見出し画像

「結果と、原因」考。両親のこと

前回は、慢性疲労(副腎疲労)根治のために私が実践したことについて
ライフスタイルやサプリメントなどの面から書きました。
今回は内面の取り組み、ここは色々取り組みましたが、そのうち一つ、
一番大事だと思うことについて書きたいと思います。


病気を作っているのは「性格」

私たちは毎瞬毎瞬、選択をして生きています。
じっくり考えての決定はそんなにないと思いますが、
朝何を食べるか、どんな服を着るか、どの道で行くか・・・など、
無意識レベルで何かを選択して、積み重ねてこれまで誰もが、
生きて来ました。
   
親など、誰かが選択してくれた人もいるでしょう。
でもその親や先生の支持に無意識で従う、と決めたのは
間違いなくその人なのです。
    
無意識の選択をコントロールしているのは
人に寄って違いますが、多くは子供の頃の経験から生まれた
「信念」「美意識」など、根底にあるルールです。

家族、親との思い出の中にそれは、ヒントがあります。

ここでは、私のことをシェアしたいと思います。

《変わった親》

私の母は、私が物心ついたころ、
つまり40年以上前から、環境に優しい洗剤を使っていた。

私たち家族の食事に気を使ってくれた。
私は中学生になるまでコーラ等の炭酸飲料を飲んだことは
ほとんどなかった。
カップラーメンも片手に足りるほどしか食べたことがなかった。
      
私は当時、それが本当にイヤだった。
   
もっと汚れが落ちる洗剤だったら洗い物も手伝ってあげてもいいのに。
お友達の家で出してもらった「赤い◯◯ね」やファンタ、
めちゃくちゃ美味しくてもっと気軽に買えたらなぁ・・・
と思っていた。
        
お腹が痛かったら薬を飲ませて心配して欲しい。
おばあちゃんみたいに。
寝たら治るとか、そんなんあり得ん!!!!

いつも出所不明の、サプリメントのようなものを見つけてきては家族に強要する・・・

そんなんいいから、病気になったら病院に連れてってくれるのが愛じゃないの?
    
そう思っていた。
とにかく、私はずっと、母の健康に関する考え方に拒否反応を示していたし、結構奇異に感じている人は当時、いたんじゃないかと思う。
   
性格も、子供の頃の私からすると「横暴」そのもの。
景気の良い会社を経営していて、好き勝手に生きて、
家族もいろんな人も振り回して。
「波動」とか「直感」とか、もう、オカルトか!!
   
母のこと、そう思っていた。
   
思春期の私の母への反抗ぶりは相当なものだった。
私は、母への反抗から、
人に気を使って生きることこそ正義と思っていた。
   
8年前、心について学び始めてから、
両親との内的和解が始まり、
ようやく心と心で繋がれるようになって来たが、
まだまだ、毎年気づきがある。
     
親との関係から学べることは底しれない・・・。
       
    
さてそんな母、4時に起きて気功体操を行い始めたのはもう40年近く前から。

父も、朝晩両手両足に計2キロの重りをつけて2時間ずつ歩き初めて30年。
    
二人ともとにかく元気だが、特に、母は別格で。
    
私が母が熱を出したのを見たのは3回。
接客業なのに、どんなに流行っても、
インフルエンザ等の大きな感染症にかかったことは
私が知る限り一度もない。
病院に行ったことも、ない。

《完全敗北から見えた光》

そんな両親が我が家へ来てくれたのは、今年の1月のこと。
私がまだ慢性疲労(副腎疲労)に気がつき、
それの対処を始めて2週間ほど。
    
初日、2日目くらいはまだ頑張れたけど、
3日目くらいには私もいよいよ調子の悪さが隠せなくなり、
両親に色々心配される始末・・・
     
そんな中、母との対話の中で衝撃を受けたことがあります。
    
「毎朝起きたら今日何しようかしらと思ってワクワクする。」
   
と、言うんですね。
16歳で家を出たので、そういえば私は16年しか
母と暮らしていないのですが、
確かに母はそんな感じの人でしたが、
もう今年で79歳。
   
「え?今でも?」
   
と聞いたら、
   
「今でも!」
   
と。
   
もう、負けた!と思いました。
完全に白旗をあげました。
   
もう介護されてもおかしくない年なのに、
父は民生委員をしたり、近所の、年齢の変わらない老人を
気遣いつつ、料理以外の家事を一手に担う。
母は会社を経営しながら、1年に完全なる休息は数える程。
ないかもしれない。
休みは今でも記憶力を高めるセミナーに通ったり、
学びを止めるつもりはないらしい。
  
「店に行くのが楽しくて楽しくて仕方ないから、
休みなんかいらんの!」
    
と言う、セリフも声も老人のものとは思えない。
      
母の健康に関する考え方も生き方も私が幼かった頃の当時、
決して普通ではなかったけど、
家族や周囲にかなりあーだこーだ言われたけど、
  
そろそろ今を「結果」と言ってよい年齢になって
あれは正解だったんだ、と誰もが認めざるを得ないだろう。
    
そんな母の店には、たくさんの同年代のお姉様がたが来てくださるけど、それはそうだな、と。
   
アラフィフの私にとっても驚きなんだから、
同年代の人からしたら希望の星に違いない。
   
父は、そんな母のことを送り迎えしたり、
退職前は考えられなかったけど、
母の好きな怪しげなセミナーにも付き合ったり、
年になんどか、母を旅行に連れ出したり。
   
私の親。なんて、理想的な生き方なんだろう・・・

《親は、正しい。の本当の意味》

今、私は、両親の生き方を改めて振り返って、
それに習おうとしているのです。
   
幼い頃はあんなに反発したけれど、
反発する、と言うことはそこが気になって気になって仕方ない、
と証でもある。

親に対する感情を伴う思いには、
自分の今回のライフの「使命」のヒントが必ず隠されている。
    
私にとっても事実、
波動、直感は今や私には当たり前すぎるコトだし、
妊娠出産、子育てを通じて、
環境のことや食へのこだわりも当然。
その辺りは母の考えが結局正しかったと
認め続けて来たこの17年。
      
それでも最後まで認め難かった、
母の、周りになんと言われようと曲げなかった信念や、
「好き勝手」な生き方。
          
そんな母に反発して、これまでいつも周囲に、
気を使って使って使いまくって、
それに一所懸命に生きて来た私。
  
これまでの人生に後悔は全然ないけれど、
健康面でいえば40代のほとんどは、
猛烈なストレスで心臓発作や慢性疲労に苦しんだし、
家族関係でも離婚を経験した。
    
それとは全く真逆で、好き勝手に生きて、
80近くなっても自分で自分の身を立てている母は、
今でも父と旅行してる。
そして、娘たち孫たちにもめちゃくちゃ尊敬されてる。

美容師でもない母が経営する美容院には
母のファンがたくさん訪れる。
    
事実を見ればわかる。
   
自分の信念に正直に、
周りがなんと言おうと本気で貫き通して
楽しくワクワクしてれば、元気で幸せで経済的に独立した
おばあちゃんになれるんだな。
    
正しい老後対策だと思う。
   
もう、よく頑張って来たよ、私。

50代目前!
これからは、もうこれまでとは全く違う、「今、ホントに欲しい人生」に。
今年を転機にしよう✨

いいなと思ったら応援しよう!

タニノ ナオ
もし、よろしければサポートを是非ともお願いいたします。 頂きましたサポートは、これから広く自分原石チューニングや副腎疲労の自力回復を伝えていくための資金として使わせて頂きます。