『とわの庭』

小川糸さんの作品。

とわは生まれつき目が見えない。目が見えないことに対して、人を匂いで感じている描写がとても印象的だった。視覚がないゆえに、聴覚や嗅覚が敏感になっているのだなと思った。

最初はとわとお母さんの温かい日常生活が書かれていて、小川さんらしい作品だなと思っていた。しかし、だんだん「お母さん?」となっていき、辛い描写も出てきた。とわが死んでしまっていてもおかしくない状況だったが、助けられて本当に良かった。

ローズマリーさんは一体何者だったのか、そもそも存在していたのかどうか?


印象に残っている文

わたしはいまだに、「てくてく」がよくわからないし、自分の思っている「てくてく」が、果たしてその他大勢の人たちが使っている「てくてく」と同じ姿形をしているか、よくわからない。

母さんはまるで、雨が降ってきたから洗濯物を取りこまなくちゃ、とひとりごとを言うみたいなふつうの感じで、その言葉を口にした。

時間というのは、そこに何かしらの出来事があって初めて、それと対比する形で輪郭が浮かび上がってくる。でもわたしには、時間を感じるための出来事が極端に乏しかった。

視覚障害者なら当たり前のように点字が読めると思われがちだが、実際に点字が読めるのは、視覚障害者全体の一割程度といわれている。

録音図書で読書を楽しむうちにだんだんわかってきたのだ。言葉にも蜃気楼というかオーラみたいなものがあって、ただ音として聞き流すのではなく、じっくりと手のひらに包むようにして温めていれば、そこからじわじわと蒸気のように言葉の内側に秘められていたエキスが、言葉の膜の外側ににじみ出てくるということが。

これまでに読んだ物語に登場するすべての主人公だけでなく、ちょっとだけしか出番のない脇役も、動物も植物も、彼らはみんなみんな、わたしの人生を共に歩む仲間なのだ。たとえわたしのちっぽけな脳には限界があってわたしが忘れてしまっていても、彼らはわたしという人生の船に乗り合わせた乗組員だ。

この体が生きている限り、夜空には、わたしだけの星座が、生まれ続ける。

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