思考を深くする。婚活でも使えそうなこと。
今日はジムで筋トレをしてスタバで本を読んだ。ど田舎に暮らしているのにある種都会的な営みのように感じます。私はこのような人種、つまりは《ジムでワークアウト&スタバなう》な人種を揶揄する、卑下するようなタイプでした。
つまりはこの《ジムでワークアウト&スタバなう》をキラキラ代表選手として嫉妬していたのでしょう。しかしながらこのような営みは、田舎でもたった数100円でできることであり別に特段特別なことではありません。
では何故嫉妬していたのか?それは単に私が上に見ていただけということです。単純なことのようですが実際このような人は多いでしょう。
揶揄したり誹謗中傷をするということは、ある意味それを悪いことであるという以上に嫉妬していると言う感情が先立っていると思うのです。
価値観というのは人それぞれです。生きていれば嫌いや好きで分けられない、分別がつけられない事象というものがやってきます。それらは私やあなたを苦しめます。
そして、(このそしてが指しているのは私が行った《ジムでワークアウト&スタバなう》のことです。)帰宅後娘が「学校で磁石の勉強終わったから磁石くれたよ!」と言ってきたので「終わらないんだよ。奴らはさらに小難しくなって君のところに帰ってくるよ。」と娘を脅かしておきました。
「あと算数の分数も掛け算と割り算を連れて返ってくるんだ。がんばれ」とちょっといじわるで付け足しておきました。娘は、ちょっとなに言ってるかわからない。って顔をしていましたが。
この解決したように見えた問題が返ってくる。というのは仕事でもよくある事です。
施策を行い問題点を潰したつもりだが、沈静化させていただけであってさらにバージョンアップして返ってくる。というのは定番です。
つまり問題というのはほんとうの意味での真因を見つけるまで解決することは無いのです。
例えば人手不足問題。これは誰か(もしくは複数人)の残業でカバーできることが多いです。経営者としては上手くいったかのように思えますが、つまるところなにも解決せずにいる状態なのです。
よくある話であなたも頭に数例浮かんだかもしれませんが、多分に漏れず私もあります。
私の元いた会社は、二交代で夜勤と朝勤で回していました。そして槍玉に当たったのは夜勤の人間の時間が長い、つまり残業が多いという点でした。なので夜勤の時間を少し後ろにずらして出勤させて残業を均等にしよう!という発案なのです。
しかしながら残業は減らず両方の残業が増加しただけだったのです。なぜか?それは簡単なことでした。業務量が全く違っていたのです。
朝は仕込みに時間がかかるため、朝の機械の稼働率は50%くらいだったのです。そのため夜に全てがまとまることになり夜の残業が増加していたのです。
そしてその業務負荷の違いにより夜勤務の人々が次々に退職していき、会社自体回らなくなりました。
そんなの見ればわかるだろ、とお思いかもしれませんが、実際に調べず想像で真因を究明しようとしていたので当然のようにわからなかったのです。
しかしながらあなたの会社でもこのような《簡単に見える問題》が山積みになっていませんか?それらはしがらみや風習に包まれてふんわりしているように見える問題では無いでしょうか?
しかし、しがらみや風習という、ふわふわしているように見えるものの実像はステンレスよりも硬いのです。
「昔からこうだった」
「入った時からおんなじだ」
この固定観念というものは観念というよりも、思想に近づいていきます。つまりは《こうであるべき》べき論に形を寄せて行くのです。
思いの外大きな問題というのは解決します。何故なら注目するからです。しかし小さな問題は違います。小さなとついているだけあって許容範囲だと思ってしまいます。
しかしこの小さな問題は、例えるなら弱い時の勇者のようなものです。
魔物「魔王様!この小さな子供、まだ小さいですが力を宿しているようにみえます!」
魔王「ふん、捨ておけ。そんなものになにができる?私の力がそいつ以下だとでも言うのか?」
魔物「いえ、滅相もない!ただその、気になると言いますか…」
魔王「くどい!貴様消し炭にされたいか!」
〜10年後〜
勇者「これで終わりだ!魔王!」
魔王「くっ…あの時の小さきものがこれほどまでに力をつけるとは…やつの言っていることが正しかったと言うことか…」
みたいなことです。小さな問題と思っていたものが大きくなってやってきます。娘の算数だってそうです。割り算や小数点が姿形をほんの少し変えて幾度となく襲ってきます。わかった気になっていると後で痛い目に遭うのです。
しかしそれには深く考えるという、いかにも難しそうな課題があなたの目の前に降りてきます。
深く考えるというのは難しいことです。普段私やあなたが人と話している時の思考は、こうきたらこう返すのような卓球をしているような状態です。
しかしこれを女性との会話(男性相手でもそうです)で行ってしまうと「全然聞いてくれない!」問題に繋がります。
異性との会話(もしあなたがその人と付き合いたいと思っているのであれば)は卓球のようにラリーを続けることよりも、「聞いてくれた」と相手に思ってもらうことが大事なのです。
思考のスピードを落として、相手の話を聞いてから話し出す。しかも「ということはこういうことだよね?」みたいに要約することなく、同じようなことがあったよ!という話をしなくては「聞いてくれた」とはなりません。
私もそうなのですが、よく解決策を提示してくる人が居ます。正直言って大の苦手です。
ただ共感して欲しいから話しているだけなのに「こうしたらいいんじゃない?」みたいにされると「ワシは深く悩んどんねん!なにを簡単な問題みたいにしてくれとんねん!おぅ?いてこましたろかい!」となってしまいます。
これは部下との面談でも同じです。上司というのは(私も含め)得てして部下の悩みを矮小化しがちです。「俺も乗り越えてきたから!大丈夫!」では無いのです。その問題があなたの、つまり上司の時からあることが問題なのです。
つまり問題を矮小化して、過ぎ去ったものとして見てしまったが故に、いまだに形を変えず残ってしまっている問題点なのです。これは後々リボ払いのように複利で効いてきます。
なんでも自分でやってきた上司というのは確かに凄いです。しかし、次の世代に渡す時それで上手くいくでしょうか?あなたの時のようにワークライフバランスをワークに全振りしてまでのめり込む若者はやってくるでしょうか?
そもそも何故そんなことを経営者でもないあなたがやっていたのでしょうか?
問題点というのは蓋をして終わらせてしまいがちです。例えば憧れの生活を卑下することでやり過ごす。これは問題の矮小化と同じです。
私もあなたもやってしまいがちですが後々のあなたの生活に新たな課題点を突きつけてきます。あの時否定していた《ワークアウト&スタバなう》の民は私に新たな世界を見せつけます。
勉強を一生続けている世界線です。私は学生の卒業式で「あぁ、やっと勉強から解放される。」そう思い込んでいました。まさか大人になって1日1時間以上勉強することになるとは夢にも思いませんでした。
しかしながらこの学ぶということはどうも矮小化されて語られることが多い問題です。やる奴はやるしやらない奴はやらない。その程度で終わらせられるのなら良いのですが、その差というのはまざまざと現実を突きつけます。
収入もそうですが人間関係も変わっていきます。勉強しなくては見えない世界があるからです。見えない世界の住人と勉強しない世界の住人は、まさしく見えるものが違います。そうなるとそこはパラレルワールドのように並行世界になってしまいます。
おそらくこれが縦の世界線なのでしょう。
あなたが昔蓋をしてしまった問題とはなんでしょうか?出世でしょうか?それとも幸せな生活でしょうか?
それらは後々あなたの目の前により複雑な形になって現れます。恋愛しなかった人は婚活というモンスターになり、出世のための行動をしなかった人は周りからの評価というモンスターになりあなたを襲ってきます。
そしてそこでまた蓋をすれば?
人生の最後に「あの時やっておけば良かった。」というモンスターになり襲ってきます。勇者を矮小化してしまった魔王のように。
いくら蓋を重ねても問題は姿形をほんの少し変えて幾度となく襲ってきます。それは避けようのない事実です。これに立ち向かうには深く考えることが必須なのです。
モンスターはまだまだ倒せる段階です。あなたの喉元に切先を突きつけられる前に退治しましょう。
退治するにはあなたがしっかりと問題点と対峙しなくてはいけません。大丈夫あなたならできます。私とモンスター討伐に出かけましょう。
それでは、また、水曜日に。
あどりでした。