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真実と幻影(365夢Screen136)

現れはすべて
現れを認識する者に対して現れている。

現れを認識する者だけが実際に存在している。

実際に存在している者は、
自分が存在することを自分で知っている。

自分が存在することを自分で知っている者、
その者だけが実際に存在する。

実際に存在するその者を、
「現存」(あるいは「真我」)と呼んでみる。

実在するのはその
「現存」(あるいは「真我」)だけだ。

なぜなら、
「現存」(あるいは「真我」)は
自分が存在するかどうかを
自分以外のものに確認してもらう
必要がないからだ。

「現存」(あるいは「真我」)以外はすべて
「現存」(あるいは「真我」)の
認められてはじめて存在できる。

「現存」(あるいは「真我」)に
認められることなく、
客観的に何処かに存在しているものは
何ひとつない。

そして現れは
変化することなくして現れることはできない。

「何か」であることは
「何か」以外の者の存在によってしか
可能ではない。

つまり現れは
それが「現存」(あるいは「真我」)以外では
ないことが知られていてはじめて
真実であることができる。

現れは
それが「現存」(あるいは「真我」)以外だと
信じられているなら
それは幻影だと言わなければならない。

知るべきこと、
覚えておくべきことは多くはない。

あなた(あるいは私)は実在である。

現れはすべて
実在であるあなた(あるいは私)に
認められてはじめて現れることができる。

現れはつかの間の姿だ。

それはあなたの仮の姿だ。

あなた以外の何かが存在するわけではない。

現れの中に何を求めることもない。

求めたらそれは現れるだろうが、
現れたものもまたあなたの束の間の姿にすぎない。

もしその姿に執着したら、
それは幻影になるだけだ。

すべては自分の姿であることを知って、
心安らかにいるがいい。


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