「青い山脈」は永遠に
「ひとりカラオケ」をしてきました。
昨今は「ひとり焼肉」「ひとりキャンプ」など、「ひとり○○」が流行りだそうですが、そうしたトレンドに乗ったわけではありません。
オカリナの練習でよく利用するカラオケボックスなのに、純粋にカラオケを楽しんだことがなかったのに気づきまして。
昭和から平成に御世代わりしたころ、私は『カラオケ産業に商機あり』(第一企画出版、1991年)を上梓しました。デビュー作です。当時はカラオケの世界にどっぷり浸って、歌いまくったものですが…。
最多記録は28曲で、このときはさすがに声がかすれ、喉がガラガラしたのを覚えています。今回はそこまでいかず、結局、10曲ほどでギブアップ。
喉も筋肉なのだ、ということがよくわかりました。とにかく、高音が出ない。
筋肉は使わないと落ちてしまいます。子供のころ脚を骨折して1ヶ月ギブスをしていたら、ふくらはぎが棒みたいになりました。「廃用性萎縮」というそうな。最近、耳にする高齢者の「誤嚥性肺炎」という病気は、喉の筋肉が弱くなることが一因とか…こわ~い!
そこで推奨されているのがボイトレならぬ“喉トレ”。大きな声で歌うことで喉の筋肉は鍛えられると。つまり、私にとって「ひとりカラオケ」はぴったりだったわけです。
それはさておき、今回、歌った曲はみごとなまでにナツメロのオンパレードで、覚えているだけでも「誰か故郷を思わざる」「青い山脈」「長崎の鐘」、少し新しところで「舟歌」「芭蕉布」など。すべて半世紀以上も前の歌ばかりです。
高い音が出ないので、好きな歌でも歌えるとは限らないわけで、とりわけ、一番好きな「青い山脈」がきちんと歌えなかったのが悔しい。
「青い山脈」は、戦争が終わって新しく歩み始めた日本人の解放感、喜びがストレートに表れている名曲です。作詞・西条八十、作曲・服部良一。昭和24年。
本来は映画の主題歌として発表されるはずが、映画の完成が遅れたため先行して発売され、爆発的にヒットしたといういわくつき。
青い山脈(オカリナ演奏)関稔
(安定の関稔さん。)
昭和の時代が終わった1989年(平成元年)、NHKが放映した「昭和の歌・心に残る歌200 」において第1位となっています。
「歌は世につれ、世は歌につれ」といわれるように、歌は時代(の気分)と深いかかわりがあるのです。国破れて山河あり。みんなで頑張って国を建て直そうという気運が国民全体に溢れていたと思います。
「青い山脈」の歌が、そうした日本人を鼓舞したことは間違いありません。軽快なメロディーと爽やかな歌い出し、
若く明るい 歌声に
雪崩は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜♪
聴いていても、歌っても心が明るくなります。私が好きなのは4番の歌詞。
父も夢みた 母も見た
旅路のはての その崖の
青い山脈 みどりの谷へ
旅をゆく
若いわれらに 鐘が鳴る♪
歌は本来こうあるべき、というお手本みたいな楽曲です。それはともかく、オカリナだけではなく、定期的に喉トレをしようと決意しました。