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義理家族と亀裂が入り始める

私たちがモトットの行動を先回りするように動き回っている間も、彼は熱海と都内を行ったり来たりしていました。ある日、義母に「熱海の安いドミトリーにいる」と連絡が入ります。男女混合の部屋だったりしないのかしら?――そんな不安が頭をよぎり、「性的逸脱」の文字が脳裏をかすめました。ただただ、「どうか問題を起こさないでいてくれ」と願うばかり。実際、躁転すると万引きや横領をしてしまうケースもあると聞いていたため、気が休まりませんでした。

義母は私の家に2週間滞在し、その間、リビングに布団を敷いて、息子と3人で寝ていました。夜になると、スヤスヤ眠る息子を真ん中に、私と義母は暗闇の中でそれぞれスマホを見つめ、必死に「双極性障害」について調べ続けました。彼女が滞在してくれた2週間、私は1人で戦わなくて済んだことが本当に救いでした。もしすべてを1人で判断しなければならなかったら、きっと心が折れてしまっていたでしょう。それでも、私はほとんど眠ることができず、義母にも心配されました。

「やよいさん、ちゃんと寝てる?大丈夫?」

そんな彼女の言葉にも、「大丈夫です」と答えるしかありませんでした。
情報収集、躁転したモトットの現在地の確認、そして彼が何かをしでかす前に先回りして静止すること。すべてに追われながらも、私は仕事をこなし、息子とは変わらず笑顔で過ごしました。そして夜になると、義父とLINEで連絡を取り合い、今後の対応について話し合う――そんな日々が続きました。

しかし、疲労困憊の中で、少しずつ義理の家族に対して釈然としない思いが募り始めていったのです。



義叔父の相手をしなければならない

最初に違和感を覚えたのは、義叔父でした。彼は某メーカーの研究者で、義父とは年の離れた兄弟。義父は何かにつけて「お兄ちゃん!教えて!」と頼るタイプで、その関係性はこの非常事態の最中にも変わることはありませんでした。

義叔父は、モトットが研究者を志すきっかけとなった人物であり、彼と同じく、主に本から情報を得るタイプ。一方の私は、書籍だけではリアルな情報が得られないと考え、実際に当事者と接しながら相対的に判断し、できるだけ早く有益な情報を収集することを重視していました。

義父は義叔父に対し、「モトットに通院するように説得してほしい」と頼んでいました。その点はありがたかったのですが、その上で義叔父がLINEの通話で発した言葉に、私は唖然としました。

「病識が大事だと書いてある!病識が大事なんや!」

(いや、それはわかっている。問題は、その「病識」を、今まさに躁転しているモトットに認識させるのがほぼ不可能だから、私は奔走しているのに……。)


昼間は仕事とモトットの対応に追われ、疲労困憊の私に対し、義叔父は自分が得た情報を一つひとつ丁寧に説明してくれました。「はぁ…はい。その情報は…」と、思わず生返事になってしまうほど、すでに知っている内容ばかり。それでも義叔父は熱心に話し続けました。
極めつけは、この一言でした。

「アイコさん、1人で東京で戦わせてすまん!!!」

(……なるほど、私のことは見えていないのね。)

さらに、モトットの就職先にこの危険な状態を伝えるべきかという議論の際、義叔父は私に向けてこう言い放ちました。

「僕たちはモトットの家族だから!そんなひどいことはできん!!」

義母はすかさず、「おにいさん!今の家族はやよいさんとショウタちゃんやから!」と庇ってくれました。

もうひとつは、「このまま躁転している状態では私たちは離婚せざるを得ません」という話をした際、

「まあ、一度離婚しても、また再婚することもあるし。先のことはわからんよね!!」

という言葉。その無神経な発言は、モトットとの離婚を決意する大きな要因の一つとなりました。

さらに、モトットが寛解後、義叔父に会いに行った際、彼の言葉が原因でモトットがしばらく不安定になるという出来事も起こりました。本を読んだだけで理解した気になり、一度症状が落ち着いたら健常者と同じことを求める――その態度に、私は心底うんざりしました。

「病識」という言葉だけが一人歩きし、それを口にするだけで寄り添っているかのように振る舞う――そんな義叔父との関係は、いまだに断絶したままです。

当事者意識のない義父

義叔父だけでなく、義父の態度にも大きな疑問が残りました。モトットの父親という意味で、彼の姿勢には首をかしげる点が多かったのです。

義父は、何かと兄である義叔父を頼り、自ら主体的にこの病気について学ぼうとしませんでした。彼はかつて、年の半分を海外赴任で過ごしていたような人で、日本人的な枠にとらわれないタイプ。良く言えば格式張らない、悪く言えば立場や空気を読まない人でした。

まず、仕事の調整についての話。義父は「仕事があるから、なかなかそちらには行けない」と言いました。それ自体は仕方がないとしても、実の息子が自死してしまうかもしれないという状況で、何の調整も試みないことが私には信じられませんでした。もちろん、私にも仕事はあります。それでも必死で時間を作り、対応に奔走していたのに――。

また、毎晩のように私から報告の連絡を入れていたのですが、そのたびに義父の顔が真っ赤なのが気になりました。彼は晩酌がやめられず、いつもリビングでそのまま寝てしまうような人。非常事態の最中でも変わらず酒を飲み続けていることに、私は愕然としました。

極めつけは、私が心理士さんと義実家をオンラインでつなぎ、今後の対応について相談する場を設けたときのこと。そこには義母が映っていましたが、義父の姿はなく、無償で話をする時間を作ってくれた心理士さんに、挨拶さえしませんでした。その様子を報告した川尻さんたちは、こう指摘しました。

「お父上は、当事者意識が低すぎるんじゃないか?全部やよいさんが父親の代わりをやっているじゃないか!!」

まさに、その通りでした。

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