今までで一番かなしい週末 - #ペットとのくらし
2022年11月5日。世界で一番愛しい家族が虹の橋を渡りました。
ありったけの愛と感謝を込めて。R.I.P.
土曜の朝、知らせは突然に
その日はたまたま、幕張への出張が決まっていました。早朝出発は辛いな、前乗りしようかなと思いながら、連日バタバタしていて荷造りが間に合わず、結局5時半に起きてシャワーを浴び、準備(と、たまりにたまった食器の片付けなど)に追われていました。
ふとLINEを見ると、家族グループからのメッセージと通話の着信。
嫌な予感がして、出発20分前かつ風呂上がりの下着姿ながら、母へ連絡。
実家の犬が呼吸をしていない、と。
実は2週間前に犬が大量に嘔吐し、そこから足のふらつきや多飲多尿といった症状が出始め、かかりつけの獣医に見てもらっていたところでした。血液検査の結果、赤血球がほとんど作られておらず、腎臓の数値もとても悪く、正確な場所はわからないながら大きな腫瘍があり、腹水も溜まっていることが判明。1週間後の週明け火曜に大きな病院の腫瘍科に予約を入れていたのです。私は出張で行けないから、その翌週に様子を見に行くね、と伝えていました。
ただ、日に日に元気がなくなって、ずっと怖いくらい食欲旺盛だった犬が大好きな果物や野菜を食べなくなり、家族がごはんを食べていても寝床で丸まっているようになりました。それを聞いて、私が実家に帰るまで本当に大丈夫だろうかと一抹の不安を抱いていた矢先の、早朝の知らせでした。
東京に向かう新幹線の中ではただただ呆然とするしかなくて、犬の写真や動画を見ては涙が溢れ(空席の多い車両でほんとによかった)、でも何とか気持ちを落ちつけようとFacebookに投稿。言葉にして書き残すことで気持ちが少し落ち着くんだと気づけたし、同じ経験をした人からの温かいコメントに本当に救われました。
いつもの足音が聞こえてこない
どうにかこうにか幕張での仕事を終え、新幹線に飛び乗って、京都についたのは21時半。家の中にいると悲しくて何も手につかないからと言って、両親が車で迎えに来てくれました。富山に住む弟が車を飛ばして弾丸日帰りで帰ってきていたらしく(片道4時間半!)、昼間は一緒にいてくれたからよかった、とのこと。
実家の門をあけるとタッタッタッと廊下を走ってくる足音が聞こえて、扉をがらがらっとあけるとそこで犬がくるくる回って待っている、といういつもの光景が、この日はありませんでした。
部屋に入ると、犬は移動用に使っていたボックスにぴったり収まって、タオルにくるまっていました。いつもみたいにちょっと半目を開けて。何度も目を閉じてやろうとしたけどどうしても半分開いてしまうらしい。
朝父親が気づいたときにはまだ温かかったという身体はもうすっかり固まってしまっていましたが、私が大好きでいつもなでていた首周りと耳と耳の付け根は、筋肉がない部分だからか、普段とまったく変わらない柔らかさでした。そこをなでていると、死んでしまったなんて信じられなくて、でもそのとき同時に、もうこの子は帰ってこないのだと急に実感が湧いて、涙が止まらなくなりました。
両親(特に父親)はこの2週間つきっきりで犬の面倒を見ていた分、最後の数日ごはんが食べられなかったことをとてもかわいそうだったと言っていましたが、私はLINEで送られてくる写真や動画でしかその様子を見ていなかったので、どうしてもこの状況が信じがたかった。だって1ヶ月前に会ったときは元気に走り回ってたし、ごはんもガツガツ食べてたんやもん。
母親が呆然としながらも動物霊園に予約を入れてくれていて、翌日15時に連れていくことになっていました。テレビをつける気にもなれないけど、部屋が静かになると犬がいない実感が湧いて全員泣いてしまうので、少しでも明るい最後の夜にしようとみんなで一杯お酒を飲むことに。
最後のごはんは「ハツの塊」
お酒を飲みながら、この1週間の様子を両親から聞きました。
結果的に母親が最後に会った(両親は訳あって現在別居中。犬は父親と住んでいました)のは犬が亡くなる前日のこと。
ペットフード(ドライ)は受け付けず、缶詰も数回に分けてやっと食べきる程度。家族がごはんを食べていても、寝床でくるまったまま、じーっと見ているだけだったそう。あれほど毎食毎食「お祭りか!」とツッコミたくなるほど大騒ぎしていたのに。大好きだったキャベツも、かつては餌と一緒にガツガツ食べていた薬もペッと吐き出してしまう。
最後の日も野菜は食べようとせず、何が食べられるかわからんからとペットショップで父親が買い漁っていたジャーキー系のおやつを試したところ、母親の手に載せたハツの塊をガツガツと口いっぱいに頬張ったそうです。その後父親と散歩に行き、トイレも自分でできたので、母親は安心して自分の家に帰った。それが最後になりました。
それにしても、最後に食べたのがハツの塊って・・・。
食べるのが大好きだったうちの犬らしいなと思う一方で、最後まで食べたいという欲求は残ってたんだな、もっと生きていたかったのかなと悲しい気持ちにもなる、何ともうちの犬らしいエピソード。
空へ送るための準備
心を無にして買い出しへ
あまり眠れないまま、翌朝9時起床。空は快晴。
犬が空へ帰るまであと6時間しかありません。
つらい気持ちで一杯の中、お骨になってから後悔したくない一心で、色々とネットで調べ、葬儀の準備をしました。
父親は既にふさぎ込んでいて外であれこれできる状態ではなかったので、メモにチェックリストを書き出して家でできることをしてもらい、私と母親で車であれこれ買い出しに回りました。
近所のスーパーの中に入っている花屋さんに行き、棺に入れると伝えたところ、希望の花に少しグリーンをプラスして、きちんとグレーのリボンで包んでくれました。拭いきれない悲しさと快晴の清々しさの両方が表現されているような、うちの子の旅立ちにぴったりの彩り。
遺影に選んだのは、弟が最後に犬に会った前回の帰省時に偶然撮った1枚。普段カメラ嫌い(?)で絶対目線を合わせてくれないので、こんなドアップで正面を見てくれている写真は誰も持っておらず、家族にとっては奇跡の1枚でした。
いつもの散歩道を泣きながら歩く
買い物を済ませてバタバタと準備をし、出発まで残り15分というわずかな時間を何とか作り出して、背中のベージュ色の毛と首元のほわほわくりくりの白い毛を小さなジップロックに入れて、最後のお散歩に行きました。
両親の前で泣くと連鎖して誰も何も手につかなくなると思い、2人の前では気を張っていましたが、私だって思いっきり泣いてちゃんと最後のお別れをしたい。
家を出て、家のすぐ裏のショッピングセンターの回りを歩いて、もともといたペットショップにもちゃんと立ち寄って(←ほんの数ヶ月いただけのはずやのに、自分のいたペットショップにいってお世話係のお姉さんに会ってなでてもらうのが大好きでした)。気になるニオイがあればすごい力でぐいぐいニオイのもとに向かっていくし、しつこくニオイを確かめるから、短い距離やのに時間はかかるし体力は奪われるし、飼い主無視な散歩スタイルやったな。あぁ、私過去形で考えている。「こら!」「そっち行かない!」「食べたらあかん!」なんて言う機会はもうないんやなぁ。先月帰ってきたときの散歩が最後になるなんて、想像もしてなかった。もしわかってたらペットショップでもっとゆっくりしておやつもケーキもおもちゃも買ってあげたのに。そんなことを考えたら嗚咽が止まらなくなって、わんわん泣きました。
(国道の歩道を謎のジップロック持って号泣しながら歩く妙齢の女、周りから見たら相当アブナイ人やったはず…)
そして、犬と最後のドライブへ
とうとう出発の時間。本当に最後のお出かけです。
犬を車に運び入れたとき、うちに来てから13年半、いろんなところにお出かけしたことが思い出されて、もう犬は帰ってこないんだと改めて気付かされて、また泣けました。
家族に置いていかれるのが嫌だったのか車が好きだったのか、今となっては判断がつきませんが、うちの犬は車に乗るのが割と好きなタイプでした。車酔いもなく、後部座席に座る私の膝の上に立って、窓の外を見ているのが好きでした。
でも今日は立ち上がることもなく、うっすら目を開けて、ボックスの中で静かに横たわって。もうすぐお骨になってしまう私の家族。なでなでできるのも一緒に写真を撮るのもこれが本当の最後。喉元や耳の付け根は今もまだ柔らかくて、最後にこの感触を刻みつけておきたくて、ずっとずっと頭をなで続けました。
最後まで本当にいい子やったね。物理的にも精神的にもバラバラになっていく家族をつないでくれる唯一無二のかけがえのない存在でした。
週末やったから、お骨になる前に会えて、なでなでできた。私の仕事が一段落して転職活動も本格的に再開してなかったから休みも取れた。母親も偶然連休を取っていたから前日に会いに来れた。もし病院に行けてたとしても入院で一人ぼっちになるんが嫌やったんかな。高額な治療費がかからんように私たちに気を遣ってくれたんかも。私たちのゴタゴタがストレスになっていたのだとしたら、悔やんでも悔やみきれません。
旅立ちのとき
家から車で約35分の「ひらかた動物霊園」に到着。同じ枚方市とは思えない静かな山の中に佇んでいます。ずらっと並ぶ小さなお墓には新しいお花がきちんと備えられていて、飼い主さんがひっきりなしにやってきます。どれだけ時間が経っても悲しみは消えないけど、こうやってみんな会いに来るんだなぁ、この悲しい気持ちは私だけでなくここにいるみんなが経験してきたことなんだなぁと思うと、少し気持ちが晴れた気がしました。
担当の方が、淡々と、でもきちんと心を込めて丁寧に、葬儀を進めてくださいました。般若心経が流れたとき、一瞬「ん?」と思わないこともなかったですが、何もなしでいきなり火葬、ではなくきちんと儀式のステップを踏むことが、飼い主の心の回復のために必要なことのように思えたので、お焼香をして静かに手を合わせました。
棺型の箱は、花束とおやつとおやつとおやつとおもちゃでいっぱいになって、私の位置から最後に見た犬は、少し笑っているように見えました。
火葬を待つ間、父と母と私、それぞれ思い思いの時間を過ごしました。
とにかくこの日は空が真っ青で美しく、霊園の周りの山は少しずつ紅く色づき始めていて、冷たくぴんと張りつめた空気感と合わせて、本当に秋らしい1日でした。火葬場の煙突が陽炎のようにゆらゆらしているのが見えて、あぁ、あそこから犬が空へ昇っているんだなぁと思うと、最後まで一緒にいたくなって、景色を目に焼き付けたくなって、駐車場の土手に犬の写真と一緒に腰掛け青い空と鮮やかな山と陽炎を眺めていました。
火葬が終わり、お骨になった犬と対面。担当の方が順番に骨の説明をしてくれました。犬にも喉仏があるとは知らなかった。。
7kg弱としっかりした体格だから骨も大きいのかと思っていたけれど、想像よりずっとずっと細く小さい骨でした。肋骨が人間と比べてすごく細くて驚いたし、こんな小さな頭でいろんなことを考えて言葉も理解していたんだなぁと愛しさがまた増しました。中でも一番愛しいと思ったのは、しっぽの骨でした。長さ1.5cm、幅2mm弱ほど(形はマンガみたいにまんま骨の形)しかない小さくてかわいらしい形。うれしくてぶんぶん振るしっぽに当たるとめちゃくちゃ痛かったのに!家族それぞれの骨壷に骨を少しずつ分けて入れて、担当の方がひとつひとつ丁寧に風呂敷で包んでくれて、葬儀は終了しました。
本当に本当に長い週末、生涯忘れられない二日間となりました。
13年半ものあいだ、私たちの家族でいてくれてありがとう。写真や動画を見返せば見返すほど、表情もしぐさも動きも何だかとても人間ぽくて(たぶん自分のこと犬だと思ってなかったよね)、そんなあなたが本当に本当に愛しいです。そっちで美味しいものを満足いくまでたらふく食べてね(もう怒られることもないしね!)。私がそっちへ行ったときは、いつも家に帰ったときみたいにちゃんとお出迎えしてください。それまで少し距離は離れているけれど、毎日あなたのことを想っているよ。
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