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「正しくある」ということは、「静止」ではない。
何事も、「正しくある」ということは難しいですよね。
問題に対して、常に適切に対処するということも、そうですし、
いかなる時も冷静であり、原理原則に基づいて対処するということも、
本当に簡単ではありません。
これらを、いついかなる時も「正しくある」という言葉で括ると、
これらは意外に簡単ではないのです。
しかし、我々は、「正しくあること」を他人に向けては簡単であるような評価をしてしまいがちです。
「なぜ、そんな失敗をしてしまったんだ。」
「なぜ、そんな判断をしたんだ。」
カッコがきで、「(私ならしない)」と言わんばかりの発言をします。
この時点で、実はその難しさがわかっていない、ということだと思うのです。
自分が、全く同じ環境、境遇にいた時に、それを耐えられるか、正しくあれるかは、同じ環境でやってみなければわからないのです。
その人の環境がわからない中で、軽々しく言えてしまうこと自体が、安直すぎるということです。
それなのに人間は、なぜ、そんな勘違いをするのかな、と思った時に気づきました。
「正しくある」を「止まっていること」と思っているんではないか、と。
例えば、いつも芯が通っている人を「ブレない」という表現をしますよね。
これは、直立不動で立っていることを連想させます。
そして、「静止」というのは力を使わない、疲れないものに思えてしまいます。
だから、止まってればよかっただけなのに、といった感覚を持ってしまうのです。
でも、本当は違うと思うのです。
「ブレない」ためには、右から強風が吹いてきたら、左に倒れないように踏ん張ります。地面が斜めになったら、倒れないように逆に重心を移動して踏ん張ります。
つまり、「ブレない」というのはとても力を使うことなのです。
こう捉えた時に、他人の1つの判断やミスを安易に責められることはなくなると思います。
「正しくある」ためには、常に自分を鍛錬していないと、できないと思うのです。
さぁ、今日も正しくあるために、頑張っていきましょう。