noteの良い所は、多様性~人と違っていい~
ADHD_noteです。
私がADHDだからということもありますが、、
小さい頃から”人と違う”という感覚は多く持っていました。
それはあくまでも、私自身が勝手に(自意識過剰で)思って来たことではなく、自分以外の人から言われて気づいてきたことです。
「なんか違うよね」
「考え方がおもしろい」
「みんなもやってるからやらないとダメでしょ。」
など。
自分としては、最後の言葉など、「は~?」「だから何?」としか言いようがないんですが。。
私は、こういう人と違うところが、マイナスになっているということを思ったことはなく、むしろ”自信”となってきた気がします。
「みんなちがって、みんないい。」という言葉は、
金子みすゞの「私と小鳥と鈴と」という詩の中の一節です。
「 私と小鳥と鈴と 」 金子みすゞ
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
たとえばnoteを見ていても思いますが、
「同じタイトルだから、同じことについて書いているのだろうな」という感じで自分としては、「考え方の補強」という意味合いで予想をしながら見たところ、実は違う角度で書かれていたりということがしばしばあります。
記事の中身が、タイトルとは全然違うことが書かれているということもあったりします。
私としては、へ~こんな考え方があるんだ、なるほどな~。
と思うことがあれば、
ん~、自分とはなんか違うなぁ・・・という気がすることもあります。
そこをどう思うかということです。
人と違って当たり前ですから。
自分と同じ考え方がかかれていても、真逆が書かれていても、
「おもしろい。」と思う。
これもADHD特有の「好奇心」の一つともいえるかもしれません。
最近、私の実感では、ここ5年くらいでしょうか。
メディアや、本を読んだりしていると、
何かと「多様性」ということが言われています。
これからの社会は「多様性」が必要だ、と。
たしかに必要なんですが、
今日の日本において、どれだけの人が「多様性」を理解しているのか?といいいたくなることも多く感じます。
「多様性」というものに嫌悪感を抱く人もいるでしょうし、
(ただ、嫌悪感を抱くということ自体も多様性の一種ですが。。)
「多様性」の意味合いをはき違える人も居るでしょう。
多様性にかこつけて、人に迷惑を掛けることをしてもいいじゃないか(本人が自覚している場合も、無い場合も)などの主張。
あるいは行動で示す「無名YouTuber」や、「あおり運転者」(たとえば、『前の車が遅いから、邪魔だから車間を詰めた、幅寄せをした、追い抜きをした、急停止した。』また、『目立ちたいから騒音を出して走る』『高速走行する』など、「自分ルール」で公道を走る人など。
このような、ただ自己顕示欲に任せて、人に迷惑をかけること、考え方などは、論外ですが、自己顕示欲に任せて、人に、社会に有益になることをやるのは、もちろんOKだと思います。
そうではなくて、「多様性」だったり、「人と違っていい」ということ、
すなわち「人と違うということを認める社会」を実現していくことが、
”真の多様性”ということであり、
今後の日本に”真の多様性”が根付いていくことを期待したいと思います。
ちなみに画像はいろいろな人が居ます的な感じ。
Pixabayからの画像