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こどもの? ”ADHD”


ADHD_noteです。


今回はこどもの”ADHD”について、書いてみたいと思います。


 ADHDは”うまれつきの、脳の発達における障害”で、こどものころ(3才頃)から脳の障害(特性)による症状が表面化し始め、(人から見て障害特性がわかるようになり)その後生涯にわたり症状が継続する。
というのが現在(2020年)の通説です。
(平たく言うと、生まれつき顔や手足の形がそれぞれ違うように、脳も一人ずつ違うということです。たとえば身長の伸びは、その後の生活環境で違いはありますが、生まれつきの遺伝の部分が大きいです。ADHDの脳も身長と考え方は同じです。)
 
 精神科医 岩波明氏の著書「発達障害」の第2章にADHD(注意欠如多動性障害)について記載があるので、一部抜粋して紹介します。

軽視されてきた疾患
 ADHD(attention deficit and hyperactivity disorder)は、ある意味、不幸な疾患である。「不幸」という言葉が適切でないならば、長く見逃されてきた、あるいは誤解されてきた病気である。
 これまで述べてきたように、ADHDはASDと並ぶ主要な発達障害である。しかもASDと比べてADHDの有病率は高い。小児期においては総人口の5%~10%程度に及ぶという報告もみられる。この数字はASDの10倍以上である。
 ADHD特有の「不注意、集中力の障害」は成人期になっても持続し、特に就労してからは、ケアレスミスの頻発、仕事上のパフォーマンスの低下といった否定的な要因と関連してくるケースが多い。多くのADHDの当事者は、実際、就労してから自らの不適応を自覚し、病院を受診する。
(中略)
 かつてADHDは子供の病気と見なされてきたという歴史がある。小児期のADHDについては、成人すれば症状の大部分は改善するものと考えられてきたため、成人の患者についてなかなか目が向けられなかった。
(略)
「ADHDは子供の病気」とする考え方は誤りであり、成人になっても治癒するわけではない。ただし小児期における「多動・衝動性」については、思春期以降、患者本人が自ら抑制することにより、一見すると改善しているように見えることが多い(もっとも、内面における「多動・衝動性」は持続している場合が多い。)

【『発達障害』岩波明著 文春新書2017年より一部抜粋】


 以前は「ADHD=こどもの症状」と言われていたのが、実はその後、青年期を過ぎて、成人期となってもなお、症状は続くと言われています。

(私自身、他の記事でも書いていますが、症状を日々実感しています。)


こどものADHDの主な症状については、

たとえば幼少期の、「落ち着きがない、かんしゃくを起こす」などの症状。

小学生になると、「宿題が仕上げらない、モノを忘れる、時間割をそろえられない、授業に集中できない」などという症状が起こり、中学以降も続きます。学生時代(特に義務教育の時期)は、親や友人などの助けを借りたり、自分自身で猛烈に努力することで、何とか症状に対処して過ごします。
 
ただし、この時点で義務教育への不適応(学業や学校生活での限界)を迎えると、うつやパニックなどの二次障害(主に精神的疾患)を発症し、引きこもりやニートになっていくことが考えられます。

あくまで個人的な見解ですが、現在の一般的な日本の義務教育や高校のシステムは、ADHD当事者に尋常でない苦労を強いることになっていると思います。正直、常に教員が上から目線で見下されるような、あのシステムは疲れました。(私の個人的見解です。)
 

少し脱線しますが、こどもが一律で義務教育を受けるということに関して、興味深い話があります。

人間の脳の特性としての”優位性”という概念で、
「教師を目指す、あるいは実際に教師になった人たち」は言語優位(という脳の特性)の脳を持つとされ、学校教育(義務教育というシステム)に適した脳の持ち主だと言われています。

「教師を目指す、あるいは実際に教師になった人たち」は、現在の学校という枠組み(義務教育というシステム)では、客観的にみれば当然 ”勉強が得意” に他ならず、そのために教師、教員に言語優位者(=言語優位脳の持ち主)が多いと言われています。

学校のシステム自体を言語優位者が作り、
その運用も言語優位者に使いやすく整えられている。

と、いうことです。


良くも悪くも、現在の日本の義務教育は、少なからず言語優位者に適した環境(”土俵”)となっていて、いわば、”言語優位者が得” となるような、言語優位者だけが自然と優遇されるような環境が、前提として作られています。

(これは、おそらく意識的に行ってきたわけではなく、教師に多い、言語優位者にとって、ひたすら「それが当たり前でしょう?」という感覚だけであり、システムに何ら疑問に感じていない、ということだと思います。要は、多数が正義。少数意見は不要。という、いかにも日本らしい発想です。)

このあたりはまた、今後詳しく書きたいと思います。


話を戻します。

 小中学校を卒業後、高校や大学を卒業して就職すると、今度は職場で問題が起こります。内容はまさに”ケアレスミスの頻発”といった、前述の『発達障害』の本に書かれている”成人期の症状”そのままという状況です。


次に、こどものADHDについて、理解しやすい映像をご紹介します。


次のアニメ映像は、日本イーライリリー株式会社ADHD情報のYouTubeチャンネルの動画で、「ADHDのお子さんの日常」というタイトルでYouTubeに公開されているものです
※YouTube上の注釈にもある通り、すべてのADHD患者が同じような行動を示すとは限りません。

私は小学生の頃、まさにほとんどこの男の子のような状態でした。

 このアニメはADHDの症状の表現が秀逸で、”こども期のADHD”を障害特性を的確に表現されており、十二分に理解していただけると思います。
(全てのADHD患者が同じような行動を示すとは限りません。)


なお、現実にはアニメの中で描かれている母親のセリフにある、
うちの子は将来うまくやっていけるのかしら?』などというように、親自らが「他の児童と比較した場合の、自分のこどもの言動の異常さ」に気づいたりすることはまれなようです。

 むしろ、
「まさかうちの子に障害があるわけがない」
などと、わが子の障害と向き合わない場合が多いようです。

 

アニメの中では、どちらかと言えば、父親の、「まったく、お前のしつけはどうなってるんだ!」という部分のシーン(父母ともに ”しつけや子育てに悩んでいる” ものの、それが子供の脳の発達機能障害が原因であることに気づいていない発言)だったり、あるいは、友人との関係が上手くいかないシーン(友人たちは、当事者の言動が脳の発達機能障害に起因していることを理解していない、さらに本人も、診断をされていないために自分が”ついついやってしまう”とか”我慢ができない”などの特性について対処ができていない。)といったシーンはとてもリアルで、当事者としてもしっくりきました。

あなたの小・中学生時代を振り返ってみて、

『あ、こんな友達居たわ!』

・・・という子は居ませんでしたか?

思い浮かんだその子は、ADHDだったかもしれません。

 
そして、もしもあなたがこのような症状を持っていて、悩まれている場合には、まずは専門医(心療内科・精神科)に相談の上、心理検査を受けてみてください。

私は何度も書き続けますが、ADHD特性が良いとか悪いではなく、どんな人もその特性を活かして活躍できる社会が実現するといいと思っています。

発達障害者が生きやすい社会をつくることに、微力でも力になれたらと思っています。


ちなみに画像はこどものADHD的な感じ。

ryo takaによるPixabayからの画像

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