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自分を嫌う人に対しては何をしても嫌われる事を理解し、すべきことをする

この記事にはアドラー心理学をもとにした用語が頻出します。
課題の分離についての理解がないと読むのが困難かもしれません。
が、記事量が膨大になるため、この記事では課題の分離についての
説明は省略しています。
課題の分離についてはグーグル先生に聞けば一瞬ででてきますので
読んでみてください。
必ず得られるものがあると思います。
またこの記事は自分の気づきを記した備忘録的な側面がありますので、
絶対に正しいものではないことをご了承ください。
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今僕の勤める職場には僕を嫌う人が居ます。
まあ、どこにでも居るお局様というやつで、
気に入らない人には意地悪をして追い出そうとしてるようです。
誠に残念な方なのですが、そういう人に対しどういう関わり合い方を
したら良いかは結構色んな人が悩むことだろうと思います。
僕も例外ではありません。
が、一番に思うことは「関わり合いたくない」だと思います。
関わっても何の生産性もないし、その人に対して
何かエネルギーを割くだけでも無駄に思います。
しかし、同じ職場の人間である以上ある程度関わらざるを得ません。
なのでどうしたものかと、考えるわけです。
無視をすれば良いのか、丁寧に接すれば良いのか、攻撃をすれば良いのか?
僕は全部試してみました。

結果は「何をしても嫌われる」でした。
僕は普段、人として最低限の礼儀である挨拶まではしようと心がけていたのですが、その人は挨拶を無視してきます。
なので、ある日通路ですれ違った時一度無視してみました。
そうしたら「無視かよ」ってぼそっと言われました。
これには少し笑ってしまいました。
あなたが普段やっていることだよと。

要は何をやっても同じなのです。
相手は「こいつを嫌う」という決意をしています。
これは相手の課題なので変えることはできません。
坊主憎けりゃ袈裟まで臭いと言います。
何をしたって相手にとっては不快なわけで、相手に合わせてどうこうすること自体が無駄です。
なので、基本的に何をしても問題はないという結論に行き着きました。
その前提の元、どうすれば自分に胸を張れるかを考えて行動すれば良いと思います。

何をしても陰で自分の周りに侍らせたイエスマンに
悪口を漏らしてるでしょう。
彼女にそのイエスマンがずっと僕の悪口を聞かされて気持ちいいのか
までの想像力はありませんし、
その想像力の欠如によって自分の人格を曇らせ、自分を不幸にしている
自覚も持てません。
残念ながらそれがその人の限界です。
既に彼女の傲慢さは周知されていて、職場で彼女を好いている人は
多くありません。
悲しいことに自分で敵を作っていることに気付けない。
その人格にふさわしい結末が待っているでしょう。
因果応報は天の裁きではなく、自分自身が引き寄せる必然です。
スピリチュアルな話ではありません。

彼女の行動はエスカレートしてきていますが、そのうち自分で
身を滅ぼすでしょう。
僕らはその末路を眺めて「ああなってはいけない」と
自分の身を引き締めればいいだけです。

職場の御局に困っている人は、今すぐに悩むのを止めましょう。
エネルギーの無駄です。
何をしても絶対に嫌われます
それを受け入れて、感情を一切動かさない、
明鏡止水の境地へ至るための試練だと思ってください。
あなたの心が平穏でさえあれば、全て解決します。

もし業務に支障をきたすレベルであれば上司に報告すればいいし、
それでなんの解決策も打ち出せない上司であればその職場は
駄目な職場なのでサクッと辞めましょう。
職場は職場で、事情を説明して辞めると言った時に、
「どちらを残したほうが良いか」天秤にかけます。
御局がクビにされにくいのは、それなりに職場に長く貢献してきたからですが、そのせいで新人が辞めていくのであれば、それは職場に悪影響を与えていることにもなります。
会社がその天秤をどちらに傾けるかはその会社の課題です。
もし自分の方に傾かなかったのであれば、それは縁がなかったということです。
その職場に居ても幸せにはなれませんし、その職場は御局のせいで
新人が辞めていく事を受け入れながらやっていくことを選んだのであれば
そんな職場に籍をおいておくメリットはありません。
不適切な人材を残し適した人材を捨てるその職場も
因果応報を受けることになります。

あなたは自分に胸を張れる選択をただ行えば良い。
「こんな会社、自分から願い下げだ」と心から思ったなら
それが正しいです。

根性出して耐えても無意味などうしようもない会社というものは
存在します。

僕は自分でその事を経験しています。
そういう会社はその悪い人材に依存してその人が居ないと
会社が回らない状態です。
なので悪いところがあると認識していても絶対にクビにはできません。

その会社に根性出して残り続けるか否かの判断は、その問題社員に
その会社がどれぐらい依存しているかを見極めてください。
中小企業は問題社員に依存している状況が多いです。
そして中小企業ほど、狭い世界なのでその問題社員に関わる機会が多い。
最も精神衛生的に良くなく、解決できない状態です。
根性を出す意味は全くありません。
全力で逃げましょう。
ちなみに僕が体験した悪い人材に依存した会社は潰れました。
悪い人材に依存し、それ故に新人潰しで新人が定着せず、常に労働力不足で
それ故に営業力が落ち、売上が落ちるという負の連鎖の結果です。

まあ、僕の父の会社なんですけどね。(苦笑
父の会社であるが故に辞められず倒産という最後の末路まで
会社に在籍しましたが耐えた意味なんて全くありませんでした。

そして次の職場でも御局の洗礼を浴びているわけです。
どこに行っても必ず問題のある人は居るものです。
多分そんな事は皆さん経験済みでしょう。
そして悩んでいることかと思います。
ですが、いい職場というものはきちんと存在しますし、
現に僕の今の職場は問題社員には限度を超えると指導が
入る仕組みがあります。
やはり大手のほうがコンプライアンスと社員を守る意識が高く、
悪い人材に依存しない環境が整えられてます。
僕は今回の職場は現状問題があるがいずれは解決しそうな
雰囲気が醸成されてきているのを感じるので、
根性を出して耐える価値がある職場だと思っています。

僕はまだ今の会社で発言権を得られるほどの貢献と
実績を残せてはいませんので、今問題を起こせば首になるのは
僕の方でしょう。
それは相手に問題があるだけではなく、入社早々問題を起こす
僕にも問題があると認識されてしまう期間だからです。
ですが、少しずつ信頼を得られてきている実感があります。
なので今は信頼と実績を積むために、心を無にしています。
御局は古参だけあってそこそこ仕事ができますが、人徳がなく
会社側もそれを認識しているようですので、指導が入るのは時間の問題だと思います。

ここで大事なのは、問題のある相手と闘争せず、人として正しい姿を
会社に提示し続けて、会社にとって価値のある人間であることを
認識してもらうことです。
これは、この手の問題に対してある程度適切に対処する能力があるか
どうかを試されている
と言っても良いです。

すぐに感情的になって問題を起こしたり、崩れ落ちるようでは
問題社員と価値はそんなに変わらないということです。
自分の心の平穏のためにも、そして会社での信頼を勝ち取るためにも
問題のある相手に対して動じず、会社に対しては
人として正しい姿を示し続けましょう。
問題のある相手に嫌われることは絶対的に不可避ですし、
この手の人は手段を問わず僕らが会社にいられないようにするための
妨害工作を仕掛けてきます。
が、それは大して重要な問題ではありません。
それは相手の課題であって、僕らの課題ではありません。
実際僕は御局に悪い噂を流されてますが、僕自身が人として
きちんと礼儀ある態度を貫くことで、その噂が虚偽であることが
バレてきて、逆に御局は信頼を失っています。
このまま彼女は自分で培ってきた実績を自分で穢して自滅するでしょう。
また、プライベートな時間であれば、御局に対してどんな態度をとっても構いません。
どうせ何をしても嫌われます
どう対処しようかなど考えるのは無駄ですし、感情やエネルギーを
費やすのも無駄です。
それに人として正しくない姿勢を見せると、揚げ足を取られる隙を与えることになるので、ならべく自分が胸を張れる状態を維持したほうが良いです。それは自分の成長にも繋がりますので一石二鳥です。

僕らがやるべきこと、できることは、自分に胸を張れる人であろうとすることだけです。
これは必ず自分にとって良い結果となって帰ってきます。
人として正しくあることは絶対に裏切りませんし、
自分自身を好きになれます。
逆に人間性に問題のある人に合わせて感情を動かし、
自分のレベルを下げると、自分の人格も信用も落ちます。
自分の美学を信じて貫いてください。

もう一つ、お伝えしたいことがあります。
それは「相手を悪人にしないこと」です。
相手は相手なりの正義があり、それに基づいて行動をしていますし、
一人の人間です。
人間性に問題のある人は全員が精神的に弱いです。
問題行動は弱さが故の過ちなのです。
その弱さに思いを少しだけ馳せてあげてください。
完璧な人間などこの世に存在しません。
自分が完璧でないことを鑑みればそれは理解できるはずです。
そして相手の弱さを認めてあげることで自分にも他人にも
寛容になることができ、人間力が向上します。
相手を悪人にしないことは自分のためでもあり、
無駄な闘争を避け、穏やかな日々を過ごすために必要なことです。

僕の職場の御局も弱い人です。
そしてその弱さの裏には、何かしら辛い経験があってそれを前向きに
とらえることに失敗してしまった事情があるのだと思います。
そういうふうに想像力を働かせると、なんだか少し同情する気にも
なりませんか?

しかし、そういう選択をしてしまった報いは受けねばなりません。
可哀想ですが、それは彼女の課題であり、自分で選んだ
ライフスタイル
なのです。
その報いを受けた時に、自分自身の問題に向き合い、ライフスタイルを選び直す事ができるか、他責思考でまた人生の嘘に逃げ込むかも
彼女の課題です。

多少の同情はしてもいいですが、背負い込む必要は全くありません

自分を救えるのは自分だけです。
弱い彼女も、僕自身も、これを読んでいるあなたも、
自分で自分を救うしかありません。
他人ができるのは「勇気づけ」までであってそれ以上は
我々の課題ではありません。
相手を変えようとすることは、相手の尊厳を無視した
傲慢な「介入」
です。そこは気をつけなくてはなりません。

また、勇気づける気が起こらないのであれば、放置しても構いません。
それは他人の同情を集められないその人の報いであり、
逆にあなたの世界の限界線でもあります。
限界というと悪いイメージがあるかもしれませんが、
誰にでも限界はありますし、どのあたりが限界であっても
良いとか悪いとかではありません。
ただ、その瞬間に自分が胸を張れる状態であればそれで良いのです。
自分に胸を張れる事が維持できれば、少しずつ限界線は大きくなり
続け、人間力は増していきます。
自分の限界、未熟さを恥じる必要はありません。
今この瞬間、自分に胸を張れる事を誇りに思ってください。
少しずつ限界線が大きくなっていることを認めて
自分を褒めてあげてください。
それが良い循環を作り出し、結果的に自分も他人も幸せにする事に
なります。
他人に対して慈悲深くなれることで、他人を幸せにすることができます。
その笑顔を見ることで貢献感が実感できると人は幸福感を得られます。
これが僕なりに辿り着いた「人間愛」の本質です。

この理論はもう既にあらゆる宗教や、幸福論で語られていることです。
ですが、理屈として理解していても経験と実感がなければ完成に至らないものでもあります。
要は愛の本質を理解するには知識と実践経験が両方必要であると
いうことです。
本を読み、実践することで到達できる場合もあるだろうし、
逆に人生経験から悟りそれを理論化することもあるでしょう。
知識と経験は補完関係にあります。
理性と感情が補完関係にあるのと同じです。
どちらかが欠けていると人は成り立ちません。
それが人間であり、他の動物と異なる人間の特異性なのです。

愛とは何か?人間とは何か?

僕は「想像力」であると考えています。
想像力が大きければ大きいほど、愛の力も、人間力も増していきます。
人の弱さを理解し、心情を理解し、適切な行動を取る。
想像力が大きければ適切な行動の精度は増していく。
人生とは想像力の研磨であり、人間力の探求でもあるでしょう。
己に恥じない人生を探求することは即ち幸福への道になります。

あなたの職場の御局にもあなたの人間力を見せつけてあげましょう。
そしてあわよくば、相手を幸せにして、自分も幸せにしてもらいましょう。
無理そうならば、縁がなかったか、まだ機は熟していないということです。

あなたは客観的に自分の限界線を認識しつつ、
限界線を広げる努力をすれば良いだけです。
今この瞬間も自分が成長し続けているという実感があれば、
明日も希望を持って生きることができるはずです。
色々とややこしいことを書いてきましたが、答えはシンプルです。

自分に胸を張れる人生を生きる

これだけです。
これさえ守ることができれば、明日死ぬことになっても悔いは
ないはずです。

他人が自分を嫌うかどうかなんてどうでも良いのです。
自分に胸を張って生きていれば勝手に結果はついてきます。
自分の愛の力を信じて、胸を張って生きましょう。

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