フランス・ギャル名曲選②人気低迷期(1969〜73)編
※ヘッダーはgetty imageより、おそらく70年頃のギャル。
前回に続き、「フランス・ギャル名曲選」と題してヒット曲や名曲、マイナーだけど個人的に好きな曲、レアな曲など、ギャルのいろいろな曲を3つの時期に分けて一気にご紹介していきたいと思います。今回は「②人気低迷期(1969~73)編」です。
一言お断りを入れておくと、「人気低迷期」とわかりやすく表現してはいますが、実際のところはそこまで落ちぶれていたかというと微妙なところでは?と多少疑問に思います。確かに1963~67年ごろのアイドルとしてノリに乗っていた頃に比べると随分停滞している感じはしますが、この時期もTVの出演記録や雑誌のアーカイブではコンスタントにギャルの名前を見ることができます。また、隣国のドイツではドイツ語のオリジナル曲をリリースし続け、こちらは一定の人気を誇っていました。少なくとも「全く忘れ去られた存在」ではなかったようです。
しかしながら、フランス・ギャル本人は後にこの時期のことを「砂漠を彷徨っていた」「最悪だった」と振り返り、時にはインタビューで「5年間引退していた」などと嘘の発言までしています。(この発言を受けてか、日本で販売されているギャルのCDには「1969年に一度辞めていた」と書かれているものが複数あります)憶測ですが、どうも1974年以降の自身の復活と変身をより印象付けるために、敢えて誇張して語っているところもあるような気がします。もしかすると、のちにプロデューサー兼夫となるミシェル・ベルジェと考えた戦略の一つだったのかもしれません。(今だったらネットで検索すれば一発でバレますが、当時はそんなものはなかったのです…)
◆Les gens bien élevés(1969)
1969年にPHIRIPSから”La Campagnie”という新しいレコード会社に移籍した後、1枚目のシングルに収録された曲です。タイトルの意味は「育ちの良い人々」。
こちらは「名曲」ではなく「迷曲」と言った方がふさわしいと思います。歌詞が難しく私自身完全に理解できていないのですが、どうやら「親友と浮気して自分を振った男を『あんたたちとは違って私は育ちがいいのよ!』と、バカにしている」…という感じの内容のようです。この時点で「こんな曲歌ってるから売れなかったのでは…」と思ってしまいますが、さらに特筆すべきなのが、随所に入っている「ドン!ドン!」というやたら小気味の良い間奏は「ここに放送禁止用語を補足してね」という意味だということです。(だから歌詞が穴だらけで良くわからない)どうやらフランス人には容易に想像できるように書かれており、「◯ソ」「く〇ばれ!」などの単語が入るようです。お下品すぎてちょっと信じられない内容です…。
発売当時は全く売れなかったこの曲ですが、50年以上の時を経た現代、この曲の面白さに目を付けた若者がTikTokに配信したところ大バズりし、フランスではちょっとした有名曲になったそうです。日本でもTikTokのおかげで若い世代に懐メロが流行ったり(「め組のひと」等)しますが、外国でも同じようなことが起こるんだなあ…と妙に感心してしまうエピソードです。
◆Dann schon eher der Pianoplayer(1970)
本国フランスでは「落ち目のアイドル」という目で見られていたギャルですが、一方でお隣のドイツではこの時期精力的にレコードを出しており、コンテストに入賞するなど結構な人気があったようです。ほぼ全ての楽曲がフランス語曲の翻訳ではなくドイツで作られたオリジナルのもので、高校時代ドイツ語を習っていたというギャルは流暢に歌い上げています。
こちらは70年に行われた「ジャーマンソングコンテスト」決勝の様子とのことです。ドイツ語はほとんどわからないので申し訳ないのですが、曲の内容は「友達はギタリストやドラマ―が好きだというけれど、私はピアニストが好きなの」という感じ。いかにもアイドルソングという曲ですが、こちらのギャルの歌唱がこれまでとはひと味違う感じで興味深いです。(口パクではなく生歌です)PHIRIPS時代は声を張り上げてノンビブラートで歌っていたのに、この曲はしっかりとビブラートをかけて朗々と歌っています。ビブラートを効果的に取り入れたのはこの曲が初めてではないかと思います。一体どういう変化があったのかわかりませんが、ギャル自身も現状を打破すべくいろいろと歌い方を模索していたのかもしれません。
「伸ばした前髪を斜めに分けてヘアピンで留める」という67年頃からトレードマークになっていた髪型も70年にはやめているし、衣装もミニスカートだけではなくカジュアルなパンツスタイルも取り入れています。(この動画では素晴らしい美脚を披露していますが)この時ギャルはもう23歳、「ロリータアイドル」から「大人の歌手」への移り変わりが感じられます。
◆Caméléon, caméléon(1971)
”La Campagnie”が2年程で倒産してしまったため、アトランティックレコードに移籍しリリースしたシングル曲です。曲の内容も歌い方も、まだまだアイドルやってるなあ…という感じです。この頃のギャルはドイツでの方がのびのびと歌えていたのかもしれません。
こちらのレコードは日本でも発売されています。邦題は「恋のカメレオン」。そういえば日本の70年代を代表するアイドル、ピンクレディーにも「カメレオン・アーミー」という曲がありますね。70年代当時の流行りだったのでしょうか。
◆Frankenstein(1972)
いろいろな曲を歌ってきたギャルですがフランスでは悉く上手くいかず、72年にはEMIに移籍し、セルジュ・ゲンスブールに再度曲の提供を依頼しています。それがこの曲"Frankenstein"(フランケンシュタイン)です。
曲の内容は完全にホラーソングで、「アインシュタイン」と「フランケンシュタイン」で韻を踏むなどゲンスブールらしい面白さはあるのですが、なかなかの手抜きだな…という感じです。しかしこの映像のギャル、「いかにも怪人に襲われそうな薄幸の美女」感がすごいです。(実際に最後襲われる演技をしています)ギャルの美しさのためだけでも見る価値がある動画です。
結局この曲も売れず、ゲンスブールに曲を書いてもらうこともこれ以降はありませんでした。
◆5 minutes d'amour(1972)
"Frankenstein"の直後にリリースしたシングルのA面曲です。ギャルの「人気低迷期」で1番好きな曲を挙げるとしたら、個人的にはこちらです。イントロ、伴奏、ギャルの歌唱、どれをとっても聴き心地のよい佳曲です。歌詞もショートフィルムのような美しい世界観です。カジュアルなパンツスタイルで胡座をかいて歌うギャルも自然体で綺麗ですね。
こちらは20年ほど前に日本国内で販売されていたフレンチポップスのコンピレーション版「Fresca French」に「5分間の愛」として収録されていました。フレンチポップスがお好きな方は聴いたことがあるかもしれません。
◆Par plaisir/Plus haut que moi(1973)
ギャルがミシェル・ベルジェと組んで活動する前にリリースした最後のシングルです。"Par plaisir"がA面ですが、B面の"Plus haut que moi"は人気ブラジル歌手(トッキーニョ氏)のカバーということもあり、こちらの方がファンの間では人気があるようです。
"Par plaisir"(喜びのために)
曲の内容は可もなく不可もなく、いかにも70年代らしいナンバーという感じですが(別れる直前の恋人同士を歌った曲だと思われます)、これでもかとビブラートをかけて歌うギャルの歌唱が非常に特徴的。ちょっとやり過ぎな感じです。ギャルも後のインタビューで、「この曲でヴェロニク・サンソン流のビブラートを習得したのよ(笑)」と冗談混じりに語っています(サンソンは人気歌手でベルジェの元恋人)。しかし、このビブラートが後のベルジェとの活動時期に活きてきます。1974年以降のギャルの歌唱はビブラートが物凄く綺麗。特に短い音符にビブラートをかけるのはなかなか高度なテクニックだと思うのですが、ギャルは自然にそれを取り入れています。
"Plus haut que moi"(私よりも高く)
ブラジル曲のカバーですが、アレンジも歌詞の内容も原曲とは大幅に異なっており、メロディを借りているだけのほぼ別物となっています。こちらの曲の歌唱にはもはや「イエイエのアイドル」感はなく、翌年以降のベルジェとの共作時代を彷彿とさせるような歌い方をしています。
歌詞は「私をもっと高くに連れて行って、この牢獄から連れ出して…」という感じで、まるで当時のギャルの状況そのものを表しているかのような内容です。73年の春、この"Plus haut que moi"のプロモーションのために訪れたラジオ局で、ギャルは後に夫となるミシェル・ベルジェと初めてまともに会話を交わすことになります。そして彼こそがまさにギャルを「牢獄から連れ出してくれる」人物となったのでした。
こうした経緯もあってかギャル夫妻はこの曲を気に入っていたようで、1978年に行われた復活後初のコンサート"Made in France"でこの曲を余興として使用していたりします。この時期の他の曲に関しては74年以降歌うこともなく、CD化すら拒んだという話もあるため、2人にとっては余程思い入れがあったのではないかと思います。
【番外】Le lâche/C'est curieux de vieillir(1976)
上述の"Par plaisir"のシングルをリリースした後、実はギャルはあと2曲シングル用の楽曲をレコーディングしていました。それが"Le lâche"(臆病者)と"C'est curieux de vieillir"(歳をとるのは面白い)です。
ギャルはミシェル・ベルジェと親しくなった際、最初にこの2曲を聴いてもらい、どう思うか尋ねたそうです。ベルジェの意見は「全然ダメ。この曲は出さないほうがいい」でした。そしてベルジェの才能に心酔していたギャルは、彼のアドバイス通りにシングルのリリースをキャンセルしてしまいました。
そのためこの2曲はお蔵入りとなるはずでしたが、結局74年以降のギャル人気に便乗する形で、半ばレコード会社の独断で1976年にアルバム曲としてリリースされています。
どちらの曲も聴いた感じはそれほど悪くなく、フレンチポップスらしいお洒落な曲です。しかし確かに歌詞はあまりよろしくないかもしれません…。特に当時20代半ばのギャルに「歳を取るのは面白い、私の両親も年老いていく…」などと歌わせるのはちょっと趣味が悪すぎますね。
シングルのリリースをキャンセルした後の話はこちらの記事にあります。
次回以降はいよいよフランス・ギャルの本当の黄金期、ミシェル・ベルジェとの夫婦共作時代の曲を取り上げたいと思います。これまでのギャルとは同一人物とは思えないほど歌も外見も変化しているので、是非ご覧いただければ嬉しいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?