられるんです。
もっとも継之助が目指していたのは、長岡藩を独立国にすること。どちらかというとジオン軍寄りですがね。
出典:
映画『峠 最後のサムライ』公式サイト 大ヒット上映中!
映画「峠 最後のサムライ」公式劇場パンフレット
峠 最後のサムライ : 作品情報 - 映画.com
司馬遼太郎 『峠〔上〕』 | 新潮社
司馬遼太郎 『峠〔中〕』 | 新潮社
司馬遼太郎 『峠〔下〕』 | 新潮社
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