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アタリマエ✖️ト✖️タタキアゲ 自己啓発書がクソつまらんと思った話。あとKindle Unlimitedはバイキング。

石に漱ぎ流れに枕す

負け惜しみが強く、自分が間違えても、へ理屈をつけて言い逃れることのたとえ。

[由来] 「世説新語―排はい調ちょう」の次のような話から。三世紀の中国、西せい晋しん王朝の時代のこと。田舎で自然のままの暮らしをしたいと考えている、孫楚という人物がいました。彼は友人に、「石に枕し流れに漱ぐ(石を枕にして眠りにつき、目覚めたら川の流れで口を洗う)」ような生活をするつもりだ、告げようとしました。しかし、実際に口から出たのは、「石に漱ぎ流れに枕す」ということば。友人に言い間違いを指摘された彼は、「石に漱ぐ」のは歯を磨くため、「流れに枕す」るのは耳を洗うためだ、とへ理屈を言って、自分の間違いを認めなかったということです。

[解説] 文豪、夏目漱石の号は、自分は負けず嫌いだという意味を込めて、この故事から取ったものです。

コトバンク

この古事かわよ。

まるで
「えーっ知ってたし!知ってたけどこっちの方がかっこいいじゃん!」
と、そんその怨嗟の声が聞こえてくるようだ。

うちの娘もプレゼントをプゼレントと常に言い間違えていたのをヌルッと何事も無いかのようにプレゼントと言い出した。

それとずっと鬼の宴という曲を鬼のご飯と言っていたのだけれど、指摘すると恥ずかしそうにちょっとキレる。

ソンソもそんな感じだったのだろう。かわよ。

本題に特に関係ない訳では無いので最後までしっかり覚えていて欲しい。プゼレントを。


自己啓発書を適当に読むというのが最近楽しい。寝る前にKindle Unlimitedのサブスク代がもったいないので本を読む。読めば読むほど良い。無茶苦茶得をする。

バイキングに行った時に最後の方にちっちゃいフルーツをいっぱい食べるのに似ている。「めっちゃ栄養摂取したぞー!お得ぅーー!」と思っている。

大体腹を下して嫁に馬鹿にされるまでがセットだ。最近長女まで馬鹿にするので如何ともし難い。家父長制は何処に消えたのだろう。

夜空の露となっている家父長制の話は横に置いておき本題に戻ろう。


勉強のために読んでいる自己啓発書コスパのためによんでいるじこけいはつしょが大体同じことを書いていて全然面白くない。

常に「この問題!進研ゼミでやったやつだ!」状態になってきている。

当たり前のことを滝のように書いている。当たり前と書いたボールを死ぬほど投げられる。取る気が失せるほどに。

人に感謝しようね!
であったり、
紙にかけ!
であったりずいぶんと食傷気味だ。

なんかこうハックというか、一瞬でスパッと悩みが解決してお金がたくさん入ってくる方法とかないんですかね?という気持ちになる。

しかし、自己啓発書はこれでもかと当たり前を投げてくる。当たり前に次ぐ当たり前の羅列だ。

アレルギーで帯状疱疹になりそうだ。

当たり前といえば僕はファーストリテーリングの柳井正さんを思い浮かべる。

「当たり前のことを当たり前にしている。それだけなんですよ。会社の存在意義やビジョンをしっかり共有し、それを社員全員が意識して仕事に取り組んでいる。商売の原点をきちんと守っているだけです」

Forbes

柳井正さんといえばドラッカーのイメージ。

ぜひ読んで欲しい。

『もしドラ』などを入り口として、ドラッカーの本を読んでみても、ピンとこない人が結構、いるかもしれません。「なんだ、当たり前のことじゃないか」と感じるかもしれません。

 確かに、ドラッカーの本というのは、決して奇をてらうことは書いてない。むしろ、「当たり前のことにもっと気をつけなさいよ」「もっと深く考えて行動しなさいよ」と言っている。

ダイアモンドオンライン


ドラッカーは僕の聖書だ。ちなみに柳井正さんはインタビューでよく「当たり前ですが」と付け加える。当たり前という言葉もクソ上司が言うのと柳井正さんが言うのでは重みが違う。

当たり前の質量が違いすぎる。

 当たり前でいえばこの言葉も有名だろう。
「特別なことは何もしていない。ただ、当たり前のことを徹底的に行ってきた」
イチロー選手の言葉だ。

この2人の当たり前と僕らの当たり前には違いがあるはずだ。おそらくそこがハックだろうと思った。

だけどすぐに違うと気づいた。

当たり前とは僕らの思う当たり前と何も違わない。当たり前だけど。

では何が僕らとこのスターたちとを隔てるのか?当たり前の質、いや違う自分に課した誓約だ。

毎日10分自分の未来について考えよう。
当然のようにやった方が良い。でも明日から積み重ねることができるだろうか?

まず無理だ。断言できる。

「今日はご褒美だ!」そう言いながらビールの缶のプルタブを上げる。そうなるとルーティンが崩れて10分は明日20分考えるからオッケー!おやすみ!までが普通の人のハッピーセットだ。

しかし彼らは違う。ハレノヒでもケノヒでも当たり前のことを当たり前にする。それがさも当然のように。


当たり前というのはとんでもなく重い。

唐突だけれど当たり前が突然消えた人たちだっている。

卓巳さんは敏江さんと毎週日曜、練馬区内にある3人の墓参りを欠かさず続けている。毎回、新しい花を手向けながら、「3人の分も命を輝かせられているか。懸命に生きられているか」と自分に問いかける。
精道小の追悼式に出席したのは、さら紗さんが成人していたはずの震災から13年目以来。今回、学校から「震災を次世代に語り継いでほしい」と依頼され快諾した。そして、卓巳さんはこの日、遠ざかっていた芦屋の街を10年ぶりに訪れ、精道小の児童らの前に立った。
「皆さん、隣に友達がいること、明日がくることを当たり前のように思っていませんか」。卓巳さんは児童に呼びかけた。そして、最後に静かに語りかけた。「実はそれはかけがえのないこと。亡くなった人の分も今を懸命に生き、命を輝かせてください」

産経WEST

当たり前は当たり前じゃない。たしかにそうだろう。明日死ぬかもしれないしもしかしたら足が動かなくなるかもしれない。

明日が来るというのは憂鬱だけど当たり前では無いんだ。


 僕らが当たり前という日常を過ごすかの如く、当たり前を続けられる人というのはそれを至極当然と思っている。

例えば今日から毎週2日間はジムに行く。そう考えて辞める人を何人見てきただろう。

今日から毎日30分勉強する。そう言っていたやつは大体勉強ができない。たぶん教科書が蛍光ペンで埋め尽くされるタイプだ。

では続く人とは何が違うのか?それは続けられる人は当然のように続けることだ。なぜならそれらは口に出すまでもない当然のことだからだ。

当たり前のことぐらいちゃんとやれよ。僕らは何度も言われてきたはずだ。しかしその当たり前というのは人によって違う。

当たり前というものはその人その人によって強さ、強度が違う。自分に課した誓約の重みが違う。

だけど当たり前の中に入れられているもの自体は誰もが見たことあるようなものだ。それこそ開けてびっくりするようなことはほとんど無い。そこかしこで見たことあるものが綺麗に納められているだけ。

びっくりするほどつまらない。

当たり前というハックの箱を開けると驚くほどつまらないものが入っている。

これは自己啓発書や古典と言われる本も同じだ。煎じ詰めればとんでもなく面白みのないことが書いてある。

人に感謝する。考える。決めたことをする。

これらのつまらない、今まで誰かに言われてきた何度も見た顔馴染み達がギチギチに納められている。



そう。成功に近づくためのハックの中身はとんでもなくつまらないものが入っているんだ。

冒頭の孫楚のように僕らは屁理屈を並べて強がりを言う。ハックを求めて金塊を探す。金塊は実は見えているのに。見えていないフリをして負け惜しみをいう。

「アイツは上手いことやった。」

ただの負け惜しみだ。あなたの思う上手いことというのは当たり前のことを積み重ねた先にある。それを無視してハックや近道を探そうとする。僕らは小さい頃からずっとそうやってきた。

でも僕らはきっと今日気づいてしまった。当たり前ということの重みに。当たり前のことを積み重ねる強度に。

当たり前の中にあった金塊に。

つまらないと思った言葉がこれでもかと僕らを殴る。つまらないと感じた先輩の言葉が、つまらないと感じた親の言葉が、つまらないと感じた恩師の言葉が僕らの頬をつねる。

ハックはこの世に存在する。

それは当たり前を続けることだ。正しい当たり前を積み重ねた先にとんでもなくつまらない道に僕らの求めていることがある。

それはおそらく螺旋階段を登るのに似ている。螺旋階段をぐるぐる回っているとそんなに登った感じはしない。だけど実際は結構高く登っている。たぶんそんなものなんだろう。

僕はハックはもう探さない。当たり前をひたすらに続けること。これを徹底すると決めたから。これによって良いことがあるかはわからない。だけど続けること。それが当たり前だから。

あなたもきっとそうだろう。



それでは、また、あどりでした。

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