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日課をもったいぶる
日課としてnoteを書くこと(+見出し画像作り)とduolingoをやっている。
duolingoは退屈なのでついでに筋トレを取り入れている。
(duolingoをしながらのプランクと終わった後に握力筋トレ(握るやつ両手50回)をしている)
noteにかかる時間は未知数だか、後者は5分程度で終わる。
こんな程度の日課は隙間時間があればできてしまうが、それでも、もったいぶって日付の変わるギリギリまでやらない。夜9時くらいになると「そろそろ…」と、やり忘れないように気をつける。
ではなぜ、もったいぶるのか?と考えてみる。やるべきことが終わると、「あ、終わった」と思うと共に、「これから何をしよう?」がやってくる。
これから感じるのは、やるべきことが無くなるのが怖いのかもしれない。終わってしまってからの空白を埋めるよりも、やることを残しながらもあたかも時間を調整しましたという方が気分がいいのかもしれない。それにおそらく日付が変わる近くまで何かしらのタスクが残っていることに誇りを持っている節すらある。
仕事に置き換えれば嫌な奴で「夜遅くまでやっている!」と見せつけようとしているまである。今回の話はあくまで自分が自分に対してであるが、どこか頑張っている自分を見ていたいのかもしれない。
窮屈な生き方というか、何かに追われているように過ごしている気がする。
これは他人との比較なのかもしれない。他の人が毎日、やる気がなかったとしても何かしらをやっている中で自分は特段努力をしていないことに対する罪悪感的なものを濁している。ここで言う努力とは少しでも世間から認められるであろうことを指している。
勝手な思い込みかもしれないし、無意識でそう思っているのかもしれない。この記事を書き始めた時はもったいぶるのは終わってしまった後の空白が怖いだと思っていた。けれども思った所よりも深い所にもったいぶる原因があるのかもしれない。