夢を見ていたかった。
いい歳して私も現代っ子だ。気がつけば端末を手に取り朝から晩までブルーライトで目を酷使して、丸めた背中と肩を捻って筋肉や骨や筋をバキバキと鳴らす。私は既にインターネットの漬物だ。
失恋したらばっさり髪を切る、みたいなベタで大胆な事を平然とやってのけたりする。
ほんの時々、生まれたら朽ちるだけなんだからもう良くない?って思ってしまう。
私が歩いているなんの変哲も無い平坦な道は知らぬ間に、少しでも間違えたら落ちてしまうような危ない橋に変わっていた、ということがしばしばある。
読んだ本に書いてあった。
”きっと絶望って、あり得たかもしれない希望の事を言うのだと思います。”
始まりは終わりの始まり。始まってしまったものはいつか終わる運命にある。今後、私の前を通り過ぎる人やモノがこの先の人生にもう、何ひとつとしてない事を馬鹿みたいに真剣に祈っている。
満たされてるような感覚のこの瞬間が、ずっとずっとずーっと続けばいいのに。明日も明後日も一週間後も一ヶ月先も、一年先も、死ぬまでずーっと。
この現実は全部夢なんだと、誰かに言われたとしても。
うる星やつらビューティフルドリーマーって映画の事を唐突に思い出した。私はうる星やつら世代ではないけれど、馬鹿でアホで最低でクズでヒモでアル中だった昔の恋人(!)が当時、仕事サボってうちで観ていた。
文化祭の前日がひたすら繰り返されるっていう、前衛的なストーリー。
ビューティフルドリーマーにおいて、無限ループする文化祭の前日はラムちゃんのずっと今が続けばいいという願望が描いた仮想現実だ。
ラムちゃんが言ってた。「みんなとずっとずっと楽しく暮らしていきたい。それが夢だ」って。
そんな仮装現実から、アタルくん(ラムちゃんのボーイフレンド)は自ら現実に帰っていくんだけれど、
なんでアタルくんは現実に帰りたくなったんだろうね。「好きな人を好きでいるために、その人から自由でいたい」って言っていた。
ラムちゃんの望んだ「みんなといつまでも仲良く、楽しく過ごしたい」という願いが、あまりにも美しくかつ、悲しすぎたのだね。
満たされてるような感覚のこの瞬間が、ずっとずっと続けばいいのにと自分自身も切に願う反面、
「辛い現実を生きるより、幸せな夢の中で生きる方がずっといい」という誘惑を跳ね除け、必死で「現実」へ戻ろうとしたアタルくんの気持ちも、よくよくわかる気がする。
二度と傷付くことのないふわふわした仮想現実で心を揺らさずぬくぬくと生きるよりも、ずたずたに傷付いたとしても他者と触れ合い泣き笑いできる、不確かで不安定な、でも、希望ある世界線に私はいつも手を伸ばしていたいよ。
結局は、男女は相容れない。
ってことなのかなあと、ぼんやり考えてる。