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「アイ・ライク・ムービーズ」ローレンスよ、君にはまだ、伸びしろもある。
どうも、安部スナヲです。
この潔すぎるタイトルと斜に構えたオタク風少年のビジュアルだけであらかた想像がつく映画であり、逆にそれ以上の期待はせず、飽き飽きした正月休みの気分転換のつもりで観に行ったのですが、これがなかなか身につまされたのでした。
それは映画好きが持つ、ひとりよがりな優越感やマウンティング。そういうことへの「あるある的共感」というよりも(それも大いにありますが)、コミュニケーションの在り方として。。。
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【あらましのあらすじ】
主人公はカナダ郊外に暮らす映画オタクの高校生・ローレンス(アイザイア・レティネン)
自己中心的で尊大な性格のローレンスは周りから敬遠されているが、同級生のマット(パーシー・ハインズ・ホワイト)とだけは仲良しで、週末になるとどちからの家に泊まっていっしょにコメディショーを見たり、映画学科の課題となる映画を共作したりしている。
ローレンスの目標はNYC(ニューヨーク大学)に進学して、憧れの映画監督トッド・ソロンズから学ぶこと。
しかし、NYCは学費が高く、シングルマザーの身で彼を育てて来た母テリ(クリスタ・ブリッジス)からは反対されてしまう。
そこでローレンスは自ら学費を稼ぐため、レンタルビデオ店「シークエルズ・ビデオ」でアルバイトをする。
そこで出会った元女優の店長アラナ(ロミーナ・ドゥーゴ)。
アラナとの親交を深めるにつれ、ローレンスに変化が起きて。。。
【感想】
もうすぐ52歳になる私が、今さら青春映画などを観て、我が事のように身につまされるのは本意ではないし、撮影当時34歳だった本作の監督チャンドラー・レヴァックとて、おそらくオッサンの虚しい感傷をくすぐる意図などなかったにちがいない。
しかし、それが映画における普遍性。
普遍性怖ぇ。。。
とにかく私にとって本作は、他者からの善意や愛情の受け取り方を知らないまま歳をとってしまった自分を戒める映画だった。
主人公ローレンスは、自己愛が強すぎる故、自分に優しくしてくれる人を蔑ろにし、何なら平然と傷つける。それも本人には悪気がないのだから、困ったものである。
もっともいたたまれなかったのは、親友マットに対する処遇。
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ローレンスはマットのことをあくまで高校時代の「仮の友達」だという。
彼はNYCに進学したら、もっとセンスが良くてリスペクトできる友達がたくさんできると夢想している。
わかる!「オレはまだこんなもんじゃない」と思いたいのだ。彼のように自己愛ばかりが肥大した理想主義者にはありがちである。だからと言ってそんな非道いことを本人に直接言うのは、やっぱりクズだ。
クズな証拠に、彼はいつも自分のそばにいて、いっしょにバカをやってくれるマットの心の内を一度も想像したことがない。
その愚昧さを痛いほど思い知らされたのが、終盤、自分たちが疎遠になってしまった理由をマットに訊くシーン。
この問いに対してマットは「ずっとオレのことを見下してただろ」とこたえる。
さらに、祖父が亡くなったことを何故教えてくれなかったのか?に対しては「興味なさそうに聞くオマエが耐えられない」という。
正直、あのセリフはキツかった。それも、わりと自分ごととしてグサッと来た。
ローレンスは、これまでマットがどれだけ自分に合わせてくれても、果たしてそれがマット自身にとって幸せなのかを疑うことはなかった。
自分にとっては自分の世界がすべてでも、他者は自分のために存在しているわけでない。
そんな自己チューで甘ったれなローレンスではあるが、まだ若い分、伸びしろを感じるところもある。
彼は学校から与えられた課題を無視しても、自分が作る映画のコンセプトを曲げないし、レンタルビデオ店ではアルバイトの分際ながら「店員オススメコーナー」を提案する。
一見わがままに見えるが、あのように常に自分軸を持って真っ向からそれを主張できるところは頼もしい。まして映画監督になりたいのなら、それは最低限の素養とも思える。いくら才能があっても、他者に遠慮して自分の主張を曲げたり、中途半端に折り合いをつけてしまうような人ならば、きっと成功しないだろう。
NYCで映画を学ぶことに頑なにこだわるのも、志が高い証拠だ。
しかもそのこだわりでさえ、現実的な問題に直面し、叶わないとわかると、ちゃんと受け入れて軌道修正する度量もある。
また自分の思い通りに行かないからといって、そのフラストレーションが暴力や自虐行為に向かうようなタイプでもない。
そう考えると、これから成長しオトナになって行く彼の未来に希望を見出すことは充分可能だ。
一方、酸いも甘いも噛み分けたオトナの象徴として描かれるのがアラナ。
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彼女は、一度は夢を見た映画業界のクソみたいな現実によって挫折を味わうが、クソにもミソにも折り合いをつけてから、ちゃんと再起する。
女優を目指していた頃の彼女は、今よりずっと浮かれていて、ずっと傲慢だったのだろうと思われるが、レンタルビデオ店の店長としての彼女は、従業員をやる気にさせるために業務をゲーム化したり、売上目標を個々に言わせて士気を高めたり、ドリンクの補充の仕方ひとつとっても誠意と合理性が貫かれたお客様満足度にぬかりがない。若い管理職として実に優秀である。
終盤、彼女はローレンスにブチ切れ、口汚ない罵り合いになるが、あれとて前向きなコミュニケーション。相互理解の過程においては必要な衝突である。
アラナもまた、私から見ればまだまだ人間形成の途上にあり、これからドンドン魅力的な人間になって行く気がする。
ローレンスやアラナには、何の問題もない。
問題なのは、人生の晩秋にさしかかって尚、彼らより幼稚な私である。すびばせんね( ̄▽ ̄)