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アントン・チェーホフ 「ロスチャイルドのバイオリン」 書評

2024年もそろそろ終わってしまいそうです。

よくある話ですが、歳を重ねるごとに月日が過ぎるのがあっという間に感じます。
幼少期と比べて、新しい体験や発見が少なくなってくるからかなと思います。

読書を通じてでも良いと思うので、新鮮な体験をたくさん積み上げていきたいところですね。

今回は、アントン・チェーホフ(1860-1904)の
「ロスチャイルドのバイオリン」
という作品を読みました。

この作品は、河出文庫から出ている「チェーホフ傑作選 馬のような名字」に収録されています(浦 雅春訳)

とっても短い作品で、平易なストーリーですが、含蓄に富んだ非常に良い作品だと思います。

あらすじ

田舎町で、棺桶屋を営んでいる老齢の主人公ヤコフ・イワーノフは、妻のマルファと貧しい暮らしをしていた。

ヤコフは金にうるさく、日々、自分が負うことになった損失を数え上げて、機嫌を悪くし、マルファに辛く当たる。

ヤコフは、棺桶屋の仕事をしている一方で、バイオリンの腕前が評判で、ときおりユダヤ人の楽団に助っ人で演奏して、謝礼をもらうことがある。

ヤコフは、その楽団に所属している赤毛のやせっぽちのロスチャイルドというフルート吹きと仲が悪く、いつも罵倒し合い、気の弱いロスチャイルドが泣き出す始末だった。

ある日、妻のマルファは突然体調を崩して寝たきりになり、医者からも手遅れだと宣告される。

帰宅後、ヤコフはマルファがこれから入る棺桶を作り始める。

マルファは、体調を崩して以来、いままで見せたことないような幸せな表情を見せることがあった。それは死ぬことによって、貧乏な暮らしにも、ヤコフからの罵倒にも解放されることになるからのようにも見えた。

マルファは意識朦朧としているなか突然、50年前に死んでしまった赤ん坊の思い出話を語りだすが、ヤコフにはそんな記憶も残っておらず、「お前、幻覚でも見ているんだ」と返す。

次の日マルファは死んでしまった。

マルファの葬式を済ませたヤコフは墓地から帰宅する道中で、結婚して同じ屋根の下で暮らした52年間のうちで、マルファに優しい言葉をかけたり、憐れんだりしたことが一度もないということに気づいた。

ヤコフは泣き出しそうになると、そこにちょうどロスチャイルドが現われ、いますぐ楽団の助っ人に来てくれと声をかけられるが、とてもそんな気分になれないヤコフは罵倒して追い返す。

ヤコフは川辺を歩決めながら感傷に浸っていると、マルファが亡くなる前に、口にしていた、50年前に亡くなった赤ん坊のことや、柳の木の記憶が蘇ってきた。

すると、ヤコフはそのとき目の前にした川が、これほどにも立派であったのかと、今更になって気付く。

その川で、川釣りをして、魚を売り捌いて儲けたり、川に船を浮かべて、バイオリンを弾いて儲けることもできたのに、とまた負債を数え上げて、さらに絶望してしまう。

そして、ついにはこんなことを思う。

どうしてヤコフは生涯悪態をつき、怒鳴りちらし、拳固を振りまわすばかりで、妻を大事にしてやれなかったのか? いや、そもそもどんな理由があって、これまであのユダヤ人をおどし侮辱してきたのか? なぜ人は互いに生きる邪魔ばかりしているのか? そのために、どれほど損失をこうむっていることか! おそろしい損失だ! もし憎しみや憎悪がなければ、人は互いに莫大な利益をうるはずではないか。

アントン・チェーホフ「ロスチャイルドのバイオリン」

次の日、ヤコフは体調をくずすと、容態は深刻で、自分でもすでに手遅れであることを悟った。

やっと、負債にまみれた人生から解放されると考えることもできたが、やはり、そう考えると腹が立ち、つらい気持ちに陥ってしまう。

ヤコフは、これまでの人生を思い返し、持ち主がいなくなるバイオリンを弾きながら涙を流した。

すると、突然ロスチャイルドが家を訪れ、前日と同様ヤコフに、楽団の演奏の助っ人にきてくれと懇願する。

ヤコフは自分はもう病気で、演奏にいくことはできないと伝え、その場でロスチャイルドにバイオリンを弾いて聞かせた。

ロスチャイルドはそのバイオリンの音色が、あまりに悲哀に満ちており、号泣してしまう。

ヤコフは翌る日の懺悔の儀式で、神父に「バイオリンをロスチャイルドに」と言い残し、亡くなる。

ロスチャイルドは自分のフルートを手放し、ヤコフの遺したバイオリンで演奏し続けている。

その演奏は、町の評判となり、自らも聴衆も涙を流してしまうほど、悲哀に満ち溢れた響きであった。

ーーーーーあらすじ終わりーーーーー

感想

この小説はかなりお気に入りで、読むたびに感動する。やっぱりチェーホフの作品は面白い。

主人公のヤコフの負債を数え上げる思考にも、強く共感した。

自分は時間を無駄にしたときとか、余計に金を払ってしまったときとか、ヤコフ同様にその「負債」をわざわざ数え上げて、気を重くしてしまう。

後悔するというのは誰にでもあると思うが、その時に逃した利益をわざわざ計算して、積み上げて絶望するなんて、自分ながら滑稽である。後悔先にたたずである。

というか、そもそもヤコフの境遇はよく考えたら、結構恵まれてるのではないか?

70すぎまで、夫婦ともに長生きできて、趣味のバイオリンは評判で、あまり儲からないが棺桶作りの腕も一流ときている。  

でも、そんな幸せな境遇には目もくれず、毎日の負債に気を悪くし、妻にもロスチャイルドにも優しく接したことなど一度もない。

さらに、かつて死別した自分の子供のことすらも忘れてしまった。

日々の些細な負債より、ケチケチして、機嫌を悪くし、人に辛く当たったり、争ったりした時の負債の方が遥かに大きい。

ヤコフは死を目の前にして、やっとそのことを悟ることができた。

人と争って負債だらけだった人生も、最後に人のために何か益になることをしたいと思い、バイオリンと、曲をロスチャイルドに託すことができた。

そのバイオリンが奏でる響きには、何が乗っているのだろうか?
なぜ聴衆はその曲の悲哀さを求めるのか?

少し短絡的な考えかもしれないが、ヤコフの生涯を振り返った時の悲しみや、人と争ってきたことに対する後悔の念が、ロスチャイルドと曲に乗り移り、聴衆は共感せずにいられなかったのかなと思った。


ヤコフのように目の前の利益や負債に左右されてはいけない。
目の前の家族や友人に目を向けることの方が、よっぽど大事なのだから。

また、どんな体験にも「負債」の面もあれば「利益」の面もあるはずだ。
悪いことばかりに着目しても不健康でしかないし、人が離れていき、孤立してしまうだろう。

そんなことを考えさせてくれる作品だった。

------感想終わり------

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