フジテレビや中居氏の問題から学ぶ:怒りを手放し『しょうがない』を正しく使う方法
怒りを手放す「しょうがないね」の力と課題
私は普段、ほとんど怒ることがありません。じわじわ「腹が立つな」と思うことはあっても、感情を爆発させることはここ数十年ほとんどありません。それは、怒ることがとても疲れるうえに、問題が解決することがほとんどないからです。そんなとき、私が自分の中でつぶやくのは、「しょうがないな」という言葉です。
「まったく、しょうがないね」の寛容さ
「しょうがない」という言葉、皆さんは使っていますか?
私は子どもの頃、母や祖母から「まったく、智子はしょうがないね〜」とよく言われていました。
また、教員時代にもベテラン教師が、問題を起こす生徒たちに「しょうがねーな」と言いながらも、諦めずに指導していた姿をよく目にしました。この言葉には、「相手を責めるよりも、受け入れて導く」という日本人ならではの寛容さが詰まっているのだと思います。
「しょうがない」は育児には大切な言葉
子どもは失敗を繰り返しながら成長していくものです。その過程で親の期待通りにいかないことが多々あります。そんなとき、「しょうがない」と一歩引いて受け入れることで、親自身が余裕を持ち、子どもの成長を温かく見守れるようになります。
「しょうがない」を育児に活かす方法
子どもの失敗を受け入れる
おもちゃを片付け忘れるなど、言いつけ通りに行動できないのは日常茶飯事です。そんなとき、「しょうがない」と気持ちを落ち着けて対応すれば、失敗を成長の機会として捉えることができます。その上で、「どのように教え、導くのが効果的か」を冷静に考えられるようになります。完璧を求めない
親も子どもも人間です。お互いに「完璧ではないこと」を受け入れると、家庭全体が穏やかになります。
「しょうがない」はガバナンスには向かない
一方で、「しょうがない」という言葉はすべての場面で適切ではありません。この言葉が「相手や状況を受け入れる寛容さ」を意味する反面、必要な問題に対して改善を怠る原因にもなり得ます。
フジテレビや中居氏の件に見る「しょうがない」の限界
芸能界やテレビ業界では、「あの業界だからしょうがない」と不正や問題行動を長年見逃してきた歴史があります。これが積み重なった結果、業界全体への不信感を招き、問題の深刻化を許してしまったのではないでしょうか。
「しょうがない」という姿勢は、時に物事を深刻に捉えず、改善のチャンスを逃すことがあります。寛容さが長所である一方、曖昧な態度が課題解決を妨げることにもつながるのです。
「しょうがない」をどう使い分ける?
「しょうがない」という言葉には、大きな可能性と限界があります。場面によって適切に使い分けることが重要です。
育児や日常生活では「寛容さ」として活かす
どうしようもない状況や失敗を受け入れ、そこから最善を考える柔軟な姿勢を持ちましょう。社会問題や組織の課題には「毅然と対応する」
「しょうがない」で済ませず、必要な場面では問題を見逃さず、建設的に改善を求めることが重要です。
おわりに
「しょうがない」という言葉は、人を受け入れ、成長をサポートする力を持つ素晴らしい表現です。しかし、その寛容さが行き過ぎると、社会や組織の課題を曖昧にし、深刻化を許す原因にもなり得ます。
寛容さと毅然とした態度のバランスを取りながら、「しょうがない」を適切に使い分けること。それが、より良い家庭や社会を築くために求められる新しい価値観なのかもしれませんね。
あなたにとって「しょうがない」はどんな言葉ですか?
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